電車に乗りながら外を眺めている時に、気になる建物や場所と出くわすことは、誰にでもあると思う。私も子どもの頃は地元・群馬から東京まで行くまでの長距離電車で景色を見過ぎて、おかげで動体視力が鍛えられたものである。
ある日の夜、総武線に乗っていると、東中野駅あたりでなんとも柔らかな明かりを灯すビルが視界に入った。この街で映画を見る時はほぼ日中に行っていたので、それまで気付いていなかったのだ。
せっかくだし、近くまで行ってみよう。後日、明かりの元を探しに東中野駅で下車した。
駅の階段を降りて目の前にあるビルのようだ。その入り口にある赤い看板には、本の文字もある。えっ本屋なの?
ある階は黄色、別の階はグリーンと、クレヨンのような原色のドアを眺めながら階段を昇る。4階にその「platform3」はあった。
赤い扉をそっと開けると、潟見陽(かたみ・よう)さんとともまつりかさん、丹澤弘行さんの3人が迎えてくれた。潟見さんはこれまで何回か、クイアや反差別関連のイベントなどでお会いしていたけれど、改めてご挨拶。聞けば3人で共同運営しているそうだ。
ゆるいつながり、ソウルでかたい絆に
グラフィックデザイナーの潟見さんは新宿区大久保の自宅で、loneliness booksという本屋を週末限定&予約制でオープンしていた。
一方、客として通っていた丹澤さんは2022年、ともまつさんとの出版ユニット・(TT) pressでインタビューZINEを制作することになった。自分たちが話を聞いてみたいのは誰なのか。浮かんだのは作家で翻訳家の安達茉莉子さん、マンガ家&イラストレーターのももせしゅうへいさん、そしてデザイナーで書店主の潟見さんだった。
「作る段階ではテーマは決めていなかったのですが、3人に話を聞いていくなかで、 寝る前にふと考えてしまうようなこと、孤独や心配事の話がよく出たので『眠れない夜』という意味を込めて『Sleepless in Tokyo』というタイトルのZINEを作りました」(丹澤)
この「Sleepless in Tokyo」は(TT) press初のZINEとして、2023年に刊行された(ちなみに安達さんは生活綴方 &ひるねこBOOKS と、これまでの連載でも紹介している場所で話を聞いているので、個人的にもオススメしたい)。それぞれ違うコミュニティーで活動していた3人のつながりはその後もゆるく続いていた。そんな3人に2023年5月、ちょっとした転機が訪れた。
「ソウルで毎年、韓国タイポグラフィー学会というグラフィックデザインの学会が開催されるのですが、2023年のテーマが『クイア・ジェンダーとタイポグラフィー』だったので、ワークショップのプレゼンターに招かれたんです。当初は韓国のデザイナーたちと『クイアと孤独』をテーマにしたZINEを作るワークショップを企画していたのですが、丹澤さんが店に来た時にそんな話をしながら『来る?』って聞いたら2人とも来て(笑)。だから日韓の参加者でZINEを作るワークショップに変更して、一緒にソウルに1週間ぐらい滞在したんです」(潟見)
タイポグラフィー学会で出会った人たちをテーマに、(TT) pressは第2弾ZINEを制作したが、まだ「本屋をやろう」という話は出ていなかった。しかし2024年、コロナ禍も落ち着き、場所を広げたいと思っていた潟見さんが、いろんな人に共同運営の声をかけていて、その中のひとりが丹澤さんだった。丹澤さんは「ともまつさんと一緒だったらできるかもしれない」と思い、潟見さんにやってみたいと持ちかけた。
「なんだか取ってつけたみたいですけど、ワークショップの時にこちらから投げたボールの返球が返ってきた。そんな感じに思えたんです」(潟見)
「やれるかなあ、やれるならやろう、ぐらいの感覚でした。今もそういう気持ちです」(ともまつ)
本を売るだけではなく
新天地で店を始めるには、拠点を決めなければいけない。loneliness booksは多文化共生の街・大久保にあったので、その要素は活かしたい。まずは大久保界隈で探したが、ピンと来る場所が見つからなかった。次はもう少し範囲を広げて「大久保文化圏」圏内の早稲田に行ってみたけれど、持続可能な予算内の物件は、いずれも広さが足りない。その後オンラインで探していたところ、今の東中野のビルと出合うことができた。
「本屋ですが、本を売るだけでなくて『人が集まれる場所が欲しい』という思いがあって。いろいろなことができるぐらいの広さが欲しいなと思っていたんです。ここは約35平方メートルあって、自宅でやっていた本屋と同じぐらいの広さですが、自宅は本を置けるスペースが限られてしまうし、予約制にしていたので来店のハードルが高めでした。ここは駅のすぐ横だから、ふらっと立ち寄りやすいかなと」(潟見)
エレベーターのないビルの4階である点だけがネックだったが、ともまつさんも丹澤さんも即OKした。
照明を買ったり壁の展示スペースを作ったりはしたものの、棚や机はそれぞれが使っていたものを持ち込んだので、内装のための初期投資はほぼなかったという。現在の在庫はZINEも含めると約3000冊あるが、仕入れはloneliness booksと(TT) pressがそれぞれに別個にしているが、棚は分けていない。
loneliness booksはもともと東アジアのクイアやジェンダーに関する出版物を扱うところから始まっていることもあり、クイアやジェンダーをテーマにした本が充実している。また東アジアがテーマの映画やデザイン、写真集や絵本もセレクトされている。
「中国語も韓国語も読めるわけではないのですが、消えゆくものに関する本って韓国や台湾でも作られていて。そういう本を中心に集めています。あとは大久保という多様なバックグラウンドを持つ街が好きなので、移民に関する本も重視しています」
たとえば以前、ブックギャラリーポポタム でも見かけて気になっていた、パク・ヒョンソンという写真家による『ソウルの銭湯』は、韓国タイポグラフィー学会の仲間によるものだと潟見さんが教えてくれた。韓国でも銭湯はどんどん減りつつある。そんな東アジアの街の記録を知りたくなったら、ここに来ればいいのだな。
ともまつさんと丹澤さんの (TT) pressは、お互いのクリエイターとして活躍する友達をはじめ、ステキなものを手掛ける人の作品を並べている。取材時は(TT) pressが、バンコクのブックフェアに参加した時に見つけたZINEや書籍のコーナーがあった。私自身も初めてお目にかかるものばかりで、ついじっと見入ってしまった。
「いろいろな場所にいって、そこでステキなものを見つけて皆に紹介できる場所があることが、とてもうれしいです」(ともまつ)
明かりに惹かれて集う人のための3番線
2024年8月20日にオープンしてからは「あっという間」の日々だったと3人は振り返る。展示は1~2週間で新たなものに変わるし、12月には教育関係者が集まって学校の男性性について語るイベントが開催されるなど、人が集まるための企画も積極的におこなっている。
「人が集まる場所を作りたかったので、イベントや展示でいろいろな人が活用してくれ始めているのが、本当にうれしくて。ふらっと立ち寄る近所の方がいらっしゃるのが、以前にはなかった傾向です。『明かりがついていて気になった』という方がいるのは、すごく心強いです。自分はソウルに行くと本屋巡りしかしなかったりするので、海外の人が東京に来たら寄りたい場所になったらいいなって。今はそう思っています」(潟見)
「たとえばずっと写真を撮っていた友達が『ここで写真展をやりたい』と言ってくれるなど、場所を持ったことで自分も周りも、やりたいことを叶えられやすくなりました 。学校の「男性性」のイベントは教員の方々が登壇するのですが、教育に関するイベントだけど、教育関係者だけに閉じるのではなく、他の方も巻き込んだイベントにしたい、それならこの場所がピッタリなのでは』ということで決まりました。 それまではちょっと距離があるように思えていた人たちとも集まることができる。場所を持つ楽しさを味わった4カ月だったし、これからもそれを味わいたいと思っています」(丹澤)
2番線までしかない東中野駅の、オルタナとしての3番線になるべく付けた店名だと想像していたけれど、それだけではない意味を込めたと、潟見さんは言う。
「うちで作った本や(TT) press のZINEを売りに行くためにソウルに滞在した時に、新村(シンチョン)の民泊で『名前をどうしよう』と3人で話し合ったんです。最初はロンリネス&TTなんとかにしようとか言っていたのですが、ある夜、空間の名前をつけたらどうかと考えて。タイポグラフィー学会のワークショップ会場だった、弘大のプラットフォームPというアートセンターで親交を深めたし、東中野駅のホームすぐ横で人が交差する場所だし、それに3人だから、この名前はどうかなと」
「新宿ほど騒がしくないけれど、東京の西側からも東側からもアクセス便利。実際に来てみたら、微妙な塩梅の場所だった」(潟見)という東中野の空間は、窓から漏れる明かり同様、3人が醸す空気と距離感がどこまでも柔らかい。
新宿の喧騒からすぐの場所に、孤独や心配事を癒すヒントになるような本と出会える場所がある。これこそ、地元から都会に出てきた醍醐味というものなのかもしれない。そんなことを思いながら東中野駅1番ホームへを向かった。
潟見&ともまつ&丹澤が選ぶ、思わず立ち止まって読みたくなる3冊
●『詩と散策』ハン・ジョンウォン(書肆侃侃房)
詩人である著者が、日常生活の中で感じたことを詩とともに綴ったエッセイ集。雪が積もった夜のような静けさのある文章が心地いいです。著者が紹介したり引用する詩を通して、その魅力に気づけるのも嬉しいポイント(丹澤弘行)
●『Non fa niente』LADYS
性別適合手術を受けるトランス男性の1年を描いた作品。結婚している主人公が、手術を受けるために自分自身の複雑な性自認や性的指向を他者に理解してもらうことの困難さがリアルに描写されています。そんな中、主人公はあるカフェで、自分をジャッジしない男性と出会い、この出会いが物語を予期せぬ方向へと導いていきます。全編タイ語ですが、現在日本で入手できるのはplatform3だけなので、ぜひお店に見に来てください。(ともまつりか)
●『おばあちゃんのガールフレンド』台湾同志ホットライン協会(サウザンブックス)
元々、loneliness booksでは台湾で出版された原書を取り扱っていて、その本を入手してくださった方が、ぜひ日本語翻訳で出版したい、とクラウドファンディングで制作された経緯がある本です。そんな縁で本の装丁デザインも担当させてもらった愛着もあります。
2019年の同性婚法制化後、台湾では性的少数者が、社会の中で当たり前の存在として受け入れられつつあるそうですが、そんな中でも、まだまだ可視化されることが少ない中高年のレズビアンたちはどんな人生を送ってきたのか…収録された17人の人たちのありのままの語りを読むと、中高年の世代はきっと辛いことが多かっただろうと勝手に思い込んでいたステレオタイプなイメージが、軽やかに覆されることでしょう。(潟見陽)