
ISBN: 9784087817614
発売⽇: 2024/12/05
サイズ: 13.4×19.4cm/328p
「対馬の海に沈む」 [著]窪田新之助
とり憑(つ)かれたように深い闇の中を進む著者の足音が響く。動悸(どうき)が伝わる。暗い情景が浮かび上がる。底のない穴に落ちていくような感覚に襲われる。
その先に何があるのか。私もまた、著者の耳目となって追体験を重ね、真実の行方を探す。
並々ならぬ熱量を感じさせる、凄絶(せいぜつ)というほかないノンフィクションだ。
国境の島、対馬(長崎県)で44歳の男が死んだ。運転していた乗用車もろとも、岸壁から海に向かって転落した。
男は対馬農業協同組合(JA対馬)の職員だった。彼の死はJA対馬だけでなく、JAグループ全体にも衝撃を与える。男はJAの共済事業において、全国トップクラスの実績を持つ凄腕(すごうで)営業マンだったからだ。
人口3万人ほどの離島である。過疎化も進む。そんな島で、トップセールスの座を維持してきた。「モンスター」「神様」「天皇」の異名を持ち、いつしか絶大な権力を掌中に収めてもいた。一方、男には巨額横領の疑惑もあった。実際、死後明らかとなった被害総額は約22億円にものぼる。
彼を死に至らしめたものは何か。横領の真相は何か。組織はなぜ「モンスター」の存在を長きにわたって許容してきたのか。
様々な疑問を抱えて著者は奔(はし)る。
ミステリー小説のような展開だ。細かなピースを繫(つな)ぎ合わせるようにして、薄闇で視界が遮られた風景に明かりを灯(とも)していく。男の上司や同僚だった人物をはじめ、関係者に片端から「当てて」いく。何も知らないのだと取材を拒む者がいる。離島ならではのムラ社会は、突然飛び込んできた取材者というヨソ者に拒否反応を示す。他方で、おそるおそる口を開く者もいた。
不正の手口には啞然(あぜん)とするしかない。男は架空の契約を繰り返すなどして、多額の歩合給と顧客に支払われるべき共済金を手にしていた。さらには「軍団」と称するインフォーマルグループをつくり、強固な団結で意に沿わない職員を排除する一方、仲間内には様々な恩恵を与えてもきた。一介の営業マンでありながら、アメとムチで支配体制を築き上げた。
複雑難解な共済の仕組み、JAの特異な体質については、農業専門紙の記者だった著者のていねいな解説が読み手の理解を助ける。
執拗(しつよう)な取材の果てに、海の底に沈んだ真実が見えてくる。薄氷上で踊り続けた男の破滅は、「共犯者」として利益を得てきた組織の病根をもあぶりだしたのだ。
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くぼた・しんのすけ 1978年生まれ。ノンフィクション作家。日本農業新聞で農政や農業生産の現場を取材し、2012年からフリーに。著書に『データ農業が日本を救う』など。本書は開高健ノンフィクション賞受賞作。