1. HOME
  2. コラム
  3. 中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」
  4. 開幕へ、自己顕示欲は封印。安藤宏『「私」をつくる』に学ぶ先発の心構え 中江有里

開幕へ、自己顕示欲は封印。安藤宏『「私」をつくる』に学ぶ先発の心構え 中江有里

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 2025年3月、大谷翔平選手がMLB東京シリーズ開幕戦で来日。日本はメジャーリーグの熱戦で盛り上がった!
 個人的に楽しんだのは前哨戦。昨年のワールドシリーズを制覇したロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブスの両チームと阪神タイガースとのプレシーズンゲーム。

 阪神VSカブスは、門別啓人投手が5回をパーフェクトピッチング!
 阪神VSドジャースでは、才木浩人投手が大谷選手らを打ち取る姿に箸(食事中)を握りしめ、佐藤輝明選手がスリーランホームランを打った瞬間は「テル―!!!」と叫び、箸を落とした。
 2試合とも3-0。阪神がメジャーを無失点に封じ込めた。

 阪神世界一! と声を大にした! が、才木投手は冷静だった。
 試合後のインタビューで「皆さん気づいてないかもしれないですけど、まだ開幕してないので」。
 そうだ、まだ開幕してなかった。

 長いペナントレース。143分の1ではあるけど、最初の特別な一戦。それが開幕戦。

 今年のわたしの開幕は3月28日、広島のマツダスタジアム。おそらく客席は赤いカープファンで染まる。
 各チームの開幕投手は出そろった。
 我が阪神タイガースは2023年、31イニング連続無失点を記録した村上頌樹投手。

 しかしどんなにすごい投手にも、調子の波はある。
 メタメタに打たれて、マウンドを降りる先発ピッチャーの姿を見るのは居たたまれない。
 この特別なマウンドを任されるセ・パ12人の投手たち。栄誉でもあり、すごいプレッシャーでもあるだろう。

 閑話休題。
 今年はわたしにとって27年ぶりの主演映画「道草キッチン」(白羽弥仁監督)が公開される予定だ。

 実は昨秋のクライマックスシリーズ1stステージは、映画ロケの空き時間の控室で阪神の敗退を見届けた。
 その夜、出演者、スタッフとの食事会があった。会場へ顔を出すと、私と同じく阪神ファンの白羽監督から言われた。

 「中江さん、(阪神が負けたので)ガックリして来られないかと思いました」

 安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』は近代小説を入り口にした小説の読み解き本。
 書き手として、演者としてめちゃくちゃ面白くて興味深い一冊だ。
 それはさておき、今回取り上げるのはこの一文。

 「自分で自分の書いた日記を読み返し、そこに描かれている『私』の姿にとまどいや自己嫌悪を感じた経験はないだろうか」

 ここでいう「私」とは美化した「私」だったり、少々自分に都合よく書かれた「私」だったりする。書いた私が気恥ずかしくなる「私」が日記の中にいる。

 そう、「私」にはたぶん自己顕示欲的なものが含まれる。立派な結果を残したい、他者から賞賛されたい、それが自己顕示欲。
 日記なら構わないけど、こんな欲にまみれた「私」をできれば人前でさらけ出したくない。

 野球の先発ピッチャーは、良い結果を出そうとする自己顕示欲にかられると、力みまくって球が荒れる。よくあることだという。

 昨秋、私は先発ピッチャーをイメージし、映画に臨んだ。めざすのは良い結果ではなく、チーム(映画)の勝利。

 そもそも映画は出演者、スタッフが力を合わせた総合芸術。「私」という自己顕示欲は(なるべく)封印する。良い映画になれば、最終的に自分の評価にもつながっていく(のが理想)。

 「中江さん、(阪神が負けたので)ガックリして来られないかと思いました」

 阪神がCSで敗退した夜の食事会でそう言われて「私」は笑顔で返した。

 「負けたのは仕方ありません。でもこれで終わりじゃないですから」

 確かにガックリきていた。でもこの会合は、1カ月近くにわたる映画ロケの、いわば開幕戦。
 ここで先発ピッチャーが打ちのめされた姿を見せたら、チームは崩壊する。
 気を取り直し、己を奮い立たせた。

 あれから5カ月。今年の阪神は強いはず。目指すべき場所はもうわかっている。
 開幕は目前だ!