キャラクターの魅力の重要性
――その後、再び腰をすえて小説に取り組むようになったのは。
潮谷:西尾さんの本を読んでからは、しばらく書こうとは思わなかったんです。でもその後、アニメを見て衝撃を受けたことがあって。それが確か2009年くらい。大ヒットした「けいおん!」を見たんですね。女の子たちがバンドをやっている話です。今までのエンタメと違うのは、ほとんどドラマ性のある事柄がなくて、ほぼ楽しそうにしているだけなんですよ。それでも面白くてヒットしている。その時に気づいたのが、キャラクターの関係性だけでも物語は成り立つということでした。そのキャラクターの関係性だけで成り立つということを今まで私が好きだった作品に当てはめてみた時、森博嗣さんや西尾維新さんはそれをやっている、と気づいたんです。のちにキャラ萌えという言葉が出てきますけれど、あのお二人はキャラクター萌えをミステリーに持ち込んでいるんですよね。ミステリーって、特に過去の作品だと、誰が犯人かを話し合っているだけで物語が進行したりして、それが最近の読者には退屈に思われてきているところがあったんです。けれど、そこにキャラ萌えという要素を打ち込むと、キャラクター同士がやり取りするだけの推理シーンでも読者は感情移入してくれるから、推理だけするミステリーも結構読んでもらえるだろうと思い、自分でもやってみようかなと。
――それでまた、小説を書き始めたわけですね。
潮谷:最初は、新人賞に応募するか関係なく、一回自分の好きなものを全部入れ込んだ作品を書いてみることにしました。そこで考えたのが、フランス革命の時期に、ヨーロッパの架空の土地で事件が巻き起こる話でした。いろんな権力闘争を書いた上で、最後に本格ミステリーになるという、すごく長い話を試しに書いて自分では満足したんですけれど、それが40万字くらいになって。分量として賞に応募するのは難しいので、そこから今度は直球エンターテインメントとして、『時空犯』と『スイッチ 悪意の実験』のアイデアを考えていきました。それらの準備をしつつ、また別にエンタメ的な小説を書いてメフィスト賞に送ったところ、「メフィスト」本誌の選考委員が手短にコメントしてくれるコーナーで、要素が入りすぎているからもう少し整理したほうがいいですよ、という講評をもらいまして。それを踏まえて『スイッチ 悪意の実験』を書きました。正確にいうと、最初に書きあげたのが『時空犯』、次にボツになった作品、その次が『スイッチ 悪意の実験』の順番です。
――2021年にメフィスト賞を受賞した『スイッチ 悪意の実験』は、大学生たちがアルバイトで奇妙な心理実験に参加する話。スマホにスイッチのアプリをインストールして1か月過ごすだけですが、その間もしスイッチを押すと、ある一家の生活が破綻してしまう。押さなくてもお金がもらえるから誰も押すわけがないと思っていたのに...という。そんな『スイッチ』の次が『時空犯』ですし、毎回ひねりのある要素が加わったミステリーをお書きになっていますよね。
潮谷:自分の好きな要素をその都度浮かび上がらせているといいますか、そこにキャラクター性みたいなものを加えつつ、ラストは自分の好きなフーダニットで締める、みたいな感じですね。
――ヨーロッパを舞台にした40万字くらいの作品は、ネットに上げているそうですね。
潮谷:「NOVEL DAYS」に「決闘の王子」というタイトルでアップしました。たぶんまだ読めると思います。作者名は「シオタニケン」です。
他に、小説ではないんですけれど、カクヨムに「妄想読書」というシリーズを書いていました。デビューする前後に、存在しない架空の本の感想文を100冊分書くという試みをしていて。自分の書くスピードを上げる練習になるんじゃないかと思ったんです。スタニスワフ・レムが『完全な真空』でやっていた架空の書評みたいなものですが、あれは結構長文なのに対し、私が書いていたのは原稿用紙2枚分くらいの短い感想です。どちらかというと小説よりもノンフィクションやドキュメントの感想が多かったですね。もちろん、架空の本ですけれども。それもカクヨムで「妄想読書」「シオタニケン」で検索したらまだ読めます。
――お名前はペンネームですか。
潮谷:そうです。デビューした時に決めたんですけれど、「潮谷」は昔通っていた塾の先生が私の名前をずっと「シオタニ」と勘違いして、そう呼ばれ続けていたのでそのままペンネームにしました。「験」は、編集部の方がいろいろ候補を挙げてくださったなかにあったんです。『スイッチ 悪意の実験』の「験」とかぶるので、憶えてもらいやすいかなと思いました。一応、ネットに挙げたもののペンネームは商業名義と違うものにしたほうがいいと思い、カタカナにしてあります。
――『スイッチ 悪意の実験』を出してわりとすぐ『時空犯』をお出しになったなと思っていましたが、もうアイデアがあったということなんですね。
潮谷:そうです。なので『時空犯』を出した頃にはもう、その次の『エンドロール』のプロットを考えていました。メフィスト賞の作家さんってデビュー直後に立て続けに新刊を出されるケースが多いんですけれど、デビュー前から持ち球をいくつか持っているパターンが多いんじゃないかなと。
――『エンドロール』ではコロナ禍の後、若者の間で自殺が流行るんですよね。彼らには共通点があって......。あれはどういう発想だったのですか。
潮谷:受賞が決まった時期がコロナ禍のはじめの頃で、ロックダウンとか書店の一時閉鎖とかがあったんですよ。そういう時期だったので、やはりコロナを主題にしたほうがいいんじゃないかなと思ったんですけれど、そのまま書くのもどうかと考えて、ある程度収束した時代の話にしました。実際今も完全に収束してはいないので、読みが外れたところはあるんですけれど。コロナの時期は全然遊べなかった若者もいるし、若者向けの店も大打撃を受けて倒産しちゃったりもしていて、収束してもダメージみたいなものが残ると思ったんですね。そこからどういう影響が残るかを考えていきました。
――その次の『あらゆる薔薇のために』は、昏睡病から回復した患者の身体の一部に、薔薇のような腫瘍ができるという奇妙な現象が描かれます。その患者たちが次々に襲われる事件が京都で起きるという。
潮谷:これは最初にタイトルを思いついたんです。そこから、薔薇で印象的なガジェットを考えていきました。最初に考えたのは、日本各地の溜池に薔薇みたいな生き物が現れて、そこで溺れた人の身体に薔薇が生まれるという話でしたが、その薔薇の機能について考えていくうちに今の話になりました。
――学研のひみつシリーズの影響で、博士も出てきますし(笑)。
潮谷:5作目まで全部博士みたいな存在が出てきますよね(笑)。『エンドロール』で出てくるのは博士でなく思想家ですが、みんなに影響を与えるという存在は同じですし。今思うと、森博嗣先生の影響も大きいですね。森先生の作品も毎回博士が出てきますから。
デビュー後の読書生活
――執筆時間など、一日のタイムテーブルは決まっていますか。
潮谷:一応、執筆用に自習室みたいなところと契約しているんですけれど、そこが利用できるのが最大で1日8時間なんですね。なのでその中で収めています。でも正直、いちばん集中できる時間って3、4時間くらいが限界なので、その時間以外は細かい調べものとか、読書に当てたりしています。
――デビュー後の読書生活に変化はありましたか。
潮谷:ある程度自分が書くものに有益というか、参考になるものを意識して読むので、半分仕事になっちゃうところがありますね。やっぱりミステリーが増えたかな。
でも、ミステリージャンルで後からデビューした人間は、これまでにない題材や切り口を取り入れたほうがいいと思うので、自分もミステリーに活用するためにあえて全然ミステリーとは関係のない分野の本も読むようにしています。なるべく本屋さんでぱっと見て興味を引いたものを選んでいますね。それと、やっぱりトレンドも知りたいので、最近発売されたミステリーや、あるいはまだ手を出していなかった古典ミステリーを探したりもします。
――そういうなかで、これが面白かったというものってありますか。
潮谷:そうですね。最近、実録物を小説にしたようなミステリーが立て続けに出ていまして。去年出たジョセフ・ノックスの『トゥルー・クライム・ストーリー』は、行方不明になった女子大学生に関して、周りの人に少しずつインタビューしたものを1冊にまとめている体の作品で、地の文がまったくないんですね。読んでいくとだんだん事実が明らかになっていくんですけれど、その臨場感がすごかった。こういうやり方があるんだなとびっくりしました。
一昨年出たジャニス・ハレットの『ポピーのためにできること』は、裁判の記録やメールの文章や新聞記事だけで事件を読み解いていく話で、これも地の文がなくて、登場人物たちの生のやりとりだけで真相を当てていく構成が面白かった。
そうしたら、今年また同じような趣向の小説が出たんです。ダニエル・スウェレン=ベッカーの『キル・ショー』。女子高校生の失踪事件が起きて、周囲の人たちへのインタビューで構成されるのは『トゥルー・クライム・ストーリー』と同じなんですが、ちょっと違うのは、ここにドキュメンタリー番組のスタッフが関わってくるんです。その番組のスタッフが女の子の家族に取材して、彼らが困っている様子をテレビで放送する展開になるんですね。テレビ局の意向が入ってきて、リアルな話の中に作り物が入り込んでくるという、さらにひとひねりある内容になっています。
この3冊がすごく面白くて、自分でもこういうものを書いてみたいなと思ったくらいでした。ただ、これらはアメリカやイギリスが舞台なんですけれど、日本を舞台にすると、ちょっとなにかニュアンスを変えるべきなのかなというのがあります。
――海外のミステリーもいろいろ読まれているんですね。
潮谷:ひょっとしたら海外から入ってくる時点でフィルターがかかっているのかもしれないけれど、海外ミステリーのほうが実験的なものが多いような気がするんですよね。ロジックを重視するのは国内ミステリーのほうが多い印象で、それはまあ新本格というムードがあったからかもしれないんですけれど。推理する楽しさという点では国内ミステリーの方が強いんじゃないかと思います。
――そうした本は、書店で見つけることが多いのですか。それとも書評や新刊情報をチェックしていますか。
潮谷:書評や雑誌の新刊情報に頼りっきりです。ネットの「翻訳ミステリー大賞シンジケート」とか、「道玄坂上ミステリ監視塔」といったサイトや、YouTubeなら杉江松恋さんと若林踏さんの「ミステリちゃん」やその派生型の「翻訳マッハ!」、ヨビノリたくみさんと齋藤明里さんの「ほんタメ」とか。他にも読書専門のVTuberの方もいろいろいらっしゃるので、時々検索して見ています。
――国内作品で印象に残っているものはありますか。
潮谷:去年文庫化された古泉迦十さんのメフィスト賞受賞作『火蛾』が印象に残っています。受賞された時に「メフィスト」本誌の選考委員の座談会を見て、この作品は今読むと影響されそうで怖いなと思い、十数年後にデビューしてからやっと読んだんですけれど、やっぱり想像以上の話だったというか。12世紀のイスラム教社会を舞台にした、語り手が変わっていく話なんです。現実の歴史にプラスアルファしてフィクションが加わっているとは分かるんですけれど、それがどこまでかが混然としていて分からないんですよね。そういう意味では、実際の歴史の中に架空の国を入れた『伯爵と三つの棺』と通じるところがあるんですけれど、それを私の作品よりもさらに巧みにされていて、本当に現実と空想が溶け合うような話になっていて。いつまでも頭の中に残っている作品です。
――ミステリー以外の小説では。
潮谷:何かの書評で見かけて気になって乗代雄介さんの『旅する練習』を手にとったんです。これは最後の数行で意外なことが書かれているんですが、読み返すと、地の文を書いている主人公の文章と、旅の途中で練習として書いている文章に微妙にテンションの違いがあるんですよね。何かが起こったのかな、と思わせる感じにはなっている。ミステリー的な読み方もしようと思えばできるんですよね。あれはある種の手記文学の新しい手法というか。手記の中に、もうひとつ別の時期の手記が入っているというのは斬新だと思います。
私の作品は『スイッチ 悪意の実験』と『伯爵と三つの棺』だけが一人称なんですが、もし『スイッチ』を書く前に『旅する練習』を読んでいたら、書き方もずいぶん違っただろうと思うくらい、『旅する練習』にはびっくりしました。
――小説以外で影響を受けたエンタメってありますか。映画とか。
潮谷:映画はあまり観ていないんですけれど、小学生の頃にテレビで放送されていた、ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」にはたぶん、いちばん衝撃を受けているんじゃないかと思っていて。南極の基地に怪物の乗ったUFOが落ちてきて、みんなその怪物に少しずつ同化されていく。同化された人間と、それに立ち向かおうとする人間がいるわけですが、誰が怪物に同化されているのか分からないんですね。ある意味、クローズドサークルの犯人当てみたいなところがある。ちょっとずつ、怪物特有の性質など、手がかりを見つけていくんですよね。今思うとかなりミステリー的な要素がありました。
それ以外では、わりと正統派のエンタメ映画が好きですね。最近だと「マッドマックス 怒りのデス・ロード」とか。正統派かは分からないですけれどアリ・アスターの「ミッドサマー」も面白かった。あの映画はある意味、因習村もののミステリー的な要素があって、不安にさせていく過程がすごく上手いなと思いました。
それと、DVDで観た映画ですが、「ワーテルロー」という作品があります。「戦争と平和」などのセルゲイ・ボンダルチュク監督の作品で、ナポレオンの最後の戦いであるワーテルローの戦いが舞台です。これがものすごくお金をかけている。全篇合戦シーンなんですけれど、CGもない時代なので全部本物なんですよ。私が生まれる前の作品なので映画館では観ていないんですけれど、あれこそ映画館で観るにふさわしいと思えるダイナミックな作品でした。
――これまでに「ガンダム」や「けいおん!」も挙がっていますが、アニメはいかがですか。
潮谷:アニメを真剣に見るようになったのはどちらかというと、創作というものを意識するようになってからです。展開を追いかけながら「自分ならこうするな」と思ったことが作品のアイデアに繋がったりします。
「ガンダム」シリーズは今でも好きで、最近映画化された「ガンダムSEED」シリーズとかも観ているんですけれど、あのシリーズってやっぱり、台詞のぶつかり合いが面白いですよね。ロボット同士で戦いながらも意見のぶつけ合いみたいなことをやっていて、ビジュアルの面白さだけでなく台詞の面白さがあるのが、長年愛されている理由のひとつじゃないかなと感じます。
日曜の朝の子供向けのアニメや特撮も見ます。子供向けのものって、常にいろんな制限があるじゃないですか。なのに毎回、違う内容の作品が出てくる。形式を守りつつ新しいことにチャレンジしているのを見ると、ミステリーに通じるところがあると感じます。
――これは画期的だったと思う作品などありますか。
潮谷:そうですね、結構あるんですけれど...。去年放送された特撮ものの「王様戦隊キングオージャー」というのは、そもそも現代が舞台ではないんですよ。戦隊ものですが舞台は地球とよく似た別の星で、そこに五つの国があって、それぞれの王様が変身して敵と戦うんです。子供向けの番組なのに、王様はどうあるべきかという君主論的なものも出てきたりする。なぜそういう設定になったのかというと、たぶんコロナの時期でロケができなかったからですよね。全篇セットとCGで作らなくていけなくなったんでしょうね。そういう大変な制限があるところからでも、斬新なものを生み出せるんだなと思いました。
最近の自作について
――ギリシャ神話などはお好きだったんですか。『ミノタウロス現象』では、ミノタウロスのような怪物が世界のあちこちに現れます。
潮谷:ギリシャ神話も昔ムックなどでいろいろ読んでいました。あと、インド神話も結構好きだったりします。
でも『ミノタウロス現象』は、どちらかというと後から神話を当てはめたんです。最初は怪物のイメージも漠然としていました。設定上、世界に足跡が残っている怪物がいいなと考えているうちに、ミノタウロスと、ミノタウロスを閉じ込めた迷宮の構造などがこの話に取り入れやすいと気づいたので採用しました。ミノタウロス関係の図柄みたいなものは世界中に残っていて、そのほうが説得力もありますし。
――京都にある街にも怪物が現れて、史上最年少の女性市長が対応せねばならなくなるんですよね。彼女がちょっとコミカルなキャラクターで楽しくて。これまでの作品とはまた違った読み味も面白かったです。
潮谷:ありがとうございます。この作品のみ、KADOKAWAさんから出ている長篇なんです。最初にお話をいただいた時に、可能なら出版社ごとに微妙に作風を変えたら面白いんじゃないかと思いまして。そんなことを言いつつ、次が思いつかなかったら、他の出版社と同じ作風になるかもしれませんが。
それと、編集者さんが「わりとうちは出版時点から映像化を意識している会社です」とおっしゃっていて、だったら怪物が出てくると面白いかなって。CGの怪物って、あんまり気合を入れていないと、ちょっとしょぼく見えるじゃないですか(笑)。
――ああ、この作品に登場するミノタウロスも、あっさりやっつけられて、ちょっとしょぼいですよね。最初のうちは。
潮谷:この話のミノタウロスの設定なら、しょぼいビジュアルでも面白いと思うんです。それで、映像化を意識して適度にいい感じのアクションシーンも入れたりしました。まあでも、現時点で特に映像化の話があるわけではないです。
――『ミノタウロス現象』に限らず、京都が舞台のものが多いのは、ご自身が知っている土地だからですか。
潮谷:そうですね。いわゆる京都の中心部でなく周辺地域で育ったので、せっかくなら、あまりミステリーの舞台にはされていない、地味な京都を出してみたいというのがあります。
それと、書く時に距離感覚が想像しやすいというのがあります。たとえば作中で、ちょっと時間があるからどこどこに行って食事しよう、という場面を書く時、知らない土地だと普通なら行かないであろう距離の場所を出してしまいそうになるんです。そのへんが書きにくいので、基本的に舞台は京都にしています。3作目の『エンドロール』は東京の話ですが、実在の地名を全然書いていないのは、そうしたあたりが怖かったからです。
――なるほど。そして京都以外の舞台といえば、新作の『伯爵と三つの棺』ですよね。フランス革命直後のヨーロッパの架空の小国が舞台という。
潮谷:これは実在の土地を参考にして、だいたいここからはこれくらいの距離、と念頭に置いて書きました。
これは、さきほどお話ししました、最初に書いたヨーロッパの長篇と同じ舞台を使っていますが、登場人物はまったく違います。編集者に「好きなものを書いていいよ」と言われた時に、あの設定で何か書けないかなと考えたのが『伯爵と三つの棺』でした。
以前に書いたものは戦争が出てきますけれど、今回はそうした戦争の裏で、こんなことがありましたという感じの話になっています。
デビューしてからいろいろな人の本を読んでいるうちに、設定や世界観を全部出さなくても話は成り立つなと分かってきたんです。最小限のことだけ書き、小さい区域だけの話にすれば、逆にすっきりまとまったミステリーにするのも可能ではないかと。それで、同じ土地でまるっきり違う登場人物を使って、面白いロジックのフーダニットを書こうとして組み上げていきました。
――なおかつ、今回は手記というか、回顧録という形式が大きな試みでしたよね。この形式にした意味もちゃんとあるという。
潮谷:ミステリー好きだとやっぱり、手記ミステリーは絶対一度は読みますし、書きたくなりますよね。自分も挑戦したかったんです。
――ある古城で殺人事件が発生。目撃された容疑者は、城の改修を手掛けていた男。といっても彼は三つ子で、三人は性格はまったく違うけれども顔がそっくり。指紋やDNAの鑑定が出来ない時代に、誰が犯人かどうすれば特定できるのか、という。その謎解きも面白いのですが、その国の風俗や、事件の捜査方法、近隣諸国との関わりなどがしっかり作られていて、かつ説明的ではなくて面白かったです。他の作品を読んでいても、細部を丁寧に設定されているなと。
潮谷:やっぱり、そこは『星界の紋章』や『マヴァール年代記』の影響ですね。特に田中芳樹先生は設定を細かく決めていても、作中であまり説明しないんですね。説明しないけれど、読んでいくうちになんとなく分かってくる。そのさじ加減がすごいなと思っていたので、それを意識しました。
本作でも、たとえば描写を細かくしようと思ったら、この時使った食器は何々様式であるというところまで書けるんですけれど、あまり本筋とは関係ないので書きませんでした。
――当時の洋服のミニチュア版の写真が掲載されていますが、ご自身で作ったのですか。
潮谷:そうです。フェルトや、百均とかで買ったレースで作りました。といっても平面的でぺらぺらな作りなので、実際に人形に着せることはできないんです。写真にとってコピーして年代感を出せば、立体感のなさもあまり気づかれないと思ったので。
――地図の原案もご自身で作ったそうですよね。そういえば『ミノタウロス現象』も迷宮の図版が載っていましたが、あれもご自身で書いたのですか。
潮谷:ミノタウロス関係の文献に迷宮の図は載っているんですけれど、そのまま転載すると問題があるので、参考にしながら書きました。あの迷路の存在自体は実際にあるので、著作権上は問題がないはずなので。
『伯爵と三つの棺』も『ミノタウロス現象』も現実から乖離した要素が強いので、何か具体的なイメージがわく小道具があったほうがいいかな、というのがありました。それっぽい地図とか、それっぽい写真とか、絵とかがあると説得力が出てくるように思います。
――『伯爵と三つの棺』では、伯爵の家臣が公偵という探偵的な役職についているといったことなども面白かったです。
潮谷:公偵制度などに関しては完全にオリジナルです。当時の実際の捜査方法を書くとなると、フランスやドイツでは別々の制度があるんですけれど、どっちにしろいわゆる警察というものがなかったので、そこを埋めるものを設定したほうがいいかなと思いまして。
――歴史小説を書きたいと思ったことが作家を志すスタートでしたが、こうして歴史ものを書いてみて、やはり楽しかったですか。
潮谷:面白かったですね。今回は架空の国の話でしたが、また同じ世界観で、全然違う場所で書いても面白いだろうなと思いました。逆に大学生の時に書けなかった、本当の歴史を題材にしたミステリーも書いてみたいですね。それこそ米澤穂信さんの『黒牢城』みたいなものを書いてみたいと思いますし。歴史ミステリーって有名な人でないと駄目なのかなと思っていたし実際にそう言われていたんですけれど、『黒牢城』で、主人公がそれほどメジャーではない人物でも、優れたものが書けるし評価されると分かりましたよね。米澤さんの筆がすごいというのはもちろんですけれど、でも自分でやってみたいです。
ただ、日本史のほうが難しいんじゃないかという気はしますね。資料が残りすぎているので、下手なことを書くと「ここはおかしい」と指摘されそうです。中国史は一応自分の専門分野でもあったので、まだ書けるかなと思います。
――犯人当てミステリーになるんでしょうか。
潮谷:そうですね。犯人当てでもいいし、最初に犯人が分かっていて、その人を追い詰めていく形でもいいと思うんですけれど...。ただ、あまり大きな話になりすぎると、その中で一人の犯人を当てる、というのはバランスが悪そうなので気をつけないといけないですね。
――今後の刊行予定等を教えてください。
潮谷:「メフィスト」に連載していた『誘拐劇場』という新作が2025年の夏くらいに単行本になる予定です。ちなみにちょっとだけAIが出てきます。最近、AIが注目されているので、今のうちに登場させておきたいなと思いまして。特にAIに文章を考えてもらったわけではないんですが、作中でちょっと面白い役割をしています。