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矢樹純さんの読んできた本たち 怖すぎて本棚に置けなかった楳図かずお「恐怖」

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「童話、児童書、ホラー漫画」

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

矢樹:母が読み聞かせてくれた絵本です。たぶん3歳くらいの記憶なんですけれど、憶えているのは『しろくまちゃんのほっとけーき』、『ぐりとぐら』、『どろんこハリー』、『ちいさいおうち』。これを繰り返し繰り返し読んでもらっていました。

 小学校に上がるくらいの頃から、子供向けの全集の本をちょこちょこ買ってもらえるようになって、そのなかでよく憶えているのは講談社の「世界のメルヘン」シリーズの『イギリス童話(3) 銀のうまと木馬たち』です。そこに収録されていた「銀のうまと木馬たち」「のぞんでいたものはすべて」「ポールの話」「夜のよなかに」という4つが想像力をかき立てるようなお話で、とにかく好きでした。「銀のうまと木馬たち」は木馬が自由に動けるようになる話、「ポールの話」は小さい箱の中に小人が住んでいるみたいな話、「夜のよなかに」は夜中に起きた子供が想像の世界で遊ぶような話で。今思うとなぜそこまで面白かったのか分からないんですけれど、とにかくその4つの物語にはまっていました。それが小学校2年生の頃です。

 その頃、担任の先生から毎日日記を書くように言われて、私はある時「銀のうまと木馬たち」を真似した話を書いたんですよ。そうしたら、先生に「嘘を書くな」と怒られました。

――どんなことを書いたのですか。

矢樹:記憶が曖昧なんですけれど、花壇の花が蝶になって飛んでいくような内容だったと思います。それで「嘘を書くな」と怒られました。まあパクッてはいるんですけれど(笑)、たぶんそれが自分にとって最初の創作だったと思います。

――パクったことを注意するならともかく、嘘を書いたと怒るのは子供の想像力を押さえつけてしまう気もしますね。

矢樹:まだ若い男の先生で、わりと言葉が雑だったんです。ちょっと話が脱線しますが、運動会の旗を持つ係を立候補で決める時、誰も手を挙げないので私が「やります」と言ったら、その先生が却下して「旗を持つ係はもっと目立つ子が立候補してください」って言ったんですよ。

――ひどい。

矢樹:ですよね(苦笑)。私はその時背も小さくて細くて、確かに旗を持つようなキャラではなかったんです。そういう先生でしたが、日記を書かせるのはいい指導だったと思います。自分も書くのが楽しかったんですよ。みんなが脱落するなか、わりと私は真面目に書き続けていたんです。でも「嘘を書くな」と言われて以降は、中学校で文芸創作クラブに入るまでは特に何か創作しようとは思わなかったです。

――作文はお好きでしたか。

矢樹:わりと「こういうふうに書けば喜ばれそう」と考えて、あざとく書けるほうでした。やはり日記で文章力が培われた気がするので、あの宿題を出してくれた先生のおかげかもしれません。日記はその後も、社会人になって忙しくて書かなかった時期もありましたが、書き続けています。今も《やぎのおたより》という無料のメールマガジンで週に1回、結構な分量の日記を書いていますから。

――小学校時代、どんな本を読みましたか。

矢樹:「ズッコケ三人組」のシリーズにはまりました。江戸川乱歩の「怪人二十面相」のシリーズも図書室にあったのでどんどん読んでいきました。

 うちは父が小学校の教師、母が看護師で、夫婦共働きだけれど、本をたくさん買ってくれるわけでもなかったんです。それよりも家族で行くスキーや登山などのレジャーにお金をかけていました。でも、漫画はわりと家にありました。年上の従兄弟のお兄ちゃんがいい漫画をお下がりでいっぱいくれたんです。『ドラえもん』や『じゃりン子チエ』とか、もうちょっと大きくなってから『AKIRA』とか『火の鳥』なんかの手塚治虫作品とか。その従兄弟は4つ上だったので、自分よりもだいぶ先をいっている感じでした。他にも、ご近所さんから『ベルサイユのばら』や『エースをねらえ!』もいただきましたね。親も本は買ってはくれたんですけれど、それよりももらう割合が高かったように思います。

 あとは、怖いものが好きになってホラー漫画も読むようになりました。

――ホラー漫画は、どのあたりでしょうか。

矢樹:まず漫画雑誌を全部買っていました。これはもう、申し訳ないんですけれど親のお金で買っていました。冬にスキーに行くんですが、春に親のスキーウェアのポケットを探ると、リフト代用のお金がお札で入ったままだったりするんです。それをこっそりとって漫画雑誌を買っていました。「ホラーM」、「ハロウィン」、「サスペリア」とか。

 作家さんの名前で言うと、日野日出志先生は古本で集めていたし、犬木加奈子先生や御茶漬海苔先生は「ホラーM」、伊藤潤二先生は「ハロウィン」でずっと描かれていたのでよく読みました。大好きでした。

 ホラー漫画にはまったきっかけは、お下がりでもらった楳図かずお先生の『恐怖』ですね。ものすごく怖かったんです。お下がりなのでカバーもかかっていないグレーの表紙の状態で、ちょっと禍々しい感じがして本棚には入れられないくらい怖かった。なので、禍々しさをちょっとでも抑えるために、読んでは座布団の下にいれていました(笑)。

 私は基本、怖がりなんですよ。子供の頃、2階に自分の部屋があったんですけれど、電気がついていないと怖くて階段を上がれませんでした。霊感も一切ないのに、なにかが見えたらどうしよう、みたいな怖さがありました。それでもホラー漫画は好きで繰り返し読んで、好きな作家さんは古本屋で集めていました。

――ごきょうだいはいらっしゃるのですか。

矢樹:うちは3人姉妹なんです。妹2人は私が読んでいるものを読む、という感じでした。それぞれ3歳、4歳ずつ離れていて、のちに真ん中の妹と漫画家でコンビを組むことになります。

「中学時代にはまった作家」

――振り返ってみて、どんな子供だったと思いますか。

矢樹:友達は少なめで、1人か2人の友達とどっぷり遊んでいる感じでした。活発ではあったと思います。日中はだいたい外で遊んで、家で本を読むのは夜でした。青森だったのでわりと自然がすぐそばにありました。トトロの世界のような林があって、そこにどんどん分け入っては沼のほとりで水鳥の卵を見つけたりして。近所に田んぼもありましたし、馬を飼っているいる牧場があって、そこの馬に勝手に草をあげたりしていました。

 一人遊びで地図も作っていました。教育テレビに「たんけんぼくのまち」という、チョーさんという人が自分の住んでいる街の地図を作る番組があったんです。それを見て自分も地図を作ろうと思い立ち、ノートを持って遠くまでとぼとぼ歩いていっていました。

 それと、親が山好きで、山登りや渓流釣りにもつき合わされていましたね。

――本格的な登山だったのですか。

矢樹:日帰りで行くこともありましたが、年に一度テントを張って山に泊まっていました。私が中高生くらいの頃は、白神山地に入れたんです。米と味噌だけ持っていって、野菜類は山菜を採り、タンパク質はイワナやヤマメを釣るという過酷なキャンプを父が発案して。父や伯父や父の友達といった山男たちの登山に家族が巻き込まれる形で、お盆の時期に3泊4日で行っていました。一回川が増水して帰ってこられなくなって4泊したこともありました。

 楽しいは楽しいんですよ。でも、ロープもない岩肌みたいなところを渡ってパシャンと水の中に落ちたりしていました。私のリュックに米が入っていたので、私よりリュックの心配をされたという(苦笑)。

――中学生時代の読書はいかがでしたか。

矢樹:中学生になるとお小遣いで好きな本を古本屋さんで買うようになりました。でも100円の棚に並んでいるものしか買えないから、結構いろんな古本屋さんをまわって探しましたね。中学生の時によく読んでいたのが星新一先生と赤川次郎先生で、とにかくコンプリートしようとしていたんです。

――お二人とも著作数が多いですよね。

矢樹:なので集めるのが大変でした。本棚もパンパンになって、隣の部屋の父の書斎にも若干浸食していました。

 父の本棚にあった内田康夫先生と佐野洋先生を読んで「これは揃えなきゃ」と思って、父に代わって揃えだしたりもしました。他にも、全部読んだわけではないんですけれど、なぜか中学生で西村寿行先生を読んで、「これは大人だ...」って(笑)。

 そうした渋めの路線とは別に、綾辻行人先生、有栖川有栖先生、京極夏彦先生、森博嗣先生、霧舎巧先生、高田崇史先生といった講談社ノベルスを読み始めました。メフィスト賞を獲っていたらだいたい読むと決めて、どんどん新本格を読んでいったのが中高生の頃でした。

――さきほど、中学校で文芸創作クラブに入ったとのことでしたが。

矢樹:部活動とは別に、週1回のクラブ活動があって、私は3年生の時だけ文芸創作クラブに入ったんです。その時に影響を受けたのが、教科書に載っていたレイ・ブラッドベリの「霧笛」(『ウは宇宙船のウ』などに収録)でした。あれは灯台の霧笛を聞いて海の底にいる恐竜が姿を見せる話ですよね。そのアナザーストーリーみたいなものを書いたんです。それを読んだ真ん中の妹がブラッドベリを知らなくて、海の底に恐竜がいる設定から私が作ったと勘違いして、私を天才だと思って(笑)。のちにその妹が漫画を描いて私が原作を担当することになるんですけれど、きっとこの時に私が天才だと思いこんでいたから、「お姉ちゃんとならいける」と思ったんでしょうね。

――文芸創作クラブを選んだということは、書いてみたい気持ちがあったのでしょうか。

矢樹:書いてみたい気持ちはあったと思います。でも最後まで書けたのは「霧笛」のアナザーストーリーくらいでした。クラブでは短歌も作っていました。先生が自分で短歌の冊子を出している方で、そこに自分の短歌を載せてもらえたのがすごく嬉しかったです。

――文芸創作クラブでは本の情報を交換しあうような交流はあったのですか。

矢樹:いえ、本はずっと1人で読んでいた感じです。当時たまというバンドにめちゃめちゃはまっていたので、たま仲間の友達と一緒に気に入ったたまの歌詞を書く、みたいな遊びはしていたんですけれど(笑)。

「怖がりだけど怖いものが好き」

――高校時代も引き続き興味のある作家を読み進めていたのでしょうか。

矢樹:そうですね。だいたいはまった作家さんをどんどん読んで集めていく感じでした。

――小説や漫画以外に、映画やアニメなどではまったものはありますか。

矢樹:レンタルビデオ屋さんの怖い作品の棚を制覇しました。その頃は7泊8日で4本ずつくらい借りられたので、毎週行ってはマックスの本数借りて、観て返したらまた同じ本数を借りて。怖い話を集めた怪談ビデオとか心霊動画とか、映画も「13日の金曜日」や「エルム街の悪夢」とか...。青森の実家近くのビデオ屋にあったホラー・心霊系は全部観ました。

――......怖がりなんですよね?

矢樹:はい。なので耳をふさいで薄目で観て、驚いてびくっとしながら観ていました。

――映画は海外作品が多かったのでしょうか。「リング」や「らせん」が公開されたのはもうちょっと後になりますかね。

矢樹:そうですね。もちろん「リング」も観ました。あれは衝撃でした。和モノって海外のホラーとはまた違いますよね。もうちょっと後に観た「呪怨」や「リング」の中田秀夫監督の「女優霊」も本当に怖かった。でもがっつり観てしまうんですよ。

――怖がりなのに、どうして観てしまうんでしょうね。ホラー映画を観てストレス発散する、という人もいるようですが...。

矢樹:そういう人は陽の方ですよね。私は観ていると心臓が痛くなるので、むしろストレスがかかっています(笑)。でも観るとなにか脳内麻薬が出るんでしょうね。

 本格ミステリを好きになったのも、とにかくびっくりするというのが自分の中ですごくポイントだったからだと思います。たとえば叙述トリックで最後の最後に「そうだったのか!」となった時のぐうっとなる感じが好きなんですよ。たぶん私は読書に興奮を求めているんです。ホラーもそうなんじゃないでしょうか。

 だから、30、40になるまで落ち着いた読書をしたことがなくて。私は作家になるような人たちが読んできたであろう作品を一切読まずに大人になったんです。大人になってからようやく小川洋子先生を読んで、「これはすごいな」となりました。今でも、これまで読んでこなかったジャンルの本を読んで新鮮に感動しています。

――高校時代はなにか部活をされていたのですか。

矢樹:帰宅部でした。本当は柔道をやりたかったんです。中学も柔道部に女子部がなくてバドミントン部に入って体力だけはついたので、それで父の山やキャンプについていけたんですけれど。高校に行ったらやっと柔道部に入れるかなと思ったら、また女子部がないと言われて諦めて、他の運動をするのはもう面倒だったので帰宅部になりました。帰り道に図書館があったので寄ったり、古本屋さんを巡ったりしていました。たぶん中学時代よりも読書量が増えたと思います。講談社ノベルスとか、メフィスト系の作家さんたちをずっと読んでいました。

――そのなかで楳図かずおさんの『恐怖』を読んだ時のような、「すごい」と思う作品はありましたか。

矢樹:格好いいと思ったのは舞城王太郎先生ですね。『煙か土か食い物』とか。それまで読んだことのない感じの文章だったんですよね。文章だけでこんなに人を興奮させることができるのか、と思いました。それと、麻耶雄嵩先生はストーリーの容赦のなさがすごく格好よく思えました。『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』『痾』などのメルカトル鮎シリーズが好きでした。舞城先生と麻耶先生のお二人には、興奮とはまた別の、貫かれて刺されるような衝撃を受けました。

「大学生生活、漫画原作デビュー」

――大学の専攻はどのように選ばれたのですか。

矢樹:親に県内の大学にしてと言われたので、ほぼ選択肢がなくて。文系の学部というと人文学部か経済学部しかなくて、経済にはそれほど興味がなかったので人文学部にしました。何かを学びたいというよりは、興味のないことを学ばないために人文学部に行った感じです。一応、倫理学のコースを専攻して、卒業論文は脳死や尊厳死について書きました。

 はじめは青森の実家から弘前の大学に1時間半かけて通っていたのですが、親が一人暮らしさせてくれるというので、1年生の夏休みから一人暮らしも始めました。

 基本、大学では麻雀をしていました(笑)。あとは、フォルクローレという民族音楽のサークルに入ったんです。中南米の音楽で、「コンドルは飛んでいく」が有名ですね。当時のおじさんおばさん世代に人気だったジャンルなので、大学のバンドなんですけれど営業が多かったですね。ライオンズクラブみたいなところに呼ばれていっては、結構な額のギャラをいただいていました。

――楽器はなにを担当されていたのですか。

矢樹:チャランゴといって、スペイン人が南米に持ち込んだギターの前身の楽器を真似て、アルマジロの甲羅で作られた複弦の楽器です。アルマジロは高いので、私が持っていたのは木製です。夫とはそのサークルで知り合ったのですが、夫はアルマジロ派でした。

 サークルでその活動をして、研究室では麻雀をして。本も読んでいました。この頃に島田荘司先生の『占星術殺人事件』を読んで、はじめて自分でミステリ小説を書こうとしたんですよ。プロットも作らずいきなり書き始めて、頑張って数行書いて「ふうーっ(溜息)」となって終わりました(笑)。

――相変わらず読書は新本格が多かったのですか。

矢樹:そうですね。他には、麻雀の漫画雑誌を(笑)。「近代麻雀ゴールド」など、いろいろ出ている麻雀漫画雑誌を全部読んでいました。「スピリッツ」や「ヤングサンデー」も含めて、研究室のみんなでかわるがわる買っていたと思います。このあたりで西原理恵子先生の『まあじゃんほうろうき』を読み、西原先生にはまりました。他にも麻雀漫画は面白いものがたくさんありましたね。片山まさゆき先生の漫画もよく読んでいました。

――麻雀がお好きな小説家って多いですよね。それこそ綾辻行人さんとか。

矢樹:そうなんですよ。大好きな綾辻先生が大好きな西原先生と一緒に麻雀を打っていると知った時は嬉しくて。完璧だと思いましたね。自分はもう、今は打てる環境にはいないんです。家に麻雀牌もマットもあるんですけれど、相手がいなくて。

――お強いのですか。

矢樹:いや、本当に強くないし、何も考えずに打っているだけでした。点数計算も誰かに任せていましたし。でも好きだから、誘われたら一切断らなかったんです。

――卒業後はどうしようと考えていたのですか。

矢樹:残念なことに就職氷河期だったんです。本に関わる仕事がしたいとはふわっと思っていたんですけれど、何も努力をしてこなかったので、「まあ無理だな」と思っていました。就活して出版社に行くというのはすごく遠い世界でした。とにかくどこかに就職しなきゃということで、採用人数が多いから流通ならもぐりこめるだろうと。流通に絞って就活して採用されて、寝具インテリア売り場に配属になって大量の布団を積んだり、スチールラックの見本を組み立てたり、力仕事をしていました。

 それで激務でヘロヘロになって、結婚して仕事を辞めることになったんです。夫が横浜で働いていたので、私も横浜で別の仕事を探そうとしていたタイミングで、真ん中の妹が就職をしないで漫画家になる宣言をしたんです。「そっか」と思っていたら、「お姉ちゃんが原作を作って」って。妹も大学卒業後に東京に来たので、それで妹と第1作を作って「スピリッツ」に投稿したら、その1作目で担当さんがついてくれたんです。いきなり担当がつくなんて、これはいけるぞ、となりました。そこから連載を持てるまでが長かったんですけれど、私も妹も「自分たち才能があるかも」と思ってしまったんですよね。

――妹さんは昔から漫画を描かれていたのですか。

矢樹:妹は中学で美術部に入っていたので、そこで漫画を描くことに触れたのかもしれません。でも、高校では柔道部にいたし、大学も中国の文学だったか歴史だったかを学んでいたので、漫画家になりそうな感じではなかったです。大学4年の時に急に就職しないで漫画家になるって言いだしたんですよ。私は妹よりは堅実な人間だったので、通信教育で校正者の資格を取って、求人誌の校正のアルバイトをしながらコンビ漫画家を目指していました。

――原作を作ってくれと言われて、すんなりアイデアは浮かんだのですか。

矢樹:最初はギャグ漫画だったんです。とにかく面白いことを考えればよかったんですけれど、一人目の子供を産んだあたりから、自分にはギャグの才能がないなと気づき始めて。それでストーリー漫画に転向しました。

 ストーリーはどうやって考えていたんだろう...。1作目はSFファンタジーみたいな不思議な話を書いたんですよね。私は「ガロ」系の漫画がすごく好きだったので、それらしいものを頑張って書いていました。でも読み切り1本なら載るんですけれど連載まではいかなくて。その頃は加藤山羊という共同ペンネームで漫画を作っていたんですが、編集さんに「加藤さんが作る話はすごく小説的なんですよね」って言われました。駄目出しされていることは分かるんですけれど、そもそも本格ミステリ以外の小説をあまり読んでいないので、小説的と言われても「なにが?」と思うくらい言葉の意味が響いてきませんでした。それで、「どういうものを書いたらいいんですか」と訊いたんです。作者がそんなことを訊くなんて呆れられてもおかしくないけれど、編集さんも優しくて、「うちで求めているのはとにかくドラマ化や映画化されるような話です」って。私は「ガロ」系の漫画が描きたかったので、若干ふてくされながら「じゃあそういうものをやります」と言って描いたもので連載をとりました。

――それが『イノセントブローカー』なんですね。

矢樹:そうです。たぶんジャンルとしてはクライムサスペンスになると思うんですけれど、裏社会もので、売りたいものを持ち込んできた客と買ってくれる相手をマッチングするブローカーの男が主人公の話です。

――裏社会とかブローカーといった題材はもともと関心があったのですか。

矢樹:いやあ...。この頃は「実話ナックルズ」とかを読んでいたので、自分の思考が裏社会に向いていたのかもしれません(笑)。デビュー前に投稿していたのも青年誌でしたし、もともと裏社会のことを描いた漫画も昔から読んでいましたし。

――その頃、小説もいろいろ読まれていましたか。

矢樹:新本格をずっと読んでいたなかで、三津田信三先生の小説と出合ったのが小説を書こうと思ったきっかけなんです。

 漫画は増刊でしか連載をさせてもらえない状況で本誌を目指していた頃に「ヤングサンデー」が休刊になって、そこで描いていた作家さんが「スピリッツ」に流れてきたんです。それこそ裏社会ものの『クロザキ』とかがこっちに来たので、自分たちが裏社会ものを描くのはもう無理だなと思いました。そういうタイミングの時に三津田信三先生の作品を読み、自分もこういう小説が書きたいと思ったんです。作家三部作と言われている『忌館 ホラー作家の棲む家』、『作者不詳 ミステリ作家の読む本』、『蛇棺葬』と『百蛇堂 怪談作家の語る話』を読んで、ホラーであり優れたミステリでもあるということにかなり衝撃を受けました。

 漫画の仕事では先に進めないかもしれないと思いはじめていたので、そこで別の道に挑戦してみようと、はじめて先にプロットを考えて小説を書いたんです。漫画原作でプロットを先に作ることは学んでいましたから。今回は数行で終わることなく、コツコツコツコツ書いて長篇を仕上げました。それをメフィスト賞に送ったら、落ちたんですけれど「中盤から残念な感じになっている」みたいなアドバイスをいただいたんです。それで中盤以降を書き直して『このミステリーがすごい!』大賞に送ったら、「隠し玉」として刊行されることになりました。

「小説家デビュー、読書」

――2012年に『このミス』の「隠し玉」として出された『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』がはじめて書いた長篇だったわけですね。応募作のなかで受賞には至らなかったものの編集部推薦で刊行されるのが「隠し玉」です。

矢樹:その時に一緒に「隠し玉」に選ばれたのが岡崎琢磨さんの『珈琲店タレーランの事件簿』、堀内公太郎さんの『公開処刑人 森のくまさん』、篠原昌裕さんの『保健室の先生は迷探偵!?』でした。私の本はぜんぜん売れなくて、2冊目を出すのが厳しい感じになってしまって。

 それで、kindleで個人出版をしつつ、再デビューしようと思って別の短篇賞に送ったところ最終候補に残った上で落ちてしまって。デビュー後に新人賞的なものに落ちると、「自分がデビューしたのは間違いだったんじゃないか」という気持ちになって結構精神的にきついんですよ。また新人賞に応募するのは心がもたないと思って、エージェント会社に作品を見てもらうことにしたんです。

 自分でエージェントをいろいろ調べて、アップルシードエージェンシーさんに連絡したら、会ってお話を聞いていただけることになって。書き溜めていた短篇から家族をテーマにしたものを選び、書き下ろしを加えて出すことになった短篇集が『夫の骨』なんです。

――『夫の骨』は2019年に刊行されて、翌年表題作が日本推理作家協会賞の短編部門を受賞しましたね。受賞作以外も、どれもひねりの効いた展開ですごく面白かったのですが、短篇は得意だったのでしょうか。

矢樹:いえ、むしろずっと書いたことがなくて。再デビューを目指していた時期に、書いたものに意見してもらいたくて、漫画の編集さんにお願いして小説の編集者さんと繋いでもらったんです。そうしたら「練習のために短篇を書いてみたら」と言われ、そこからは月に1作短篇を書いていました。ただ、だんだん原稿を送っても返事がこなくなって、連絡つかなくなっちゃったんです。すごくお世話になった方なので、最後にそんな形になってしまったのが心苦しいんですが、そうしたこともあってエージェントに相談しようと思ったんです。

 その編集さんに「短篇を書いてみたら」と言われて「新本格しか読んだことがない」と言った時、「こういう人を読めばいい」と教えていただいたのが、小池真理子先生と連城三紀彦先生でした。読んでみて、「なるほど短篇ってすごいんだな」と思いましたね。短篇の格好よさを知りました。連城先生は最初に『戻り川心中』を読んではまって、『変調二人羽織』や『夜よ鼠たちのために』といった短篇集を読んでいって、最終的に作家コンプリートしました。小池先生はたしか、最初にちょっと怖い短篇集を読んだんです。『記憶の隠れ家』、『妻の女友達』などを憶えています。

 その編集の方が、お薦めの短篇集とは別にお薦めの作家さんとして教えてくださったのが沼田まほかる先生でした。それで沼田先生の『痺れる』という短篇集を読んだら、全部すごくよかったんですけれど、特に「林檎曼荼羅」という短篇がすごく刺さって。自分もこういうものが書きたいと思って書いたら全然違うものができた、というのが「夫の骨」だったんです。

 その前から桐野夏生先生や宮部みゆき先生は読んでいたんですけれど、この時期からいろいろ新本格以外のミステリも読むようになって、読書の幅が広がっていきました。

――「夫の骨」で推協賞を受賞されて、お仕事の環境は変わりましたか。

矢樹:そこからはわりとお仕事をいただけるようになり、原稿を編集さんに読んでもらって意見をいただいて直して、という作業ができるようになりました。意見をもらいながら書くことで力がついていくものなので、そこからやっと作家人生が始まったように感じています。

――その後は2020年に短篇集『妻は忘れない』、2021年に初の単行本での短篇集『マザー・マーダー』、2022年に長篇『残星を抱く』、2023年に『幸せの国殺人事件』、2024年に『血腐れ』と『撮ってはいけない家』と、順調に本を出されていますね。

矢樹:推協賞を受賞したのが2019年なので、まだまだ作家歴が浅い気がしています。

――矢樹さんは短篇を書く時、トリックとシチュエーション、どちらが先に浮かぶほうですか。

矢樹:最初のうちはトリックが先でした。だから、トリックが先行して人物が書けていなかったんです。でもだんだん登場人物を掘り下げることが先になってきて、今は半々くらいで書けるようになってきました。

「最近の読書と執筆」

――その後の読書生活はいかがでしょう。

矢樹:作家を目指しはじめた頃からすごく好きになったのが平山夢明先生です。書くものにも時々影響が出てしまいますね。短篇集の中に他とはちょっと違う感じがのものが混じっている場合、だいたい平山先生の影響です(笑)。『マザー・マーダー』だったら3番目の短篇「崖っぷちの涙」です。『彼女たちの牙と舌』も幕間の部分は読む人が読めば「ああ、この人平山先生が好きなんだな」って思うと思います(笑)。

――平山さんはどの作品がお好きですか。

矢樹:最初に読んだのが、それこそ表題作が日本推理作家協会賞の短編部門を受賞された『独白するユニバーサル横メルカトル』で、あれで衝撃を受けたんです。同じ賞を獲れた時はもう嬉しくて、受賞コメントも「平山先生と同じ賞なので嬉しいです」ということを無邪気に語ったんです。そうしたら、『スワン』で長編部門を受賞された呉勝浩さんが、もう私とは全然次元が違って日本のミステリ界を見据えた立派なスピーチをされて。作家としての差をすごく感じました(笑)。

 呉さんは『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』を読んではまって、すごく読んでいたので、同じ場所にいることが信じられないくらい嬉しかったですね。授賞式はコロナ禍だったのでリモートだったのですが、コメントを撮る時にお会いできたんです。そもそも京極夏彦先生から直接受賞の連絡がきたこと自体も、こんなことがあるのかという感じでした。

――平山さん以外に、ホラーでお好きなのはどなたですか。

矢樹:鈴木光司先生は、映画を先に観てから原作の『リング』を読んだら、なおのこと面白くて。貴志祐介先生と小林泰三先生のホラーも好きです。貴志先生は最初に読んだのが『黒い家』で、そこから作家買いしています。『天使の囀り』やSF的な世界観の『新世界より』も好きですね。小林先生は『玩具修理者』がもう、本当に怖くて。こんなこと起きたら最悪だ、という怖さですよね。それと、『東京結合人間』ではまった白井智之先生も、『死体の汁を啜れ』や『エレファントヘッド』などほぼ全作読んでるくらいファンです。

――ミステリやホラー以外の読書も幅も広がったのですか。先ほど小川洋子さんのお名前が挙がっていました。

矢樹:そうですね。小川洋子先生は最初にチェスの話の『猫を抱いて象と泳ぐ』を読んで、すごいなと思って、そこから『博士の愛した数式』といった有名な作品も読んで、そっちもいいなと思って。まだ読めていない作品もあるので、これから楽しみがいっぱいあります。

――矢樹さんはミステリ、ホラー、さらにそれらを融合した作品をお書きになりますが、毎回どのよう作品のテイストを決めているのですか。

矢樹:依頼にあわせて、です。ただ、『撮ってはいけない家』の時は編集さんから「ミステリを」と言われていたんですが、はじめて講談社からいただいたお仕事だったので頭に三津田信三先生しかいなくて(笑)。ホラー×ミステリの企画書を出したら通ったので、そのまま連載させていただくことになりました。

――『撮ってはいけない家』は、とある家で撮影を開始したホラーモキュメンタリーの撮影班が奇妙な現象に見舞われていく話ですよね。あれは本当に怖かったです。かと思えば、幻冬舎から刊行された新作『彼女たちの牙と舌』はまたまったく違うクライム・サスペンスですね。

矢樹:幻冬舎といえば、私は沼田まほかる先生の『彼女がその名を知らない鳥たち』がすごく好きで。

――自己中心的な女性と、彼女に尽くす年上の中年男の話ですよね。ある時刑事がやってきて、彼女の元恋人が行方不明だと告げられて...というミステリです。

矢樹:私の中ではあれは、最高の恋愛小説なんです。幻冬舎の方にお会いした時に沼田先生のあの本が大好きですという話をしたら、「その作品は私が担当しました」って。もうその時点で肩に力が入って、これはもうすごい小説を書かなきゃいけない、ってテンションが上がりました(笑)。なので『彼女たちの牙と舌』というタイトルも若干沼田先生の影響を受けているし、あつかましいですけれど、装丁も『彼女がその名を知らない鳥たち』と同じ泉沢光雄さんにお願いしていただいたんです。

――『彼女たちの牙と舌』は、中学受験を控える子供を持つ母親4人が視点人物となる連作です。そのうち1人が闇バイトに加担して窮地に陥り、他の3人も巻き込まれていく。着想はどこにあったのですか。

矢樹:編集さんが『夫の骨』を読んで連絡をくださったこともあり、家族ものの連作短篇というご提案でした。最初の打ち合わせの少し前に、主婦が闇バイトをやって逮捕されたというニュースがあったんですよ。闇バイトって若い人がやることだと思っていたので、主婦ということにびっくりして。それがずっと頭にあったので、桐野夏生先生の『OUT』みたいな感じで、主婦たちが特殊詐欺に関わっていく連作短篇はどうかとお話ししました。各話で主人公を変えていくことにしたんですが、二話以降はわりと話が続く長篇のようなプロットになりましたね。

――話が進むについてお互いに隠していることや、それぞれの家庭の事情や意外な行動が見えてきて、思いもよらない展開となっていく。構成が絶妙でした。

矢樹:視点人物が変わるたびに、「ああ、そういうことだったんだ」とか「あれは違った意味だったんだ」と思ってもらえるように意識しました。やっぱり、視点人物が変わる連作短篇だからこそできることだなと思って。

――作中で特殊詐欺側の人間が、若い人より主婦のほうが守るものがあるから一生懸命働いてくれる、みたいなことを語るじゃないですか。あれが本当にリアルで怖かったです。この母親たちも子供の受験があるから、なおさら切羽詰まっている。

矢樹:受験生を抱えた秋から冬にかけての時期って、いちばん家の中がピリピリしますよね。まったく波風を立ててはいけないこの時期にこんなことが起きたら、もう本当にひどいなっていう。

――矢樹さんの作品はハッピーエンドもバッドエンドもあるので、これはどうなるんだろうと思いながら読みました。毎回、作品の着地点をどちらにするかは、どのように考えるのですか。

矢樹:長篇でも連作短篇でも、モヤモヤしたものを残さないように気を付けています。嫌な結末であってもよい結末であっても、ちゃんと落ちているかどうかを考えるんです。ひどいことしか想像できないようなラストでも、しっかり着地しているなら自分の中では大丈夫なんです。

 ただ、ホラーは若干ミステリとは違う落とし方をしますね。落としてはいるけれど、モヤモヤっとした読後感が残る短篇もあるかと思います。

――ホラーはそういう余韻がたまらないですよね。ところで、1日のルーティンや執筆時間はいかがですか。

矢樹:朝、子供たちが出掛けた9時半くらいから夕食の支度をする時間までリビングで原稿を書いています。今はちょっと忙しくなったので食事の後も寝室で仕事をしていますが、本当は、ご飯支度の後はお酒を飲みたいです(笑)。

――今後のご予定はいかがですか。

矢樹:以前、kindleで『或る集落の●』というホラー短篇集を個人出版したんですけれど、それに加筆したものを7月中旬に同じタイトルで講談社から単行本で出します。これは『撮ってはいけない家』と対になるような怖いデザインになります。また現在、文藝春秋の「オール讀物」で連作短篇シリーズ『刑事総務課は眠らない』、PHP研究所の「WEB文蔵」で同じく連作短篇の『怖い客』を連載しています。それと7月下旬から朝日新聞出版の「web TRIPPER」でも連載開始予定で、こちらは短期連載終了後、9月上旬に文庫短篇集としてまとまる予定です。

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