横田徹さん「戦場で笑う」インタビュー 使命感ではなく好奇心で
引退の2文字がちらつく。25年余りの仕事の総括として書いたのは、死と笑いが隣り合うウクライナの戦場の姿だった。日々の戦局報道からこぼれ落ちる、前線の極限的なばかばかしさやペーソスをかき集めて差し出した。
虐殺の地イジュームでにぎわう寿司屋「YAKUZA(ヤクザ)」、贖罪(しょくざい)のために義勇兵として戦う極道クリスチャン、最前線に愛犬を帯同しドタバタを巻き起こすコーディネーター、渡された手裏剣を見事投げ「ニンジャ」と喝采を浴びた著者自身……。「不謹慎だと感じる人も多いと思う。それでも戦争という異常な環境のなか、生き生きしている人たちがいると伝えたかった」
その姿勢は「戦争を食い止めねば」という使命感ではなく、個人的な動機から仕事を始めたことと無縁ではない。古着の買い付けや添乗員をしていた煮え切らぬ20代前半。幼少期に生き別れた実父が20年ぶりに突然現れた。戦場カメラマンになっていた。「お前、こんな仕事やるなよ」。そう言われたのに、もらったカメラにどうしようもなくひかれてしまった。
「カメラマンになるなら、人がやらないことをやるのが一番てっとり早い」と、何の展望も無く内戦のカンボジアへ。自分が置かれた状況をひっくり返そうとする若者の野心が、その後四半世紀続くカメラマンへの号砲だった。コソボ、アフガニスタン、シリアなど各地を取材した。
5年前のコロナ禍を機に仕事は終わりにしようと思っていた。体が限界だった。ところが“ある社長”から取材費支援の申し出があり、ウクライナ行きを決める。以後7回にわたり従軍した。
人間、この不思議なものよ。「好奇心と行動力で動く記録者」を自称し、今も使命感は二の次という。と言いつつも「1人でもいいから戦場やカメラの仕事に関心を持ってくれる人が出てくれば」とあわい期待もしのばせる。
爆音の中で、幼稚園の娘の送り迎えをよく考えた。燦然(さんぜん)と咲くヒマワリ畑を爆死覚悟で撮影した時、激安店ドン・キホーテのテーマソングが脳内再生された。これもまた人の真実である。(文・写真 木村尚貴)=朝日新聞2025年9月20日掲載