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「権利の名のもとに」書評 非人間化を招くナショナリズム

評者: 高谷幸 / 朝⽇新聞掲載:2025年06月21日
権利の名のもとに: イスラエルにおける性的少数者の権利と動物の権利 著者:保井 啓志 出版社:東京大学出版会 ジャンル:哲学・思想

ISBN: 9784130362917
発売⽇: 2025/04/12
サイズ: 21×2cm/352p

「権利の名のもとに」 [著]保井啓志

 二〇二三年のハマースによる越境攻撃の直後、イスラエルのガラント国防相(当時)は「我々は人間動物と闘っているのだ」と発言した。著者は別の論考で、この発言が、理性的存在としての人間に価値を置く近代ヒューマニズムによる人間/動物の区分に基づき、パレスチナ人を非人間化するものと論じた(「『我々は人間動物と戦っているのだ』をどのように理解すればよいのか」『現代思想』二四年二月号)。
 本書は、越境攻撃以前に提出された博士論文を元にしているが、その内容は、この発言の文脈をより多角的に明らかにするものだ。すなわちパレスチナ人やテロリストを動物に例え、非人間化する発言は、ガラント発言が最初ではない。また、より複雑なことには、ユダヤ人自身が、西洋において動物扱いされてきた歴史があることだ。そうしたなか、シオニズムはユダヤ人の「動物性」の克服を目指す一方、動物が経験する苦痛を理解できる倫理的な存在としてユダヤ人を位置づける両義性を含んできた。
 一九八〇年代以降、イスラエルでは、動物の権利やヴィーガンを尊重する動きが盛んになったが徐々に右派や政府、軍も関与し、対テロ戦争とナショナリズムの文脈に結びつけられるようになった。今や、この「ヴィーガン・ナショナリズム」は、同性愛者の権利保障を根拠として国家の先進性を謳(うた)うホモナショナリズムと併せ、マイノリティの包摂を通じたイスラエル国家の優位性を主張する主要な言説として機能しているという。
 このように、今日のイスラエルでは、動物が人間化される一方、特定の人間が動物化されている。これらの一見相反する現象は、だが、人間/動物という二分法に基づくという点で共通している。パレスチナに限らず、人間を非人間化する行為が常態化する現代において、本書は、人間/動物という二分法の根源的な乗り越えの必要性を示唆している。
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やすい・ひろし 1992年生まれ。同志社大学術研究員(イスラエル研究、フェミニズム・クィア理論、批判的動物研究)。