- 『なぜ人は自分を責めてしまうのか』 信田さよ子著 ちくま新書 968円
- 『書とはどういう芸術か 増補版』 石川九楊著 中公新書 1100円
(1)の臨床心理士界を牽引(けんいん)する著者は「自己肯定感」という言葉が嫌いという。一見心理学こそ扱いそうな言葉だが、肯定は自己が与えるのではなく他者や社会こそが作るものと説く。思考の土台には第2波フェミニズムの標語「個人的なことは政治的なこと」があるだろう。自分の悩みの源泉が社会や歴史と関わることを指摘し、個人を解放する思想だ。
講座を書籍化した本書は柔和な語り口だが内容は重い。虐待家庭においては感情が乱れ、規範が一貫しない。文脈が切れた世界では、自己存在の否定こそが世界の合理性を保つ。だからこそ自責感は利用されてきた。家族の力関係を暴く強靱(きょうじん)な思考は、悩める人の盾となるだろう。
(2)は、書とは何かを探求した旧作に新論を得た増補版だ。加えられた一章がべらぼうに面白い。岡本かの子のゆらゆら振幅する字こそ、かの子の歌のパッションを創るし、中上健次の奇怪なU字型の字が「体腔(たいこう)、洞穴(ほらあな)」等、中上文学の重要概念を生むことを解き明かす。
初筆から終筆まで、書き手は筆と紙との相克を感じ、自己との対話をもつ。書には書き手の時間の積層、出来事が刻印される。なるほど書とは空間芸術であるより時間芸術かと膝(ひざ)を打つ。
一方、語り口は書が開国以来、西洋絵画との比較においてのみ語られたことへの憤怒の情に満ちている。そこで著者が生んだ「筆蝕(ひっしょく)」の意味は読んで頂くとして、書を通じて他芸術の見方をも教えられる鮮烈な書だ。=朝日新聞2025年4月26日掲載
