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戦後80年、女性・ジェンダー 培われてきた言葉、手がかりに 水溜真由美

国際反戦デーに田中美津が率いる「ぐるーぷ・闘うおんな」などは、東京・銀座でデモを行った。ウーマン・リブの旗揚げとされる=1970年10月21日

 戦後の民主化は、家制度の廃止や女性参政権実現などを通じて、女性の権利を拡大した。1950年代になると、解放された女性たちは大挙して社会運動の場に参入した。

 58年、森崎和江は、パートナーの谷川雁(がん)と福岡県の炭鉱地帯に移り住み、雑誌「サークル村」の創刊に関わった。翌年には「無名通信」を創刊した。ウーマン・リブを先取りする女性の手になるミニコミである。森崎が執筆した創刊号の巻頭言では、女性たちが「母」「妻」「主婦」といった「呼び名を返上し」て「無名にかえ」ることを呼びかけた。

 折しも炭鉱には合理化の波が押し寄せた。地元の大正鉱業でも反合理化闘争が発生。熾烈(しれつ)な闘いの中で労働者組織のメンバーが引き起こした強姦(ごうかん)殺人事件は森崎に決定的なダメージを与え、「無名通信」の終刊を余儀なくさせた。

 森崎和江『闘いとエロス』(月曜社・2860円)は、「サークル村」から大正闘争に至る闘いの総括の書だが、闘いの記録となる章と、谷川との関係(エロス)を描く章が、ほぼ交互に配置される。こうした構成は、闘いの中にエロスやジェンダーの視点を持ち込もうとした森崎の問題意識を強く反映している。

個別の痛みから

 70年になると全国各地でウーマン・リブの運動が巻き起こった。72年に発表された田中美津『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』(新版=パンドラ・3520円)は、日本のリブの金字塔とされる著作である。

 田中は幼少期に性暴力被害を受けて以来、リブに出会うまで、女として自分は無価値だという劣等感に苛(さいな)まれた。本書において田中はプライベートな体験を赤裸々に告白しつつ、「女らしさ」の呪縛からの解放を求める。

 田中のフェミニズムを特徴づけるのは、「己(おの)れ」の「痛み」は誰とも(たとえ女性同士であっても)共有できないという突き詰めた個人主義である。ウーマン・リブの基調にある女同士の連帯を掘り崩しかねない思想でもあるが、これこそが田中のフェミニズムを教条主義からほど遠いものにしている。「女」という属性に一般化されない個別的な痛みから出発することを説く本書は、フェミニズムの枠を超えて、多くの人に訴えかける可能性を秘めている。

占領下の性暴力

 90年代以降のフェミニズムの大きな貢献の一つに、戦時性暴力の究明がある。2023年に刊行された平井和子『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」』(岩波書店・3300円)は、その一つの到達点を示す著作である。

 中心的に取り上げられるのは、満洲(中国東北部)からの引き揚げ時の「性接待」という名の性暴力と、連合軍占領下の日本における性売買である。いずれのケースでも、占領下の女性たちが男性たちの手で「性の防波堤」にされ、占領者に差し出される構図が暴かれる。

 「性接待」や性売買に従事させられた女性たちを、単なる被害者ではない、意思を持つ個人として描こうとする点も、本書の重要な特色である。米軍基地周辺の「貸席」屋の息子が占領期を回想して作った紙芝居について論じた章は、一括(ひとくく)りにされがちな「パンパン女性」を、個性を持つ等身大の存在として記録し、「闇の女」「転落女性」としてのイメージを転換することに成功している。

 戦後80年が経過し、女性の立場は多様化している。とはいえ、「女性ならでは」の困難が根強く存在することも事実だ。そうした状況を変えていく上で、運動や学問、ジャーナリズムの中で培われてきた言葉や、闘いによって得られた達成は、重要な手がかりとなる。=朝日新聞2025年11月15日掲載