父の嘘がきっかけでカレーを題材に
―― カレーライスを食べていたフミオの口の中から、世にも珍しいカレーの種が出てきた。庭に埋めると芽が生え、やがて立派なカレーの木になって……。『ひみつのカレーライス』(アリス館)は、読めば誰もがカレーを食べたくなるような絵本だ。文章は直木賞作家の井上荒野さん、絵は『トマトさん』(福音館書店)や『くろいの』(偕成社)で知られる田中清代さんが描いた。
井上荒野(以下、井上) 私は子どもの頃、動物が出てくる絵本と食べ物が出てくる絵本が好きだったんですね。それで、初めての絵本「みずたまのチワワ」(月刊「こどものとも年中向き」1997年8月号、福音館書店)で犬を描きました。そのときに絵を描いてくれたのが清代さんです。
田中清代(以下、田中) 「みずたまのチワワ」は私のデビュー作なんです。まだ絵本の仕事をしたことがないときにお声がけいただいて、とてもうれしかった覚えがあります。
井上 次は食べ物の絵本にしようと思って書いたのが『ひみつのカレーライス』。その頃、瀬戸内寂聴さんとたまにお話する機会があったんですね。そのときに寂聴さんから「あなたのお父さん(作家の井上光晴さん)は、あなたに文才があるといつも自慢してたのよ」と聞いて。「今も娘は『カレーライスのおひめさま』という作品を書いている」と言っていた、とおっしゃったんですよ。でも私は『カレーライスのおひめさま』なんて書いたことがないんです。そういう話を書く娘であってほしい、という父の願望だったんでしょうね。
ああこれは父の嘘だな、と思いつつ、ニコニコしながら寂聴さんの話に頷いていたんですが、『カレーライスのおひめさま』というタイトルは頭の片隅に残っていて。それならカレーライスの話を書いてやろうと思ったんです。
―― そうして生まれた『ひみつのカレーライス』は、すぐには絵本にならなかった。
井上 知り合いの編集者に見せたんですが、会議にかけたものの企画が通らなかったらしくて。最初の絵本でご一緒した清代さんの絵でイメージしていたので、清代さんの個展を見に行ったときに出版が決まっていない絵本の原稿があると話したんですね。そうしたら、「私の方で当たってみます」と言ってくださいました。
田中 確か『ひみつのカレーライス』の他にも2つお預かりしましたよね。それで、何人かの編集者さんに見せるうちに、『ひみつのカレーライス』をアリス館で出してもらえることになったんです。
井上 『ひみつのカレーライス』が出版できたのは、清代さんのおかげなんですよ。
着流しのお父さん、割烹着のお母さん
――『ひみつのカレーライス』に登場する家族は、主人公のフミオこそ洋服を着ているが、お父さんとお母さんは着物姿。大きな庭のある瓦屋根の日本家屋に住んでいる。
井上 最初に清代さんが描いてきてくださったのは、もっとモダンな、若いパパとママと男の子だったんですが、私のリクエストで時代設定を古くしてもらいました。
私の中でこの話は、お父さんが肝なんですね。カレーの種を見て大真面目に文献を引いて、真剣な表情で変な踊りを始める、そんなお父さんの姿というのが大事な部分だったので、お父さんは洋服じゃなくて着流しかなんかを着てた方がいい、とお願いしたんです。
今の人はお父さんもお母さんも着物姿なんてちょっと驚くかもしれませんけど、私にとっては見慣れた家の風景で。このお父さんは、やっぱりうちの父がちょっと入ってるんですよね。そういう変なことする感じが。たぶん清代さんが父に似せて描いてくださったんじゃないかなと。
田中 写真を見ながら似せて描いたとかではなくて、荒野さんのお父さんだったらこんな感じかな、という私のイメージで描きました。
井上 文献を引くシーンの書斎なんかも、私は別に書斎を描いてくださいとはお願いしていなかったんですけど、とてもイメージ豊かに描いてくださって。あんなにたくさんの本の中からカレーの本を探し出したんだなとわかるのが、絵本ならではの面白さですよね。
―― 見どころは中盤、お父さんが「カレースキスキ、カレーノタネガ、カレースクスク、カレーガミノル、ポロコリ、ペリコル、ピリカラ、ホイ!」と歌い踊るシーン。井上さんのお気に入りの場面だ。
井上 最初は踊ればいいやぐらいに思っていたので、歌のところをもうちょっと適当に書いてたんですが、もっと具体的に、カレーっぽいワードも入れましょうという編集の方からのアドバイスもあって、何度か書き直してあの形になりました。馬鹿みたいな踊りを大真面目にやっているところがたまらないですよね。
田中 私は最近小学校で読み聞かせを始めたんですけど、『ひみつのカレーライス』は小学生にも評判がよくて、表紙を見せると盛り上がるんです。お父さんが歌い踊る場面は、特に節などつけず、文章の持っているリズムのままに読んでいるんですけど、子どもたちがすごく笑いますよ。
描いたのは、一番親しみのあるカレー
―― カレーの種を庭に埋めると、カレーの芽がぐんぐん伸びて、やがて立派なカレーの木に。お皿の葉っぱが生え、福神漬けの花が咲き、カレーの実とライスの実がなるというユニークな展開だ。
井上 カレーの木のビジュアルは、完全に清代さん任せ。画家さんってすごいなと改めて感心しました。テキストを書く方は無責任なもので、カレーの木はどんなものなのか、まったくイメージできてなかったので(笑)。清代さんの絵を見て、ああ、そうそう、カレーの木ってこういう形!と思ったんですよね。
田中 ストーリーがシュールなので、それほどリアリズムを追求しなくてもいけるかなと思って、自分なりの感覚で描いてみました。あまり深くは考えてないっていうのが正直なところで(笑)。カレーの種は、口の中に入れてもそんなに違和感がないように丸っこい方がいいかなと思っていて、カレーを連想させる、変わった形の両手鍋のようにしました。
葉っぱのお皿は、いかにも葉っぱみたいなお皿だとギャップが生まれないので、どの家にもありそうなお皿にしました。ライスの実は、炊飯器っぽいイメージで。炊飯器が実として木になっているというのが面白いですからね。あとは力技で木らしく描き上げたといったところです。
―― 描かれているカレーは、じゃがいも、玉ねぎ、にんじんと牛肉の入ったオーソドックスなカレーライスだ。ページをめくるたびに香り立つような絵本だが、その秘密は湯気の描き方にあった。
田中 市販のカレールーの箱の裏に、作り方が書いてあるじゃないですか。あの通りに作ったカレーこそが、私が一番親しんできたカレーなんです。その感覚は多くの人に共感してもらえるんじゃないかと思って、そのまま描きました。ただ、ちょっとスペシャル感も出るように、具はごろごろと大きめに、お肉もちょっとグレードアップして、いいお肉を描いています。
湯気は、自分で作った白の絵の具で表現しました。この絵本の原画を描いていた頃、たまたま姉が友人の日本画家の方を紹介してくれたんですね。その方から、日本画の絵の具の作り方を教えていただいたんです。普通の絵の具だと、絵の上に白をのせるのが結構難しいんですけど、せっかく教わったからと絵の具を手作りしてみたら、とても繊細な白い絵の具ができて、いい感じに湯気の白をのせることができました。
井上 後半の、ご近所さんとみんなでカレーを食べるシーンも好きです。子どもって好きな絵本は何度も何度も読むので、こういう場面は一生懸命、隅から隅まで見ると思うんです。「あ、この人はこのページに出てきた人だ」「こんな人もいるね」みたいな感じで、見つける楽しさがあるのがいいですよね。
物語の中での理屈を通す
―― 子どもの頃から本が好きだったという井上さん。好きな絵本は繰り返し読み、真似して描いたこともあったと話す。
井上 絵本のテキストを書くとき、子ども向けということはあまり意識していない気がしますね。もちろん、難しい言葉は使わないようにといったことは常識としてありますけど。
いつも考えているのは、自分はどんなお話が好きだったかなということ。私が好きなのは、その物語の中での理屈がしっかり通っているものなんですよ。どれほど荒唐無稽な話でも、ちゃんとその物語の中のルールがあって、それに従って展開していく。大人の本を書くときも同じで、どんなに頭の狂った人のことを書くとしても、狂った人なりの秩序みたいなことはきっちりしていないと嫌で。その辺は大人の本でも子どもの本でも変わらないところで、子どもだからって、なめちゃいけないと思っていますね。
ただ絵本の場合は、絵に託す部分が大きいので、どこからどこまでを絵に任せるか、少ない言葉で何を書くか、といったことは、「みずたまのチワワ」を書いたときにかなり教わりました。『ひみつのカレーライス』以来、またしばらく絵本を書いていないので、忘れちゃってるかもしれないですけど。
―― 自身で作・絵を手がけることも多い田中さんにとっても、井上さんとの絵本は特別なものだそうだ。
田中 「みずたまのチワワ」を作ったとき、荒野さんのお話の中に私の好きな情景がたくさんあって。初めての絵本だったこともあって、なんというか、荒野さんの生み出した世界が自分の中にインストールされたような感覚があったんですよね。それが絵本作家としての私のひとつのベースにもなっているので、『ひみつのカレーライス』でもご一緒できたのは、とてもうれしいことでした。
井上 またいつか、一緒に絵本を作りましょうね。