荻堂顕さんの読んできた本たち 「明確にこれを読んだからデビューできた」2人の作家(前編)

――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。
荻堂:絵本や児童書はあまり読んでいなくて、本当に記憶がなくて。僕と同世代の人は小さい頃に『かいけつゾロリ』とかを読んでいると思うんですけれど、僕は一切読んでいないんです。
いちばん古い読書の記憶は、村上春樹が訳したシェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』なんです。欠けた丸が転がっていくという絵本ですけれど、すごく好きで何度も読んで、今も手元に置いてあります。最初に読んだのが小学校に入る前。幼稚園にあったから読んだんじゃないかな。
――なぜそんなに好きだったのでしょう。
荻堂:なんでだろう。幼い頃からひねくれていて、幼稚園でも読み聞かせで物語調の話を聞くのがわりと嫌だったんです。『ぼくを探しに』は色使いも多くないし、こちら側がどう解釈するかで受け取り方が変わる話だと思うんです。そういうものが小さい頃から好きでした。でも『星の王子さま』は好きじゃなかったんですよね。
――帽子に見えるけれど実は象を飲み込んだウワバミです、というところとか?
荻堂:そうそう。そこまでいくと、お洒落なやつが好きそうなものを書いているな、という感じで。そこまで押しつけがましくない『ぼくを探して』くらいのものが好きでした。
――言葉で説明されるよりも、イメージをかき立てるようなものが好きだったんですかね。
荻堂:好きでしたね。小さい頃から小学校高学年までずっとレゴブロックが好きだったんですが、それに通じるものがあるかもしれないです。
――小学校に上がってからは、学校の図書室を利用したりしましたか。
荻堂:僕、人生の中で図書室とか図書館を利用したことがほぼなくて。ずっと、本は一人で読むものという感覚があります。図書室とかって図書カードがあって、この人はこの本を借りた、というのが分かるじゃないですか。あれが耐えられなくて。好きな本は自分だけのものにしたい、というわけではないけれど、自分が読んでいる本や読んだ体験を人と共有したいという感覚がなかったんです。
本は無限に与えてくれる家だったので、たいてい新刊を買ってもらって読んでいました。
――自分で書店に行って選ぶのですか、それとも親御さんが買ってきてくれるのでしょうか。
荻堂:最初の頃は親がレコメンドしてくれたものを読んでいて、中学生くらいからは自分で買っていました。中学生の頃はお年玉とかも図書カードでもらうことが多かったので、それで買っていたんです。子供の頃は、そんなに他に欲しいものもなかったんで。
――荻堂さんは東京の世田谷区のご出身ですよね。近所に書店も結構あったのでは。
荻堂:いやいや。最寄り駅が成城学園前だったんですけれど、小さい頃は近所にすごく小さな書店しかなかったです。デアゴスティーニの雑誌とか、大きな知恵の輪といった知育玩具が多くて、文芸コーナーは小さかったです。
――そのなかで、どのように本を選んでいたのでしょうか。
荻堂:同世代で読んでいた人は多いと思うんですけれど、松原秀行さんの「パスワード探偵団」シリーズとか、はやみねかおるさんの「名探偵夢水清志郎事件ノート」シリーズとか。青い鳥文庫ですね。それらを読んでミステリやSFを読む人間に育つ下地ができたと思います。
青い鳥文庫バージョンで筒井康隆さんの『三丁目が戦争です』とか、眉村卓さんの『ねらわれた学園』なども面白く読みました。
――アニメや映画などはよく見ていましたか。
荻堂:のちに一人暮らしをしたり結婚したことであれは珍しいことだったと気づいたんですけれど、うちの家は毎晩、映画を一本観ながら食事していたんです。だから夕食に2時間とかかけていました。ご飯が終わったらデザートとかお菓子とか食べて、必ず映画が終わるまで観ていたんです。自分からアニメや映画を観るようになったのは小学校の終わりから中学校に入るくらいからです。
――夕食時間にどんな映画を観ていたのでしょうか。荻堂さんが小さい頃は児童向けの映画を選んでくれたのですか。
荻堂:いや、うちはそういうことは気にしていなかったですね。観るのは洋画が多かった。ケーブルテレビに入っていたんで、WOWWOWとかで海外のものをよく観ていました。
――その頃はインドア派とアウトドア派と、どちらだったと思いますか。
荻堂:インドアですかね。あまり外で遊ぶ子供じゃなかったですね。
――荻堂さんはジムのトレーナーの経験もあるので、運動することがお好きだったのかと思ってました。
荻堂:いや、身体を鍛えるのが好きな人ってインドアタイプが多いと思いますね。僕もずっと本を読んだり映画を観たり、ゲームをしたりしていました。
――習い事とか部活とかは。
荻堂:怠惰な子供だったんで、習い事も部活もやっていなかったです。親も、強く言ってやらせるタイプじゃなかった。ただ、中学受験はしたんです。中高大一貫校しか受けませんでした。親に「受かったらもうずっと受験勉強しなくていいんだから」と言われて、その言葉だけで受験したんです。だからやっぱり、怠惰なんです。
でも小学6くらいの頃には、「RPGツクール」というゲームを作るソフトを買って、それに夢中になりました。受験ギリギリまでゲームを作って遊んでいたので、さすがにこのままじゃ駄目だと言って禁止されたんですが、親からなにか禁止されたことがあるのって、それくらいでした。
――お年玉が図書カードというので教育熱心な親御さんだったのかと思いました。
荻堂:いや、親も図書カードのほうがラクだろう、というくらいの感じで、うちは放任主義でした。子供が自発的に「このままじゃまずい」と気づくので、僕は放任主義のほうがいいんじゃないかと思っています。
――中学は早稲田実業に進まれたわけですよね。受験勉強が大変だったんじゃないんですか。
荻堂:僕の頃は本当に運っていうか。今は違うだろうし、当時も本当にトップの学校の受験は違ったと思うんですけれど、自分の頃の中学受験って、要領の良さだけでどうにかいけたんです。自分は要領の良さだけで入った感じです。
――そんなに要領良かったんですか。
荻堂:良かったですね。小学生の頃から一夜漬けっていうのが成功する概念だと分かっていました。今はどんどん錆びついていますけれど小学生の頃は記憶力もよかったから、塾の勉強も前日にパーッとやっていました。
――中学生になってからの読書はいかがですか。
荻堂:うちの母親が趣味で読んでいた本をよく借りて読みました。その頃流行っていたパトリシア・コーンウェルの検視官ケイ・スカーペッタのシリーズだったり、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』だったり。あれは映画も好きでした。
中学生の時はひたすら海外ミステリを読みました。その頃は講談社だとか新潮社だとか分かっていなかったけれど、パトリシア・コーンウェルが講談社文庫から出ていたので、青い背表紙の海外ものは面白いという感覚があって、講談社文庫から出ているリー・チャイルドの『キリング・フロアー』から始まるジャック・リーチャーのシリーズを読んだり。このシリーズは9作目の『アウトロー』がトム・クルーズ主演で映画化されていますよね。あとはスティーヴン・ハンターの『極大射程』から始まる、ボブ・リー・スワガーのシリーズを読んだりとか。中3くらいの頃にはジョン・ル・カレのスパイものもよく読みました。
SFでは、母親がレイ・ブラッドベリも好きだったので、『何かが道をやってくる』なんかも中1の頃に読みました。フィリップ・K・ディックとかウィリアム・ギブスンも読んでいました。
だから、自分の文章がわりと翻訳調と言われるのは、自分でそう書こうと思っているわけじゃなくて、本も映画も翻訳もののほうが触れてきた数が多いんで自然とそうなっているだけだなと思います。
――国内小説はまったく読まなかったのですか。
荻堂:中学時代、ライトノベルもすごく流行っていたんです。中1の時にアニメで「涼宮ハルヒの憂鬱」が放送されていたので見ていたし、小説も読みました。あとは滝本竜彦さんの『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』とか『NHKにようこそ!』とか、秋山瑞人さんの『イリヤの空、UFOの夏』とか。世代的には僕より前ですけれど、上遠野浩平さんの『ブギーポップは笑わない』とかも読みました。
――学校の国語や現国の授業は好きでしたか。
荻堂:苦労したことはなかったですけれど、あんまり好きじゃなかったですね。作家って作文が得意だった人と嫌いだった人に分かれると思うんですけれど、僕はずっと嫌いでした。
高校では、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を1年かけて教える先生もいました。授業内容はあまりよく憶えていないしその先生はもう亡くなっているんですけれど、のちに名前をググったら宮沢賢治の論文をめっちゃ書いている人でした。授業は厳しくて、寝ている生徒がいると「ラッコの上着が来るよ」と言って教科書の角で叩いていました。
――今振り返ってみて、どんな子供だったと思いますか。表立って反抗するわけでなく、でも教師のことも冷ややかに見ていた、とか。
荻堂:なんだろう。わりと怒られていました。中学生の頃だったかな、先生を教室に閉じ込めて鍵かけたりしていました。うちの学校では校長訓告を2回受けると退学なんですが、それを1回受けました。
――クラスの中でリーダー的なタイプだったんですか。
荻堂:全然リーダーじゃなかったです。やっぱりうちの学校にもスクールカーストみたいなものがあって、僕はアウトカーストじゃないけれど、クラスのみんなが何かやると決めた後、僕と吉田くんというもう一人の奴が「お前らも来いよ」と誘われる、みたいな感じでした。
――10代の頃って、将来何になりたいとかってありましたか。
荻堂:映画かアニメの脚本家になりたくて。大学卒業する時までどっちかになりたくて、映画やアニメの制作会社を受けたんですけれど全部落ちたんで。それで小説を書いたら新潮ミステリー大賞の最終のひとつ前まで残ったんで、じゃあ小説家目指すかっていう。なんか、小説家にめちゃくちゃなりたかったわけではないんです。
――自分でも脚本とか、物語を作ったりはされていたのですか。
荻堂:世に発表したりはしていないですけれど、中学生の時も家で一人でゲームを作ったりしていました。RPGゲームです。
――仲間と冒険するような、物語性のあるゲームってことですか。
荻堂:そうですね。わりと仲間が途中で離脱したり、裏切ったりという話を作っていたんで、のちにミステリを書く伏線にはなっていたんじゃないかなと思います。
――高校時代の読書生活は。
荻堂:自分の作風に影響しているものだと、高1の頃に読んだマイケル・シェイボンの『ユダヤ警官同盟』です。たしか年末の『このミステリーがすごい!』の海外編にもランクインしていましたよね。歴史改変SFなんですよね。これを高1の時に読んで、めちゃくちゃ衝撃を受けました。その頃は作家になろうとは思っていなかったですけれど、自分の『不夜島(ナイトランド)』も歴史改変SFだし、影響を受けていると思います。
昔からディックの『高い城の男』とかも好きだったので、自分は宇宙に行くようなSFよりも、社会派の歴史改変SFが好きなんだろうなと思う。
それと、中学時代に読んでいたライトノベルが橋渡しとなって日本の小説もわりと読みました。
――国内小説はどのようなものを。
荻堂:ブックガイドに沿って読むのが好きではなかったので、とにかく目についたものを選んでいました。あと、名作と言われているものを読もうと思ったので、谷崎潤一郎とか芥川龍之介とか、横光利一とか、菊池寛とか。やっぱり谷崎と横光が好きでしたね。どちらも文章が好きでした。それぞれ魅力が全然違うんですけれど。
谷崎で何か好きかと訊かれて『春琴抄』とか『痴人の愛』を挙げるのは、好きな映画を訊かれて「レオン」とか「グラン・ブルー」を挙げるようなものなので、僕はどちらも好きだけどちょっと恥ずかしいというか。もうちょっと奇をてらいたいというか。
――直球すぎるってことですかね(笑)。
荻堂:僕は谷崎だったら、『少将滋幹の母』か『人魚の嘆き』がすごく好きですね。『人魚の嘆き』は自分の元にとどめておきたいものを手放す話なんで、『春琴抄』とは真逆の内容で、谷崎の根底にはこういう一面もあるんだよと思うんで。『少将滋幹の母』は谷崎が書くお母さんと息子の話として気持ち悪いんですけれど、これを超える母と子の話ってない感じがしますね。
横光は基本的に短篇を書いていますよね。僕は「花園の思想」という短篇がいちばん好きです。たぶん、横光が好きだという人は「春は馬車に乗って」を挙げる人が多いと思うんですけれど、これはそれとほぼ一緒の話で、結末だけ違うんです。
――妻が病気で療養中で、という話なわけですね。
荻堂:そうです。まったく一緒なんですよ。でも、「花園の思想」のほうが気持ち悪さがないんですよね。ちゃんと人間を尊重した話なので。
横光が戦中に国粋主義者みたいになって、それで戦後の評価が低くなったという経緯に思いをはせながら「花園の思想」を読むと、この人は戦争がなかったらどうなっていたんだろうなと思う。この時代の人のことを考えると、やっぱり戦争は切っても切りはなせないんですよね。僕が『飽くなき地景』で第二次世界大戦後の話を書いたのは、戦中から戦後にかけて作品を発表していた作家について考える時間が多かったことが影響していると思います。
その頃、日本の現代作家も読んだりはしているんですけれど、やっぱり数は少ないです。っていう中で、高校の頃から読んでいて今もずっと好きなのは、小川洋子さんです。日本の作家でいちばん好きです。
――小川洋子さんは何から読みました?
荻堂:最初は、幼い時に『博士の愛した数式』を読みました。その後、『薬指の標本』とか『完璧な病室』とか『人質の朗読会』とかを読んで。『完璧な病室』は頻繁に読み返しているし、『人質の朗読会』もすごく好きですね。
小川さんの作品って、なんか不思議なんですよね。現代の作家っていろんなものに影響を受けているから、基本的に代替不可能な存在っていないと思うんですよ。でも、小川洋子さんって代替不可能なんですよ。ジェネリック小川洋子さんみたいな作家を挙げろといわれたらいるだろうけれど、小川さんの代わりになる人っていないんです。文章もそうだけれど、書き手の資質の問題という気がします。
デビュー前に一度、小川さんのサイン会だかイベントだかに行ったことがあるんです。僕はあんまり人に緊張することはないんですけれど、やっぱり緊張したというか怖かった。人間としてオーラを放たれていました。同じ意味で、湊かなえさんも授賞式の時にお会いした時に怖かったです。
――畏怖の気持ちが湧いたということですよね。一応申し上げておくとおふたりともお人柄はまったく怖くなくて、むしろとってもお優しいです(笑)。ところで、古典的名作を読もうと思ったのは、どうしてだったのでしょうか。
荻堂:ひと昔前のオタク的教養主義とか権威主義じゃないけれど、とりあえず一通り読んでいないと語っちゃいけない、みたいな感覚がずっとあるんです。面白い面白くない関係なく、とりあえず読んでおかなきゃ駄目だろうという感覚で読んでいました。今もその感覚は自分の根底にあって消えないんですよね。
――海外作品に対してもその感覚はありましたか。
荻堂:ありました。映画とかでよく引用されるからシェイクスピアは全部読んで、なおかつちょっと暗唱できないと駄目だろうと覚えたり。あとは、とにかく引用されることが多いのでダンテの『神曲』とかトーマス・マンの『魔の山』とかゲーテの『ファウスト』とか。
――引用が多いといえば聖書ですよね。
荻堂:聖書もちゃんとしたものを買った上で、「はやわかり聖書」みたいなものを読んでいました。僕がキリスト教徒ではないこともあるからか、聖書よりも岩波文庫の『コーラン』のほうが面白かったですね。文章が美しいし。ただ、『コーラン』も単独で読むのは不可能だったので、解説本みたいなものを併読してました。とにかく無知が恥ずかしいから読もう、という感じでした。
それが高校から大学にかけてですね。やっぱり受験がないっていうアドバンテージは大きかったです。
――受験勉強しなくていいから、そういうことに時間が費やせるという。
荻堂:そのかわり、世界史と日本史の知識がないんですよ。受験勉強で詰め込んだ人って、後になってもちょっと知識が残っているんですよね。僕はそれがないんで、世界でこれが起きた時に日本はどうだったか、というのがぱっと出てこないんですよ。今でも、もし海外の歴史ものを書くとなったら、時代をつかむのに時間がかかるだろうと思います。
――そういえば、時代小説って出てきてませんね。
荻堂:そうですね。山本周五郎は好きだったんですけれど、次に海音寺潮五郎を読んでそこで終わった感じです。
あ、でも山田風太郎を時代小説に入れていいなら、アニメで見て原作も読んだ『甲賀忍法帖』とか、『魔界転生』とかは好きでした。
――高校でも部活は入らなかったのですか。
荻堂:ずっと本を読んだり映画を観に行ったり、ゲームやったりしてたんですけれど、この生活を続けるとやばいだろうと思って。ラグビー部に入ったり、高校卒業するくらいから格闘技を始めたりとかしました。このままじゃ自分が怠惰になりすぎるというブレーキがかかった感じですね。
――なぜまたラグビー部に?
荻堂:友達が多かったので。結局最後までルールを覚えられませんでした。難しかったです。
――練習がめっちゃハードだったと思うのですが、それは大丈夫だったのですか。
荻堂:僕、反復が得意なんで。意味がないことを続けられないタイプの人っていると思うんですけれど、僕はそれができるんです。僕はボールを出すポジションで、ボールを投げてサッカーゴールのポールに当てるのを繰り返す練習があったんですね。綺麗に当たるとボールがちゃんと戻ってくるという。それを1時間とか2時間とか繰り返すのが全然苦ではなかったです。ただ、それが上手くなっても、試合で人に向けて投げるのとは感覚が違うのでラグビーはずっと下手くそでした。なんか、何事においても、そういう人生な気がします(笑)。
――格闘技というのは。
荻堂:ラグビー部には入ったけれど、別に球技は好きじゃないし、コーチにも嫌われていたし怪我も多かったのでどうしようかな、という頃に、WWEっていう海外のプロレスを見てハマって、自分でもやりたいなと思って。それで高校2年生くらいから身体を鍛えだしました。部活はさぼるわけにはいかないけれど、筋トレしていればOKなので。トレーニングルームというのがあって、部活に入っている生徒は鍵を借りられるんで、そこで筋トレしていました。
――反復運動は平気だから黙々とトレーニングに打ち込めるという。
荻堂:飽きなかったですね。
――プロレスを見るだけでなくやってみたいと思ったのは、やっぱり身体を使って何かやりたかったんですかね。
荻堂:演劇もよく観ていたんですけれど、それに通ずるものがあるんじゃないですかね。
僕は本当にひねくれていたんで、あんまり人と喋るのが好きじゃなかったんです。みんな嘘くさいなって思っていたんですけれど、プロレスって、台本があるとしても、身体でぶつかり合うところは本物じゃないですか。そういうのが好きだった感覚はあります。
――高校時代、本の情報を交換する友達はいましたか。
荻堂:いなかったですね。一人で読んでいました。昼休みとか授業中にも本を読んでいたので、仲がいい人は僕が本好きだと知っていたとは思います。
大学に進学する前、行きたい学部を第三希望まで出すんですよ。いくつかルールがあって、そのなかに文学部と文化構想学部は第一希望に書かなきゃいけないという謎ルールがあったんです。第二希望や第三希望にする人に来てほしくないのかもしれないけれど、僕はそんなルール要らないと思いますね。
僕は文化構想学部に行きたかったんで第一希望で書いて、その後内部進学で文学部と文化構想学部に行く人が集められた時に、周りに「なんでお前がいんの」みたいな顔をされたんですよ。そこにいる生徒たちは、「自分はちょっと本を読んでます」とか「映画観てます」って顔してるんですけれど、誰も僕ほどには読んでいないな、という気持ちでした。
――文化構想学部に入ったのは、やはり脚本や小説を書いてみたかったからですか。
荻堂:そうですね。その頃は脚本と小説の違いも分かっていなかったんですけれど、やっぱり何かしたかったので。他のことを勉強する気持ちも特になかったし、そもそも働くっていうヴィジョンがなくて。就職したくないなと思っていたので、ぬるっと仕事に関係なさそうな学部に入りました。
――実際、創作の授業を受けられたのですか。
荻堂:これがまた、そういう学部に行ったくせに、小説なんて習って書くもんじゃないと思っていたんですね。小説を書くコースに行った友達もいたんですけれど、自分は絶対にそこに行かないと思って、全然違うところに行っていました。
なんかずっと、自分の行動って矛盾しているなと思います。小説の授業は全然とらないで、いちばん受講していたのは演劇の授業でした。
――演劇の授業が面白かったのですか。
荻堂:すごく好きでした。僕は人の前に立つのは苦手なんで自分に演劇はできないと思うんですけれど、もし演技の才能があったら絶対やっていたと思います。
今でもゲームやアニメの仕事をしたいと思っているんですが、演劇もやりたいですね。台本を書いてみたい。
自分がいちばん好きなのは小説を読むことだし、それは他の体験にはかなわないと思っていますけれど、やっぱり演劇を観るとちょっと変わりますね。生の演劇はすごくいいなと思う。
――実際にいろんな劇場に足を運ばれたのですか。
荻堂:母親が芝居が好きでよく下北沢に行っていて、僕も学生の時にナイロン100%とかも観にいったし、NODA・MAPの芝居なんかも家にDVDがあったので観てすごいなと思っていました。大学生の時からゴールデン街で働いていて、店にいろんな劇団の人が来るのでその繫がりで阿佐ヶ谷や下北沢の小さい劇場に観に行ったりもしました。
こういう言い方はよくないけれど、演劇ってつまらなくても許せるんですよね。小説は熱い気持ちがあるってことを伝えるハードルが高いけれど、演劇は伝わりやすいというか。キャパ30人くらいの劇場の一人芝居とか、本当につまらなかったんですけれど、真剣に頑張っている姿を見ているうちに、この人の人生いろいろあるんだなと思って最後やっぱり泣けてきたりとかして。
――大学生の時から新宿のゴールデン街で働いていたんですか。
荻堂:働きはじめたのは大学4年の、ギリギリ卒業する前くらいからかな。大学2年生くらいの時に友達がはじめてゴールデン街に連れていってくれて。僕、大学に友達がほとんどいなかったんで、すごく新鮮で。いっときは週7のペースで、話し相手を探しに行く感覚でゴールデン街に通っていました。よく行っていたお店が2階に寝られるスペースがあったんで、お店の人が泊まらせてくれたりして。深夜まで飲んで寝かせてもらって、起きてまた飲む、みたいな時もありました。そうやってずっと通っていたら、「そんなにいるんだったら、もう中の人になりなよ。お金もかからないから」と勧められて働くようになりました。
――お酒強いんですか。どんなお酒が好きなんですか。
荻堂:いや、全然強くないです。ゴールデン街はお酒の美味しさを追求する場所じゃないんで、ビールとかハイボールを飲んでいました。
―――ゴールデン街のお店って、狭いスペースにカウンターがあってマスターやお客さん同士でちょっと雑談して、みたいな感じですよね。
荻堂:そうです。でも、面白いのって最初の1年くらいで、後はその繰り返しだなと思いました。最初は僕も若かったから、世の中ってこんなに面白い人がたくさんいるんだと思ったんです。新しい店に行って、知らない人にも「この人どんな人かな」と思って話しかけていたんですけれど、2年くらい経つと、もうだいたい7パターンくらいしかないと分かってくる。最初のうちは人から悩みとかを聞かされて、「こんなふうに悩んでいる人もいるんだ」とか興味を持って聞いていたんですけれど、だんだん「またその悩みか」みたいになってくる。
よくない言い方なんですけれど、人と話していると、もうこの人からこれ以上の話は出てこないなって思う瞬間ってあるじゃないですか。そう感じるのが早くなっちゃった気がするんですよね。だから、人と出会って話を聞きたいという気持ちがどんどんなくなっていったんです。話しかけても面白くないリスクのほうが高いから話しかけなくなりました。今もたまに飲みに行きますが、行くのは知り合いの店だけだし、新しい人とも一切喋らないです。
――小説を書き始めたのもこの頃ですよね?
荻堂:そうです。家でテレビを見ていたら、NHKのETV特集で「カズオ・イシグロをさがして」という番組をやっていたんです。僕はカズオ・イシグロもすごく好きだったんですね。
そのインタビュー全編いい話だったんですけれど、そのなかでイシグロはずっと基本的に記憶をテーマに書いていて、「記憶は死に対する部分的な勝利だ」って話していて。
僕、このフレーズがすごく好きで。エンタメだろうと純文だろうと、あらゆる小説が最終的に果たすべきことって、これだと思うんですよ。このカズオ・イシグロさんの話を聞いた時に、自分もなにか、記憶というものを書いてみたいなと思いました。
――カズオ・イシグロも読まれていたのですか。
荻堂:読んでいました。僕はカズオ・イシグロの作品の中では『忘れられた巨人』がいちばん好きですね。その後に出した『クララとお日さま』はあんまり好きじゃないです。
――ああ、AIを搭載したロボットと少女の話。
荻堂:やっぱりカズオ・イシグロレベルの人でも、年を取ってからAIみたいな現代のものに手を出すのは難しいのかなと思って。頑張っていてすごいなと思う一方で、そういうことはしないで『日の名残り』みたいなものを書き続けてほしい、みたいな気持ちです。
――年を取ってからAIものを書いたイギリスの作家ということで連想したんですが、イアン・マキューアンとかはお好きですか。
荻堂:マキューアンは『アムステルダム』が好きですね。だから僕、ブッカー賞作家が好きなんですよ。マキューアンもイシグロも受賞していますよね。これもさっきのオタク的権威主義じゃないですけれど、賞を獲ったものは読んでおかなきゃ、みたいな気持ちがあるんですよね。マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』も好きですし。
――他によく読んでいる文学賞といいますと。
荻堂:ミステリーのエドガー賞とか、SFやファンタジーのヒューゴー賞とか。ノーベル文学賞の受賞作は買ってはいるけれどあまり読んでいないんですよね。受賞してから翻訳が出るまでにちょっと時間がかかったりするのでタイミングがずれるというか。まあ、わりと賞基準で選んでいるから、僕、すごく権威主義ですよね。
――権威に立ち向かっていきそうなイメージもあるのに。
荻堂:権威ってただの椅子で、座る人がそれを汚くするだけなんで。そこに座る人次第でよくも悪くもなるんで、わりと胸張って自分が権威主義者だって言えます。
僕は権威ってフェアだなって思うんですね。たとえば読者を獲得する方法としてSNSで頑張って好かれる人間をアピールするとか、どこかに何百万も寄付したことを表明するといったことってフェアじゃないって感じるんですよ。みんながそれをできるわけじゃないし。文芸の賞を獲るってことのほうが自分にとってはフェアだなと感じます。僕は賞に向けて書いているわけじゃないけれど、賞を獲るクオリティの作品を出す、ということはひとつ念頭には置いています。
――アニメや映画の脚本家よりも、小説家になりたいという気持ちが強まったのでしょうか。
荻堂:アニメや映画の脚本家のなり方が分からなかったんです。脚本家のwikiとかを見ても、誰かに弟子入りしていたり、突然キャリアがスタートしていて。たまに映画会社で働いていた、という人もいて僕も一応就職活動はしたんですけれど、受けては落ちるみたいな感じでした。それで、その職業になるなり方がフェアじゃないように感じたんです。でも、小説家は基本的に新人賞を獲ってデビューするじゃないですか。誰でも応募できるし、今どき持ち込みなんてほぼないから、なる方法が賞一択だというのはフェアであるし、自分にもチャンスがあると思いました。
それに、小説家になってステップアップすればアニメや映画の脚本もできると思ったんですよ。逆に、脚本家が小説を出すのって、それなりのキャリアがないと難しいですよね。小説の新人賞に脚本を書いている人が応募することもあるのは、それだけ難しいということだろうし。
――それで小説を書いて応募するようになって。
荻堂:そうですね。自分の中で純文とエンタメを分けて読んでこなかったので、ジャンルは意識していませんでした。小説の書き方の指南書も読まなかったので、思うようにダラダラ書いていたら、初めて書いた小説が42万字くらいになっちゃって。その分量を受け付けてくれる新人賞というと、それまでメフィスト賞が上限なかったのに『図書館の魔女』が出たせいなのか上限が出来てて、他に上限がない賞ということで第3回新潮ミステリー大賞に応募しました。
――最初に書いたものって、具体的にはどんな話だったのですか。
荻堂:わりとボーイミーツガールのミステリみたいな。主人公が、身体のどこかが欠損している人にしか情欲を持てない欠損愛好の大学生の男の子で、その子が、古い屋敷で暮らしている、片足がなくて車椅子で生活している少女に出会う、みたいな。わりと初期の桜庭一樹さんのような、ちょっとゴシックぽいというかホラーっぽいミステリみたいな感じでした。それを締切当日に書き上げて未推敲で応募して、駄目かなと思っていたら「小説新潮」に通過者として名前が載っていたので、才能があるのかな、って(笑)。のちにデビューした後に新潮社の編集者に「第3回にも応募した」と言ったら、「あの作品ですか」ってうっすらと思い出していたので、記憶に残るものが書けたなら良かったと思いました。
――桜庭一樹さんも読んでらしたんですね。
荻堂:全部というわけではなくて、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』、『少女には向かない職業』、『少女七竈と七人の可愛そうな大人』、『赤朽葉家の伝説』、『私の男』、『伏 贋作・里見八犬伝』...。あと2冊くらい。「少女七竈」とか「赤朽葉家」とか『私の男』がめっちゃ好きです。
――第3回以降も新潮ミステリー大賞に応募し続けたわけですか。
荻堂:第3回、第4回、第5回は応募しているんです。第4回の時も例によって書きあがらなくて未推敲で応募して、案の定最終までは残らずその一歩手前だったんですけれど、その時はタイトルを書き忘れたので、「小説新潮」には「無題」って書かれてます。第5回の時は最終の一歩手前の予備選考にも残らなかったので、これはちゃんと考え直そうと思い、なおかつ、応募しておいてこんなことを言うのは駄目なんですけれど、新潮ミステリー大賞より江戸川乱歩賞のほうが受賞作が話題になるんじゃないかと思って、次は乱歩賞に出したんです。
乱歩賞は枚数の上限があるので、そこに収まるように書くのが難しくて、中途半端に縮めたものになったんですけれど。僕、乱歩賞受賞作では藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』がいちばん好きだったんです。それまでは初期の桜庭さんみたいなテイストのものを書いていたんですけれど、乱歩賞に応募しようとなってはじめて、ハードボイルド系の小説を書いたんですね。ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』の日本版みたいな。それが一次にも残らなかったので、またいろいろ考えた結果、最初に書いていた桜庭さんっぽいファンタジックなテイストとハードボイルドを足そうと考えたんです。それがデビュー作となった感じです。
――それが2021年に第7回新潮ミステリー大賞を受賞した『擬傷の鳥はつかまらない』(応募時のタイトルは「私たちの擬傷」)ですね。歌舞伎町の裏社会で、依頼に応じて偽の身分を作って与えることを生業とする女性が主人公。彼女には異世界へ通じる扉を開ける能力があり、この社会で居場所を失くした人を逃すこともできるけれど...という。
受賞前、応募を続けていた期間ってどんなものを読んでいたのですか。
荻堂:わりとランダムに読んでいたのかな。ハードボイルドは読んでいました。明確にこれを読んだからデビューできた、みたいな本があって。ゴールデン街で働いている時に、お客さんから丸山健二をお薦めしてもらったんです。それで『ときめきに死す』と『夏の流れ』を読んで、あのハードボイルド感みたいなものが参考になりました。大学生の時に福永武彦も『忘却の河』とか『廃市』を読んでいたんですけれど、この二人を読んだのが大きかった気がします。
福永さんは文章が参考になりました。『飽くなき地景』を書く時も『廃市』を読み返して、一文の長さとか、読点を打つ一とか、ものすごく参考にしてます。
福永さんってフランス文学もやっていた人のせいか、一文が長いんですよね。読点も文章の意味で打っているというよりは、自分の読ませたいリズムで打っている感じなので、それを参考にしました。
――『飽くなき地景』の文章がものすごく好きだったんですけれど、そうだったんですね。
荻堂:その頃は桐野夏生さんも読んでいました。デビュー作で歌舞伎町で探偵業みたいなことをやっている女の人を主人公にしたのは、やっぱり桐野さんの『顔に降りかかる雨』とかの探偵ミロのシリーズが参考になったし、『グロテスク』や『OUT』も面白くて傑作だと思いました。
あと、貴志祐介さんの『新世界より』もこの頃に読んだのかな。めちゃくちゃ好きでした。貴志さんは『新世界より』の前日譚の「新世界ゼロ年」を途中まで連載されてましたけど、貴志さんが続きを書かないなら自分が書く、みたいな気持ちでデビューしました。
――ミステリの賞からデビューされたわけですが、ミステリ作家を志望していたわけではないんですよね。
荻堂:そうなんです。僕、そこまで国内ミステリは読んでいなくて、デビューしてからはじめて『十角館の殺人』を読んだくらいなんですね。
でも、島田荘司さんはデビュー前から読んでいるんです。大学生の頃に『占星術殺人事件』を読んでめちゃくちゃ面白いと思って。『ネジ式ザゼツキー』とか『異邦の騎士』とかがめっちゃ好きでした。
それで、ミステリ作家でデビューしたからには読まないとやばいなと思って、最初の1年くらいで、ミステリスターターキットみたいなものをググって読みました。「このミス」のランキングに入ったものというより、本格とか新本格好きがお薦めしている国内作品をわーっと読みました。歌野正午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』とか、殊能将之さんの『ハサミ男』とか。
――あ、スターターキットって、私はまた『虚無への供物』みたいな古典的な作品かと思っちゃいました。
荻堂:それはデビュー前にミステリ枠でなく「三大奇書」枠で読んでます。『虚無への供物』と『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』ですよね。それと舞城王太郎も、ミステリ枠ではなく奇書枠で『ディスコ探偵水曜日』を読んでいました。あれは「第四の奇書」と言われていたんで。ミステリ枠では、『ネジ式ザゼツキー』と『ディスコ探偵水曜日』が好きですね。ミステリと言っていいのか分からないですけれど。
――ちなみに国内SFは読まないんですか。
荻堂:光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』とか好きでしたけれど、他は『虐殺器官』の伊藤計劃さんくらいですね。