ヒトを見つめる目の深み、コトを描き出す筆の細やかさ。これまで短編連作でそんな特性を発揮しつづけた作者が、長編作家として新たな顔を披露した。警察小説だから事件を追うのはむろん警察組織でも、本作には個人の事情を絡めて事件に取り組む捜査員がいる。そんな謎の追及と解決に本格ミステリの趣が溢(あふ)れ、広い範囲の読者を満足させるに違いない。
最初に読んだときを思い出す。主人公である刑事日野の生活描写は新鮮だが、展開は地道なものだった。死体の顔が潰されているほかに難事件の兆しはない。それなのにおいそれと事件の底が見えないのは意外だが、捜査が進むにつれ全貌(ぜんぼう)がますます曖昧模糊(あいまいもこ)としてきて、これまた予想外であった。読みつづけてようやく本作が、揺るぎない構成に裏打ちされた長編と気づくことができた。
至るところに伏線の釘が打たれミステリの強度を高めていること、二段構え三段構えで用意された人物の配置の精妙なこと、特筆したいのはそのどれもが、決してこれみよがしな技巧で飾られていないこと。すべてはさりげないたたずまいだから、してやられた気分は大きいのに、読後感が心地よい。ぼくは同業の古手だが、自作の随所で声高となり身ぶり手ぶりがオーバーになる、自分の器の浅さを思い知った。
「ヒトを見つめる」と冒頭に書いた。見つめる目には作者の個性が現れる。ぼくはこの作家の視線になぜか懐かしいぬくもりを覚えた。描かれた登場人物たちを覗(のぞ)いてみよう。塩をまぶした味わいのキャラ入江、出世コースの光と影に染まる羽幌、チョイ役のバーのマスターにまで奥行きを与えて、脇役のひとりもおろそかにしない筆遣いに、作者の矜持(きょうじ)を見た思いがある。改めて拍手したい。
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新潮社・1980円。25年8月刊。7刷10万5千部。「地道な捜査を描き『ザ・推理小説』の印象を強めたのでは」と担当者。「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」各1位。=朝日新聞2025年12月20日掲載