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「統制百馬鹿」 軽みと皮肉たっぷりの批評精神 朝日新聞書評から

評者: 御厨貴 / 朝⽇新聞掲載:2025年08月16日
統制百馬鹿 水島爾保布 戦中毒舌集 著者:前田 恭二 出版社:岩波書店 ジャンル:評論・文学研究

ISBN: 9784000617062
発売⽇: 2025/07/07
サイズ: 2.7×18.8cm/334p

「統制百馬鹿」 [著]前田恭二

 何が右だか左だか。単純な区分けでは、政治や思想が理解できない時代になろうとしている。そんな折も折、あの戦間期に雑誌「大日」にて世間をなで切りにした文章を書き続けた男のコラム集に出合った。昭和戦前期の10年間、権力・政府に対して、特に自由を束縛する統制に対して、徹頭徹尾、江戸っ子の軽みや皮肉をたっぷり効かせて書き続けられた。文字通り忘れられたコラムニスト水島爾保布(におう)の生涯を一挙によみがえらせた編者、前田恭二の驚くべき執念に、マイッタマイッタと思う。
 だって、著者名、雑誌名ともにすべて無名なコラムを掘り起こしたのだから、シュリーマンの所業とも似ている。ただ水島の由緒は正しく、長谷川如是閑(にょぜかん)の「我等(われら)」に1920年からコラムを書き始める。30年には「批判」に場を移し、その終刊とともに、社師に頭山満(とうやま・みつる)を頂く大日社の「大日」に34年から10年ほど、長尺のコラムを連載し続ける。統制批判のコラムを言論統制強化の時代に、ともかく批判精神変わることなく敗戦までよくぞ書いたりと感嘆する。検閲を免れたのは、頭山の存在故か否か。
 それにしても如是閑から頭山へ。リベラルから国粋主義へという決まり文句では到底理解に苦しむ。青年時代の彷徨(ほうこう)と食い詰めての新聞記者稼業。東京美術学校に学び、漫文もものにする。社会に対して不器用に生きながら、自由が大好きでともかく統制嫌い。政治・軍事・経済をネタにするが、世相や隣組といった身近な話題をテーマにして、一見政府の言いなりに見える庶民の井戸端会議的噂(うわさ)と流言、グチや大言壮語など、目線の低いところから筆先の赴くまま、冗長とも見えるコラムが毎回展開される。長きが故に検閲もゆるくなったか。
 たとえば、水島は正月の世相を書きつけるが、年々統制が強化され、正月がさびしくなる様を描いてみごとだ。食料問題について水島は「政府は噓(うそ)をつくもの」と決めつけ、米問題でも「この際苦情をつけたいのは、現在有り余っているものを、何のために今日まで無い無いと噓をついたかってことだ。まさか大臣が更(かわ)っただけで空っぽの倉に、急にどっからか俵が飛び込んできたわけでもあるまい」。これまた我らが現代を思い起こす。統制強化が、人心をギスギスさせ、本来付き合いのよかった世間が、いかに住みにくくなるかを、水島の筆は捉えて離さない。
 そうそう、日米開戦時のコラムは「おできが吹き切ったような気がした」の一言。これをどう読むか、水島に淫すればわかるかな。はてさて。
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まえだ・きょうじ 1964年生まれ。読売新聞記者を経て、武蔵野美術大教授(日本近現代美術史)。著書に『やさしく読み解く日本絵画』、編著書に『関東大震災と流言』など。