例えば、作家・伊藤整(1905~69)の日記だ。
「タバコ屋にてタバコを買ふ。魚屋や八百屋の行列の女たち、いつものとほりなり。郵便局へ抜ける道の空地で防空壕(ごう)を女たちが作つてゐる。それでやつとはじめて戦争来の感がする」――
太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年12月8日、ラジオで開戦を知った伊藤が東京の町を歩き記した。細やかで整った筆遣い。ページ上には新聞記事が丁寧に折りたたまれ、貼り込まれている。
日記の中で伊藤はこうも述べる。「我々は白人の第一級者と戦ふ外、世界一流人の自覚に立てない宿命を持つてゐる/はじめて日本と日本人の姿の一つ一つの意味が現実感と限ないいとほしさで自分にわかつて来た」。ページの隅に記された小さな文字からは、「開戦を歓迎した」というだけでは語れない、葛藤や高揚、緊迫感が入り交じった複雑な心境がにじみ出る。伊藤が戦時下社会の異様な空気を記録した日記は「太平洋戦争日記」として刊行されているが、その実物を目にする機会は珍しい。
展示にかかわった大原祐治・実践女子大教授は、「現物の日記は、肉筆の文字や貼り込まれた新聞記事なども合わせて、どんな時代を作家が生きていたのかを体験できる貴重な資料だ」と話す。
自由主義的な言論を攻撃した「原理日本」や、掲載論文が共産主義的だとして多くの出版関係者が弾圧された「横浜事件」で知られる「改造」などの著名な雑誌の実物は、当時の緊迫した言論状況を伝える。戦地に赴く学芸記者・高原四郎に宛てられた日章旗への寄せ書きには、菊池寛、横光利一、川端康成といったビッグネームが名を連ねる。軍の宣伝戦略のために戦地に派遣された、高見順や林芙美子といった作家たちの写真や現地の絵はがきも展示されており、文壇や論壇が戦争遂行に組み込まれていった生々しい過程も読み取れる。
空襲で荒廃した町を見て、作家たちが絶望を記した肉筆の文章は、当時を「体験」させる臨場感がある。同館の小池昌代理事長は、「当時を知る人たちがこの世から消えていく戦後80年にあって、記憶の『継承』という言葉では収まりきらない、記憶の『内在化』が必要になってくる」。
「滅亡を体験する」展は11月22日まで開催。午前9時半から午後4時半まで開館(入館は午後4時まで)、観覧料は1人300円(中高生100円)。問い合わせは同館(03・3468・4181)まで。=朝日新聞2025年9月17日掲載