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チェッコリ(東京) 韓国書籍専門書店が10周年。金承福さんの「ないなら作れば」で切り開いた半生

 先日、取材で一緒になった韓国人カメラマンと2人きりで話す機会があった。両親が日本生まれ日本育ちで、朝鮮学校にも通わなかった私は大学生になってから韓国語の勉強を始め、現在も続けてはいるものの、お世辞にも流暢とは言えない。向こうは社交辞令で「韓国語上手ですね」と言ってくれたが、内心複雑でもある。

 勉強を始めた頃は韓流ブームのはるか前。大学の授業は面白く感じられず、毎回遅刻して温厚な先生をブチ切れさせたものである。情報もコンテンツもアクセスしにくく、今のように手軽に手に入るものではなかった。

 ああ、こんな場所がその頃あったらな。そんなことを考えている私の目の前には、チェッコリという韓国書籍専門書店がある。2025年7月にオープン10周年を迎えた。

チェッコリ店主の金承福さん=吉野太一郎撮影

初めて手がけた本の著者がノーベル賞に

「10周年というより、27年ぐらいやってきた感じがしますね」

 代表の金承福(キム・スンボク)さんはチェッコリがオープンする8年前の2007年に、クオンという出版社を立ち上げている。最初に手がけた文芸書が世に出たのは2011年で、ハン・ガンの『菜食主義者』だった。2024年にノーベル文学賞を受賞したことで、今では多くの人がハン・ガンの名を知っている。しかしこの頃は韓流ブームは来ていたものの、韓国文学はまだまだマイナーな存在だった。

「日本語に翻訳されている韓国文学が少ないのが不思議だったので、たくさんの出版社に出版の提案もしました。でも多くの人に『これは売れない』と言われて。作ってもいないのに売れないなんて、私は『それはおかしい』と言っていましたが、出版はできないままでした」

「ある時『売れないって言われた』という話を友達にしたら、『金さんが自分で出せばいいんじゃない?』と言われて。本当にやれるの? と思いましたが、私は日本大学芸術学部を卒業していて、大学時代の友人の多くが編集者をしています。そんなプロに背中を押してもらい、『だったら自分で出しちゃえ』と決意したところから、クオンはスタートしています」

1989年、19歳のときの金承福さん(左から3番目 )。右から3番目は詩人の呉圭原さん=金承福さん提供

 そんな金さんは1960年代後半、韓国・全羅北道の霊光(ヨングァン)という海沿いの町で生まれた。当時は朴正煕による独裁政権真っただ中、経済は急激に成長していた。全斗煥の軍事独裁が続いていた1986年になると、エネルギー不足を補うべく、霊光には原子力発電所が建てられた。

「『霊光の名物と言えば、クルビ(イシモチの干物)と原発』と言われていました。私はクリスチャンなので教会にも通っていましたが、日曜日になると原発で仕事をするために都会から来ている人が、たくさん礼拝に訪れていましたね」

 子供の頃から好きだったのは、小学校の通学路にあった小さな本屋。参考書をはじめオールジャンル揃っていて、文房具も並んでいる。友達と遊ぶより本を読むのが好きだった金さんにとっては、まさに癒しの空間だったようだ。自分のお小遣いで初めて買ったのは、どんな本だったのだろう?

「小学校2年生の時に、号泣しながら読んだ本がありました。主人公の女の子が朝鮮戦争で家と家族を亡くして、親も親戚もいない状況で、自分一人で成長していくんです。タイトルは思い出せないのに、場面は目に浮かぶんですよね。私は7人きょうだいなので、姉や兄が読んだ本が家にあって、両親も本が好きだったので、そういう意味では恵まれた環境で育ったと思います。でもあの頃は、それが普通だと思っていました」

韓国ではおなじみのボールペン「モナミ」など、現地で買い付けてきた文具や雑貨も。

禁止されていた日本カルチャーが身近に

 少女時代の金さんは読むだけではなく、書くことも好きだった。小学生の頃になりたかったのは、詩人。カトリックを信仰していて「セシリア」という洗礼名を持っているが、キリスト教では聖セシリアは音楽の守護聖人であり、詩人の保護者でもあるとされている。そのせいか子どもの頃から、詩を書くことを意識し続けていたと語った。

「何かを書くのが好きだったので、高校生になった頃には、詩を書いて生きていきたいという願望がありました。でもソウル芸術大学に進学して、周りが書いたものを見ていたら、とても自分は詩人にはなれないと実感しました。そこから、詩を書くのではなく読む人になろうと思いましたね」

 1980年代の韓国ではまだ、日本の大衆文化は放送や販売ができなかった。しかし金さんの友人たちは、五輪真弓の「恋人よ」や井上陽水などの歌を歌っていた。こっそり手に入れた日本の歌謡曲のカセットテープを回し聴きしていたのだ。また村上春樹は韓国でもすぐに人気に火がついたし、「non-no」などの雑誌も手に入った。だから大学生になって留学したいと思った時、イギリスを目指したが、父親から「遠すぎる」と反対されると、すぐに日本に行こうと思いついた。

「日本大学芸術学部は1年生の時からゼミがあって、仲間と連日、演劇を見に行ったり美術館にいったりと、いろいろな体験ができて本当に楽しかったですね。本当にあの当時は毎週どこかで、今では考えられないぐらい安い値段ですばらしい演目を見ることができました。自分でははっきり覚えていないのですが、友人によるとその当時から、私が韓国の文学を日本に紹介したいとか、韓国の本屋を作るんだと言っていたそうです」

韓国文学の話題になった作品やベストセラーは、しっかり網羅されている=吉野太一郎撮影

リーマンショックで「やりたいことをやろう」

 金さんは2000年から広告関係の会社で、韓国を紹介するwebサイトを立ち上げ、韓国のITソリューションを日本向けにカスタマイズするなどの仕事を手がけるようになる。その2年後に日韓でサッカーのワールドカップが共同開催され、韓国のコンテンツへの注目度は爆発的に高まっていった。寝る暇もないほど忙しく成果もあったけれど、2008年にリーマンショックが起きると、仕事の依頼が来るペースが一気に下がってしまった。

「だったら自分がやりたい仕事をやろうと思い、クオンを立ち上げることにしました。最初から文学専門の出版社にしたいと思っていて、2011年に『菜食主義者』を出版しました。当時は、この作品が人間の本質を突き止めた内容だったから出したいと思ったんです」

「そういう、人間の内面を描く小説は当時の韓国文学ではまだ珍しいものでした。だけど私が読んで感動したように、日本で小説が好きな人に響くだろうと思ったのがきっかけです。すぐにあちこちのメディアに書評が掲載され、『自分がいいと思ったものは皆に伝わる』と実感しました」

 今ではハン・ガンの本は4冊出版し、小説以外にもエッセイや人文書など、韓国に関係する本は幅広くカバーする。在日作家・金石範さんの『新編 鴉の死』や全20巻にもなる『土地』(朴景利)など、歴史を描いた大作も刊行している。

ビルの3階、約20坪がまるまるチェッコリに。4階はクオンのオフィス=吉野太一郎撮影

 韓国文学の出版に手ごたえを感じたことで、今度は「作った本を手に取るお客さんを知りたい」と思うようになった。

「本を作るだけでは、読む人の顔は直接わからない。だから会社のスペースの一角で、月イチで読書会をしていたんです。すると20人ぐらい集まってくれたんです。店をつくったらコンスタントに読者が来てくれるのではないか。そういう体験をしてみたかったし、その頃は韓国の本を専門的に売る店がほぼなかったんですよ。ないなら作ればいいと思いました。韓流なら新大久保って声もありましたが、『本の街』の神保町で物件を探しました」

韓国で発行された本なら絶版でも探す

 チェッコリは神保町駅からほど近い、6階建てのビルの3階にある。

 入口を入るとすぐにカウンターがあり、奥に進むとちょっとした展示スペースや日韓で発行されているZINE、韓国で買いつけたグッズも置かれている。もちろんクオンの本だけではなく他社から発行されているものや、韓国で買いつけた本が幅広く並んでいるのも特徴だ。日本で買えない韓国の本を注文できるだけでなく、絶版になった韓国の出版物も、依頼があれば探すという。

 

韓国で出版された本も手に入る。パンダのバオファミリーの本は個人的に欲しいやつ=吉野太一郎撮影

「韓国で出版された本を置くことこそ、チェッコリの存在意義につながると思っています。ネット検索では見つからない絶版になった本や、韓国の教科書を買いたいという方がいらっしゃったので、探している本の相談を受けたら、私たちは韓国でのネットワークをフル活用して探しています。そこまですることが、日本にチェッコリがある理由のひとつだと思うんです」

 この10年はひたすら楽しく走って来た。この先の10年も本を丁寧に売りながら、人気のあるジャンルだけではなく、人文書や歴史にまつわる本などのイベントを積極的に開催したいと考えている。金さん自身は、日本と韓国の文芸をテーマにした刊行物を、年2回を目標に発行したいと考えていると語った。

「文芸誌・小説誌って、このご時世に意外と注目されているので、それをあえて紙の媒体で出すことをしてみたいと3年前から考えています。日本語版をまずクオンで発行して、韓国版は日本の文芸をテーマに韓国の出版社から同時刊行する、そんなことを実現させたいと思っています」

ポップで紹介されている韓国の本は、内容がわからなくてもつい手に取ってみたくなる。

 私がチェッコリで初めて手に取った本は、2018年から始まった「韓国文学ショートショート きむ ふなセレクション」の中の1冊だった。同シリーズは短編を日本語と韓国語の両方で読めるので、韓国語学習に役立つと思ったからだ。短編で日本語訳もあるとはいえ、私の語学レベルではなかなかハードだった。しかし辞書ツールを駆使しながら読み切った時の嬉しさときたら。

 1446年に世宗がハングルを公布するまで、朝鮮半島では漢文が使われていた。庶民には到底読むことができなかった文物が、ハングルができて誰でも文字に親しむことができるようになった。一冊を読み終えた子供たちの喜びたるや、さぞやすごいものだっただろう。想像するとほおがゆるんでしまう。

 チェッコリの店名は韓国語で、寺子屋で子供が本を一冊読み終えた時におこなう、生徒と先生によるお祝いからきている。今度金さんに会ったら、果たして私のためにチェッコリをしてくれるだろうか。そんなことを考えていたら、ほおがゆるんでいるのが自分でもわかった。 

韓国文学ショートショートシリーズは見てのとおり「薄い本」なので、韓国語初心者でもチャレンジしやすい。

チェッコリのスタッフが選ぶ、「朝鮮半島の今」がわかる3冊

●『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』イ・ジンスン著、伊東順子訳(クオン、2024年)
 セウォル号転覆事故現場に向かった民間人ダイバーの残された妻、緊急医療の最前線で働く医師、老人福祉に取り組む人、など122人に及ぶハンギョレ新聞の長期連載インタビューの一部を書籍化。翻訳を担当した韓国生活30年のライター、伊東順子さんによる各章の書き下ろしコラムからも今の韓国が見えてくる。

●『大都会の愛し方』パク・サンヨン著、オ・ヨンア訳(亜紀書房、2020年)
 儒教思想、家父長制も長らく残る韓国社会において、クィア文学の第一人者と呼ばれる作家の作品が登場し、話題を集めることはもちろん、2024年には韓国内でも映像化されたことからも、韓国社会の変化を感じる取ることができる一冊。映画の日本公開も大きな話題となっている。

●『働きたいのに働けない私たち』チェ・ソンウン著、小山内園子訳(世界思想社、2025年)
 競争の激しい韓国社会で幼い頃から男性たちと同様に受験競争を駆け抜けてきた女性たちが、新たに経験する出産や育児という高い壁。出生率の低下も社会問題となる韓国社会の中で、女性たちの「働くこと」を考えることは、社会全体を考える一助にもなるに違いない。(チェッコリ宣伝広報担当 佐々木静代)

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