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東畑開人「雨の日の心理学」 専門性のおすそわけと目配り

 心のケアの道しるべとなる本だ。いっけん、ありがちな軽めの心理学読み物のように見えるかもしれない。けれども、本書の新しさは、この著者が「交通」の人だということにある。

 東畑開人は、心理療法、特に精神分析の専門的な訓練も受けながら、その場所に安んじることがない。そもそも一般向けのデビュー作が沖縄のスピリチュアルヒーラーを取材したものであった彼は、専門性の重要性を認識しながらも、こころのケアが家族や学校や職場といった民間セクターによっても等しく担われていることを無視しない。本書では、クライン、ビオン、ウィニコットらの精神分析的なセラピーの核となる考え方が誰にでも活(い)かせるような仕方で紹介されているが、それは知らないあいだにこころのケアを担ってしまう市井の人々に対する専門性の「おすそわけ」なのだ。

 しかしより重要なのは、専門的なセラピーのエッセンスを一方的に「おすそわけ」するだけでなく、民間セクターによって担われているふつうのケアの重要性にも目配りしていることであろう。心理学といえば、各種のセラピーに代表されるこころの「深い」部分に働きかける特別な治療の学問と思われがちである。しかし、むしろどこにでもありふれているケアに着目し、ケアから学ぶことによって、著者は心理学という専門性にあらたな風を吹き込もうとしているようだ。「ケアが先で、セラピーが後」という本書の言葉は、著者による心理学の再出発宣言であろう。

 このような双方向的な「交通」は、昨今の世相では失われがちでもある。異なる意見をもつ人々とのあいだに起こり得る変化の可能性を人工的な壁で遮断しがちな時代に、「交通」によって新しい風を吹かそうとする著者のあり方は新鮮な驚きを与えてくれる。

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 KADOKAWA・1760円。24年9月刊、7刷4万4千部。読者は40~50代の女性が中心。職場や家庭でケアを担う人たちにわかりやすく書かれているのが人気の理由と担当編集者。「お守りに、という感想がとても多いです」=朝日新聞2025年4月12日掲載