市民がひらく図書館 個が生きる社会をはじめるには 嶋田学
戦後日本における公共図書館の振興は、民主主義と自由を実感したいという住民の切実な願いを出発点として展開された。石井桃子が自宅に開いた「かつら文庫」での子どもと本の関係を考察した『子どもの図書館』が1965年に岩波新書で刊行されると、多くの読者の共感を呼び、全国各地に「家庭文庫」が誕生した。すべての子どもに読書の喜びを届けたいと願う住民たちは、地域に図書館が存在しない現実に直面し、その設置を求める運動を始めた。
竹内悊(さとる)の『生きるための図書館 一人ひとりのために』(岩波新書・946円)は、「読む」という人間の基本的能力を育む場を図書館と位置づけ、住民が単なる行政サービスの受け手ではなく、一人の読者として能動的に関わることへの期待を描いている。また本書は、戦後の図書館が自治体から一方的に提供されたものではなく、住民の主体的な運動によって整備が後押しされてきたことを示す。
さらに、50年の図書館法制定以降の図書館の歩みと住民との協働の歴史も詳細に語られ、学校図書館が人と本をつなぐ重要な場であることも強調されている。「我々が生きて行く間に起(おこ)る、生活の営み」の記録を、一人ひとりの共有財産とするために図書館があり、人と「本」をつなぐ仕事がある、と語られる。
こうした住民の声に支えられ、図書館は70年代以降、高度経済成長後のインフラ整備の中でようやく整備対象として注目されるようになった。
岡本真の『未来の図書館、はじめます』(青弓社・1980円)は「図書館はつくるものではなく、はじめるもの」という菅原峻(たかし)(図書館計画施設研究所の創設者)の理念をタイトルに掲げている。出版編集者や大手IT企業を経てアカデミック・リソース・ガイドを創業した岡本は「学問を生かす社会へ」を社是とし、図書館など公共施設のプロデュースを手がけてきた。本書では、図書館を「はじめる」ために、図書館見学や計画文書の読解の重要性を説き、整備の背景や課題、手法、進行プロセスなど、実践的な知見が惜しみなく綴(つづ)られる。
岡本は前著『未来の図書館、はじめませんか?』のまえがきを再録する中で、自分が「図書館によって人生を変えられた市民であり、人間である」と述べ、公共図書館が市民の研究活動を支える場として十分に機能していない現状への違和感が、自身の仕事のモチベーションだという。
家庭文庫など子ども文庫の経験から制度としての図書館の必要性に目覚めた住民がいる一方で、制度や組織がもつ制約からの解放を志向し、本のある空間を通じた自由なコミュニティづくりを模索する人物がいる。
礒井純充(よしみつ)の『「まちライブラリー」の研究 「個」が主役になれる社会的資本づくり』(みすず書房・2860円)は、住民が自らの流儀で「本のある場」をつくり、本を通して人と出会い、人を知るというコンセプトに基づく私設図書館の実践を描いたものである。礒井は大手ディベロッパーで、都市におけるビジネスパーソンの学習環境整備やプログラムの企画・運営を担っていたが、組織の志向と自身の思いとの乖離(かいり)に悩み、やがてその部署から離脱する。
その経験を経て礒井は、「社会全体に組織の視点が優先され、個々の人の視点が看過されている」ことが現代社会の大きな課題であると認識する。そして、あるきっかけから「本のある場」をつくることを思い立ち、「個」の意志から生まれる自由なコミュニティとしての「まちライブラリー」を提唱し、自ら設置者となった。
いつの時代も、図書館は切実な必要からはじまる。それを「ひらく」のは、公設、私設を問わず、「個」としての自由な市民なのであろう。=朝日新聞2025年11月8日掲載