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中江有里さん小説「愛するということは」インタビュー 名著に寄せて問いかける、家族とは、幸せとは

「定型みたいなもの」から外れたい

――まず、どういうきっかけで、この作品を書こうと思ったんですか?

 前作の『残り物には、過去がある』(新潮社)という、ある一組の新郎新婦の披露宴を舞台にした連作短編集の一編に、祝儀泥棒の親子が出てくるんです。この2人は新郎新婦とは全然関係なく出てきて、あっという間にフェードアウトしていく。でも何かとても心をざわつかせる存在で。一体なぜ2人がこういうことに至ったのかを書いてみたいと思ったのが、この小説の始まりです。

 主人公の里美の若い頃から、汐里が成長して大人になるまでの、40年ほどの月日がこの一冊の中で流れていきます。もともと連作短編のひとつに登場していた、一瞬だけ登場する2人を、その40年の想像を膨らませて書いていった。そういう意味で「母娘の大河小説」と私は呼んでいます。

――里美と汐里という一組の「親子」の在りようが描かれますが、中江さんご自身の経験を念頭に置いて書いたのでしょうか。

 そういうわけではないですね。子どもは親を選べないし親も子どもを選べない。特に里美は、母親としての覚悟も全然育っていないから、どう汐里に接していいか分からない。でも汐里は百パーセントの信頼を自分に向けて、どんどん育っていく。汐里にとって頼るのは里美しかいないわけで、純粋に信じている一方で、里美の不穏な部分もだんだん感じ取るようになってくる。お互いにとても不安で分からないことも多いけど、時間は止まらないし、その結果を見ていくしかない。

 里美は若かりし頃に元恋人を傷つけて前科がある。その前科を若くして負ってしまったがゆえに、仕事もなかなかうまく続かないし、実家との関係性も断ち切れてしまって、もう頼るすべがない。そういう、小舟に乗って大海の中をさまようような中で、汐里は唯一の自分自身のよりどころだけど、汐里がいることによって自由にもなれない。鎖にもなるし、自分を支えてくれるロープにもなる存在なんですよね。

――本作は主人公の里美と汐里を始め、シングルマザーの家庭に育った汐里の友達など、家庭環境が困難な人たちがたくさん登場します。こういう人物像にはどんな思いを込めたのでしょうか。

 たぶん、私の年代の人は、ある種の「理想の家族像」みたいなものが、いつのまにか刷り込まれていて、みんなそこを目指して生きている。例えば「両親に子ども2人の中流家庭」みたいなものを、里美も目指していたと思うんですよね。だから彼女の夢は「母親になりたい」だった。でも、その夢を持ったがゆえに、悪い男に捕まってしまう。

 夢を見ることで行動していけることもある一方で、夢見たことによって失敗したり、挫折したり、取り返しのつかないことになってしまうこともある。私はそういう「定型みたいなもの」から外れたいという思いがとても強いんだと思います。それだけが幸せじゃないと思っているから、ちょっと変わった形の家族とか、親子の関係みたいなことを書いてみたいと思うのかもしれないですね。

常識では考えられないことをやるのが人間

――モデルにした人やお話などはあったんですか?

 ないですね。実は里美も汐里も、自分自身があんまり感情移入したくないなと思って書いてたんですよ。2人とも客観的に、とんでもないことを決断して、続けていっちゃう。里美は汐里の塾の夏期講習のお金がないという理由で、祝儀泥棒をしようと思う。成功体験があったから、一回ぐらいなんとかなるだろうと短絡的なことを考える。人間の弱さかもしれないけど、里美がここまで生きてこられたある種の鈍感さでもあると思うんですよ。もっと敏感で感じ入るばかりの人間だったら、こんなにいろんなことが起きても、乗り越えていけないだろうと思うんですよね。

 例えば私はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、登場人物がやろうとすることのエネルギッシュさや、行動力があまりに半端ないと思っていて、現実離れしてるようだけども、すごく心突き動かされるところがあるんですよ。常識的に言ったらそんなこと絶対しないだろうと思うことをやってしまうのが、実は人間なんじゃないかなと。

――この本のタイトル『愛するということは』は、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を連想させます。

 私のとても大切にしている本の一つです。みんな「愛って何だろう」と思ってるし、目にも見えない形もない「愛する」ということの答えをみんな知りたくて、フロムのストレートな答えに興味を抱く。私はそのことに対してすごく共感する一方で、それは自分が出した答えじゃないとも思うんですよ。

 自分は自分で「愛するということはどういうことなのか」と考えているし、この小説に、これだけの登場人物を通して『愛するということは』とつけたのは、フロムとは違う答えを追求しようと、自分なりに考えたことがもしかして、フロムと一致するかもしれないから。例えば山の頂上を目指していて、全然違うルートを通っても、同じところにたどり着くようなことを、何となく想定しながら書いてましたね。

 この本では、もともと里美が読んでいた『愛するということ』を、汐里が実家で見つけて読み始めます。ときどき思い出したように現われては答え合わせをするみたいに。出てきたメッセージはその時々で、自分に合ってたりもするし違ってたりもする。汐里も愛というものが何なのか、なんとなく考えるようになった時に、母親が若かりし頃から手に取ったであろう本を、フロムの言葉を聞きながら、母親の思いも重ねて読んでいるわけです。

――この本は様々な登場人物の視点で里美と汐里について語られますが、実は主要登場人物の2人以外でいちばん印象に残った人物が、第2章に登場する里美の不倫相手でした。

 第2章は、私がとても尊敬する向田邦子さんの「かわうそ」(『思い出トランプ』所収)にインスパイアされて書いた作品です。これは私なりの「かわうそ」でもあるし、ある作家さんに「そういうものを書いてみたほうがいい」と言われたことがあって、書き出したら「これ、私の『かわうそ』だな」と思ったんです。そこに追いつくかどうか分からないですが、私なりにリスペクトしました。

深夜に母から来たLINE

――やがて里美から関係の断絶を提案された汐里は、突然姿を消してしまいます。

 里美は自分とつながっていることが汐里の幸せにならないと思って、一生懸命突き放そうとするんだけど、汐里は里美から突き放されたと受け止める。里美にとっての愛が詩織にとって決別のように聞こえたんですね。けれども結果的に、汐里は里美と同じような道を行く。その時に初めて里美の気持ちを理解したんじゃないかな。あれは最大の愛だったと。

 人間関係には、距離として適切なものがあると私は思ってるんですけど、特に母と子は、ものすごく濃密なんですよね。でもそこからどんどん離れていく。離れていくことは寂しさでもあるけれども、離れて初めて確立できる適切な距離の愛し方を確認できる。母親にとっては子どもの成長、存在そのものが愛であって、子どももここまで育てられてきたのが親の愛そのものなんだなということを、ある時、初めて気づくんでしょうね。

――やっぱり中江さんとお母さんの関係が多少反映されているのでは?

 一つだけあるのは、これを書いている間に母が亡くなったんですけど、もう余命短いときに、深夜に「愛してる」と書かれたLINEが来たんです。私、母に面と向かってそんなこと言われたことないですよ。だけどその文字を見て「ああ、いろんなことを私に伝えてきたけど、もうこれ以上言うことがないんだな」と私は思ったんです。私も「愛してる」しか返す言葉がなかった。やっぱり母の愛があって自分が今あるんだなと思いました。哲学的なこととか、かっこいいことを言う人じゃ全然なかったけど、それは忘れ難いですよ。

 だから小説の中で、里美が汐里と久々に部屋に泊まる時に「愛してる」と言ったのは、どこかで伝えたいと思ったのかなと思うんです。里美も本当にひどいこともいっぱいあって、いろんなところから飛び出して、でもなかなかうまくいかなかったけど、命がけで汐里を育ててきた。そういう人生だったんだと。

永遠の謎を私なりに、答えを探す過程

――作者として読者に伝えたいメッセージはどんなことでしょう?

 章ごとに、「心とは」「罪とは」「幸せとは」など、一言で答えづらいことをタイトルに挙げています。永遠の謎のようなことを私なりに、この小説を通して答えを探していく過程がここにある。やっぱり小説はただ読んで面白いとか、そういうことであっていいと思う一方で、もっと救いのあるものでもあるんじゃないかなと。私は小説を読んでいて、これがフィクションであるとわかっていても、心が動かされたり、救いになったりしたことがあったので、そういう一端になれたらいいなと。

 決して恵まれた境遇ではない人たちがたくさん出てきます。誰もが定型じゃない。みんなと同じであれば何となく安心できるけど、社会の弱者になったり、何か失敗をしてしまったことによって元の道に戻れなくなったりということも、わりと簡単に誰にだって起こりうるわけですよね。でもそれで全てが終わるわけじゃないというメッセージでもあると思います。

――ところで、中江さんは俳優でもあり歌手でもありますが、小説で表現したいことは何ですか?

 演ずることも歌うことも、そして書くことも、私の中ではあまり変わらなくて、どれも自分だけのスタイルにたどり着きたいんです。好きな野球で例えると、自分だけの投球フォームを身につけて、めざせ二桁勝利!みたいな感じかな。