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鴻巣友季子の文学潮流(第16回) 試みに満ちた「私たち小説」の収穫 朝比奈秋、ジュリー・オオツカ、小林エリカを読む

©GettyImages

「二人で一人」という設定で得た実体

 今回の芥川賞の一つは、朝比奈秋の「サンショウウオの四十九日」(「新潮」5月号、単行本・新潮社)に決まった。現役の医師ということでも注目されているようだが、作家としての腕力が飛びぬけている。「塩の道」(『私の盲端』〈朝日新聞出版〉収録)で林芙美子賞を受けてデビューし、『植物少女』で三島賞、『あなたの燃える左手で』で泉鏡花賞と野間文芸新人賞を立て続けに受賞した。なかなか芥川賞の候補にならず、私としてはもどかしかったが、今回初ノミネートで受賞に至った。

「サンショウウオの四十九日」の主人公であり語り手はこんな二人だ。

 私たちは、全てがくっついていた。顔面も、違う半顔が真っ二つになって少しずれてくっついている。結合双生児といっても、頭も胸も腹もすべてがくっついて生まれたから、はたから見れば一人に見える。

 杏の語りと瞬の語りが交互に現れるだけでなく、ときどき三人称多元視点を交えて物語は進行していく。日本語文学では、ゼロ年代から2010年代にかけて、視点と人称にかんする技法が盛んに取り入れられるようになった。一時は「移人称」とも呼ばれた山下澄人や柴崎友香の視点のバイオレーション(violation)を伴う語りや、突然に、あるいはいつのまにか視点がシフトしたり融合したりする小山田浩子、滝口悠生、島口大樹らの手法を私たちは体験してきたのだった。

「サンショウウオの四十九日」に至って文字通り「二人で一人」というキャラクターを得て、こうした転換や融合が実体をもって展開されているスリルがある。ある意味、一人称複数の「私たち小説」のバリアント(variant)とも言えるだろう。

人称と視点を切り替え、人生のささやかな瞬間を映す

 さて、今月は「私たち」を主語にした作品を紹介したい。一作目は、ジュリー・オオツカの珠玉の中編『スイマーズ』(小竹由美子訳、新潮クレスト・ブックス)だ。5章のうちの第1章、第2章が「わたしたち」という一人称複数文体で書かれている。

 最初に「私たち小説」の多様なタイプを並べてみよう。
 語り手の体験を普遍化する「私たち」が導入されたプルーストの『失われた時を求めて』。読者や聴衆を代表したような「私たち」が出てくるフローベールの『ボヴァリー夫人』。作中人物たちの集合意識的なものを表す松浦理英子『最愛の子ども』。三人称多元視点機能への移行過程として「私たち」が導入された村上春樹『アフターダーク』。ディストピア体制下で「我々」という主語の回想録が綴られるアイン・ランドの『アンセム』。テクノロジーの進化により人びとの意識が統合される『私の恋人』などの上田岳弘の作。読者を巻きこむ「われわれ」という主語を採り入れた町屋良平の『生きる演技』。そして、まさに「サンショウウオの四十九日」のように双子が「僕ら」という主語で語るアゴタ・クリストフの『悪童日記』……。

 古代ギリシャ劇のコロス(集団の語り手)のように登場人物を語る側だったり、物語の当事者だったり、実にいろいろなタイプがある。ジュリー・オオツカの用いる一人称複数主語は、松浦理英子のそれに近いのではないかと思う。オオツカは前作『屋根裏の仏さま』でも「わたしたち」という主語で書いた。世界大戦間に写真だけの見合いで、米国や南米の日本人移住者の元へ嫁いでいった日本の「写真花嫁」たちの物語だ。本書における「わたしたち」は語り手であると当時にストーリーの当事者でもあった。

 今回の『スイマーズ』では、5章のうちの第1章、第2章、そして第3章が「わたしたち」という一人称複数で書かれている。しかし第1、2章と第3章では、Weの示すものと意味合いのコントラストが鮮烈だ。ここは読み逃さないようにしたい。

 第1章の「地下のプール」には、地元の公営地下プールに几帳面かつ熱心に通ってくるスイマーのコミュニティを描いている。地上の世界では画家になれない人や、人員削減の憂き目に遭った広告マンや、仕事にあぶれた俳優たちが、このプールではみごとな、エネルギッシュな泳ぎを見せる。68往復泳ぐのがノルマの人もいる。

「わたしたち」は水泳への愛によって結ばれている。水泳とこの地下プールは、心の癒しであり、尊厳であり、いっときの逃避であり、連帯感のありどころでもある。この「わたしたち」のなかに「アリス」という名がときおり浮上する。花柄の白い帽子をかぶった高齢の女性。

 第2章「ひび」ではこのプールの底に小さな「ひび」が見つかる。すると、不安がじわじわと広がっていく。ひびは原因不明のまま増えたり、消えたりする。消えたら消えたで、あるべきものがないと「怖い」と言いだすものもいる。しかし結局はこの公営地下プールは安全を期して恒久的に閉鎖されることになるのだ。スイマーズたちに衝撃が走るが、その決定を受け入れるしかない。

 第3章「Diem Pertiti」は、主語が一人称複数から三人称単数の「彼女」に切り替わる。先のアリスが認知症を患っていることがわかり、彼女が憶えていること(母親の家の軒下にきれいなオレンジ色の干し柿が吊るされていたことや、生まれてすぐに死んだ女の赤ちゃんの遺体を献体したこと)、忘れてしまったこと(かつては見事な形のパイを作っていたことや、自分の娘の年齢)を短文の積み重ねで畳みかけ、日系2世の女性の生涯を浮彫りにする。

 第4章「ベラヴィスタ」の「わたしたち」は営利目的の介護施設の職員だ。緑の見える部屋に住んだり、良い医者に診てもらったりするには、割増し料金がかかる。「わたしたち」はきっぱりと言う。「(この病は)進行性で、治療は難しく、元の状態には戻りません。結局のところは人生それ自体と同じく、終末へと向かうだけです」と。

 さて、最終の第5章「ユーロニューロ」は、「あなた」という二人称単数主語にスイッチする。「あなた」とはアリスの娘のことであり、「彼女」とはアリスのことだ。アリスは長年にわたって「大きいやつ」を待ち構えながら暮らしてきたという。それは地震かもしれないし、なにかべつな災厄かもしれなかった。しかし今ここにやってきた「大きいやつ」とは、不可逆な記憶障害のことのようだ。

 この章に至り、第2章で延々と描きだされるひびの意味が前景化してくるだろう。そのひびとは、それぞれのスイマー(すなわち人生という水を泳ぐ私たち)にとってのなにか、いつか来るなにかを読みこむ鏡のようなものだったのではないか。

 主語の人称と視点をダイナミックに切り替えながら人生のささやかな瞬間を映しだす。珠玉の作というのは、こういう小説を言うのだろう。

支配的な所有格が伝える悲惨な時代への抵抗感と一体感

 小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)も注目の「私たち小説」であり、1935年から2023年までの日本を舞台にした”叙事詩”だ。戦時下に生き、風船爆弾の俗名で呼ばれた気球爆弾の製造に徴収された女学生たち、少女たちを描きだす。

 幕開けは昭和10年(1935年)、有楽町の街には、日劇と、日比谷映画劇場と、東京宝塚劇場が燦然と建っていた。しかし戦況は悪化し、1940年には「わたしたちの戦線は中国全土へ拡大していく。/この街にやってくるはずだったオリンピックは、とりやめになった」のだった……。冒頭から7度目の春がめぐるころ、東京に初めての空襲がある。そしていつしか東京宝塚劇場は風船爆弾の製造工場となった。

 主語は一人称単数の「わたし」または三人称複数の「少女たち」だが、所有格は必ず「わたしたち」と書かれる。この所有格はトリッキーだ。たんに女の子たちの複数形を表してはいないからだ。「少女たちは、わたしたちの満州、わたしたちの朝鮮で、第三回満州公演をすることになったのだった」「少女たちは、わたしたちの満州の街で、わたしたちの兵隊を、慰問する」というように、それは「この日本国の/日本軍の」という意味をも持ちあわせた所有格だ。

「女の子」たちの感覚とは相容れないだろうこの支配的な所有格を、作者は何百回も執拗に繰り返す。どんなに嫌悪したくなる言葉と概念でも、彼女たちも私たちもその歴史に連ならざるをえないのだと念を押しているかのようだ。

 しかしこの「わたしたち」という所有格の回路によって、パラレルに存在する数多の女学生の「わたし」と宝塚の「少女」たちは出会って交感し、一つの悲惨な時代を共有した(させられた)抵抗感と一体感が醸成される。分散と収斂、反発と融合を成し遂げる企図に充ちた文体だ。

 本作にはオオツカの『屋根裏の仏さま』と響きあう点が他にもある。人の名前が(あまり)前面に出てこないこと。あえて抒情的な記述を避けていること。細かい心の襞の描出をもって一つの個性をもったキャラクターを育ていくという方法をとらない。オオツカは元々絵画を専攻しており、彼女の小説の作風を「墨絵」に例える評者もいる。ディティールや内面描写を排し、「そっけない」と言っていいほど飾り気のないミニマルな短文を重ねていく。小林エリカが本作で挑んだのも、小説が掘りさげてきた人間の内面なるものをあえて排した果敢な叙事性なのだろう。