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「葛飾北斎の生涯と芸術意欲」書評 あらゆる様式で描く大衆の記憶

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2026年01月10日
葛飾北斎の生涯と芸術意欲 著者:磯崎康彦 出版社:玲風書房 ジャンル:アート・建築・デザイン

ISBN: 9784947666871
発売⽇: 2025/11/18
サイズ: 15.5×21.6cm/336p

「葛飾北斎の生涯と芸術意欲」 [著]磯崎康彦

 北斎の幼名は時太郎、6歳の頃から「物の形状(かたち)を写」す習癖あり。その後鉄蔵と名乗り、さらに勝川春朗、是和斎、魚仏、群馬亭、叢(そう)春朗……もういい。次から次へと号を変えながら、あらゆる様式で森羅万象を片端からやっつけていく。
 北斎にとって森羅万象とは、なぜ生まれてこなければならなかったか、なぜ生きなければならないのかと、それ自体が悟りとつながっていた。そのテーマは大衆化された人の記憶・記録を描くことで、それこそが浮世絵だろう。
 北斎の絵は多様だけれど、彼の本体はゆるぎない。人気作家だったが人気に向かうのではなく、魂を信じて魂に向き合っている様子を絵が証明している。
 森羅万象のほかに奇想天外も描くが、これは対象の裏に存在する実相を描くためである。と同時に、彼には本来、描く物などないのである。主題、様式にこだわっている間は一人前ではない。一人前とは空っぽになること。
 彼が本絵を描き出した秘密は単に飽きたからであろう。そのくらいはわからないと、北斎のことはわからない。「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と北斎が死の直前に言ったと『葛飾北斎伝』は伝えるが、信じては駄目である。北斎の全人生を見れば、こんな情けない神頼みなどするはずがない。
 彼は生と死を分別しない同一のものと考えていた。生と死の間の仕切りをはずすと新しい生が働き、死が働く。死は武士だって恐れる。僕はここまで本書と無関係なことを書いてきた。この大著をまとめる能力は僕にはない。
 代わりに本書の著者の「あとがき」を読めば、それ自体で書評になっている。本書が言いたいことはたった一言。「内在的動因である『芸術意欲』」である。だけど芸術家なら北斎でなくともこの理念に支えられないと創造はない。
    ◇
いそざき・やすひこ 1941年生まれ。美術史家。福島大名誉教授。著書に『佐藤朝山と近代彫刻論』『谷文晁の事績』など。