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ヒューム「イングランド史」共訳・犬塚元さんに聞く 「歴史観が行き詰まり」17世紀の歴史家に再評価

犬塚元さん

 舞台は17世紀の英国。18世紀啓蒙(けいもう)主義の哲学者ヒュームが手がけた歴史書「イングランド史」(Ⅰ・Ⅱ、名古屋大学出版会)は本邦初のまとまった翻訳。近年、歴史学や思想史の世界で世界的に注目を集める古典だ。訳者の一人、法政大教授の犬塚元さんに読みどころを聞いた。(大内悟史)

 デイヴィッド・ヒュームは18世紀、スコットランドの哲学者であり啓蒙思想家。ジョン・ロックやトマス・ホッブズなどイギリス経験論の系譜に連なり、主著「人間本性論」で知られる。ただ、「ヒュームの歴史家としての側面は軽視されてきた」と犬塚さんは言う。

 今回訳された2巻は、犬塚さんら共訳者3人が2000年から翻訳に取り組んだ。エリザベス女王死去によりスコットランド王だったジェイムズ1世が即位した1603年から、88~89年名誉革命の動きに至るまでを描く。古代ローマ、カエサルのブリタニア侵攻に始まる長大な歴史書、全6巻の5~6巻目にあたる。

 17世紀の英国で起きた二つの革命は、18世紀のフランス革命や米国の独立戦争と並び、一般に現代の民主主義国家に至る起点。とはいえ、なぜ近年、何百年も前の歴史叙述が注目されるのか。

 犬塚さんは「19世紀以降、影響を及ぼした二つの教科書的な歴史観が行き詰まり、現代の歴史学者や思想史家がそれ以前の歴史叙述として歴史家ヒュームの仕事を再評価するようになったから」だという。

 二つの歴史観とは「ホイッグ史観」と「階級史観」。国王の専制権力に議会や共和派が対抗し、自由民主主義が発展した(ホイッグ史観)。資本家階級が革命を成し遂げて国王や貴族を打倒した(階級史観)。今もこうした自由主義やマルクス主義の発展史観、進歩史観は根強い。

 だが、犬塚さんによると「専門家の間では、17世紀英国の政治変動はピューリタン(清教徒)革命やブルジョア(市民)革命と見るよりも、大ブリテン島やアイルランド島における内戦や『3王国戦争』だったと見る認識のほうが一般的」。17世紀の英国は、階級闘争の時代ではなく宗教戦争や宗教対立の時代だったという。「王の側ではなく議会の側が態度を変え、熱狂的な信仰心を原動力にした対立と分断が激化した。こうしたヒュームの歴史叙述は、宗教をめぐる争いを軸にしており、スコットランドやアイルランドを含む『多中心的なブリテン史』の先駆けとしても評価が高い」

 犬塚さんら専門家の多くは、歴史家ヒュームの手さばきを「どんな史料や互いに対立する人物・勢力も複数の尺度から吟味し、複眼的・両義的な評価の対象とされる。いわば『大人の歴史叙述』だ」と評する。「読んで面白いのもこの書の特徴で、ストラフォード伯やチャールズ1世の処刑場面は理不尽な苦難と無念を描き、読者に強い印象を残すはず」

 ヒュームの政治的・歴史的立場は、後にフランス革命を批判したエドマンド・バークと並ぶ保守主義者と見なされがちだが、犬塚さんら専門家の多くは「懐疑的ホイッグ主義」と見る。

 「絶対王政を支持する復古派やトーリー(保守党)の側に立たず、名誉革命後の制限王政や『自由な国制』下での経済発展を支持する点でヒュームはホイッグ(自由党)主義。でも、非党派的で知的・哲学的な姿勢に立ち、古き良き『古来の国制』論のようなホイッグを擁護するための根拠が薄い教条的な語りには懐疑的だった」

 17世紀英国の歴史は、現代の私たちが抱える社会問題と通底していると犬塚さんは考える。

 「ヒュームは宗教改革以降、熱狂による迫害や抵抗を経て内戦に至った分断を克服し、共存を実現した歴史を描いた。自らの正しさを信じるあまり独善に陥りデマに流され、あるべき政治や道徳を軽んじて排他的攻撃や私益追求に陥る愚かさは今も健在だろう」=朝日新聞2026年311日掲載