ISBN: 9784326852062
発売⽇: 2025/10/01
サイズ: 3×19.4cm/512p
「奔放な生、うつくしい実験」 [著]サイディヤ・ハートマン
自分が自分であるように生きること、自分の魂に、欲望に忠実であること。本書は、生きること自体が所与でなかった環境で、それでもなお、いやそれだからこそ、ありうるかもしれないことを想像し自由な生の追求をやめなかった黒人女性たちの物語だ。
舞台は、二十世紀の変わり目、米北部都市のゲットー。終わったはずの奴隷制は別の名の下、南部で復活していた。そうしたなか「ここではないどこか」を求め、多くの黒人が、南部から北部に移動した時代だ。
黒人女性の身体を暴力に晒(さら)す奴隷制の影がゲットーにまで延びる一方で、北部都市は、彼女たちが、ラディカルな想像力と奔放な実践を通じ、新しい生き方を創り出す実験の場ともなった。白人に仕え、虐げられるのに感謝を求められ、さらには性的暴行もつきまとう家事労働はまっぴらだった。そこから脱(ぬ)け出た彼女たちは、クィアで法外な関係性も含め性愛を通じた親密な革命を起こした。暴力や支配から逃れ、都市をぶらつき、肌の色の境界線(カラー・ライン)に抵抗してダンスに繰り出し、ステップを踏み、コーラスを奏でた。
しかし彼女たちの即興的でアナーキーな叛乱(はんらん)は、社会の支配的な価値観からの逸脱だった。警察は、彼女たちを倒錯者や犯罪者とみなし、取り締まり、収監した。また黒人たちの状況を憂え、かれらの地位向上を目指し、道徳的なまなざしをもって調査や介入をした社会学者(W・E・B・デュボイス)や社会改良家にとっても、彼女たちの生は、否定か糾(ただ)すべきものだった。
だが著者は、女性たちのまつろわぬ生は、逃亡であり、「生きることそのものを芸術とする実験」であったことを明るみに出す。定められた条件の下、違う生き方を想像し、試してみることがいかに尊く、うつくしいものであったのかを、そのうつくしさと呼応する筆致で描き出す。
その際、立ちはだかったのは、アーカイブの権力だ。名もなき女性たち、とるに足らぬ存在とされた人たちの生は十分な記録や保存に値する、顧みられるべきものとはみなされてこなかったからだ。そこで著者が採った手法が、内容や書き手の視点の限界を踏まえつつ、膨大なアーカイブ資料の細部に分け入り、そこに刻まれているはずの女性たちの声に耳を澄まし、ときにその痕跡から声を再創造することで、彼女たちの生きた物語を想像してみることだった。この「批評的作話」という手法によって光が当てられた女性たちの実験は、条件は違えど、今日もどこかで自分の生を生きようとする人たちの光明ともなるだろう。
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Saidiya Hartman 米国の作家、研究者、思想家。コロンビア大教授。専門はアフリカン・アメリカン研究、フェミニズム理論、クィア理論など。邦訳に『母を失うこと』。本書で全米批評家協会賞など。