ISBN: 9784103565116
発売⽇: 2026/01/29
サイズ: 19.1×2cm/624p
「絢爛の法」 [著]川越宗一
井上毅の毅は「こわし」と読むのだと、本書で初めて知った。彼が、大日本帝国憲法を起草した主要人物であることも。それほど、私は歴史に昏(くら)い。けれど、そんな私でさえも没入して読んでしまう熱量が、本書にはある。
江戸末期、陪々臣(下級武士)の三男に生まれた井上毅は、肺病を病むほどまで身を削って学問を修め、大久保利通や伊藤博文に見いだされた。
明治28年、51歳で没した際には「満腔(まんこう)の熱血を瀝(そそ)ぎて国家の為(た)めに竭(つく)せし」「洵(まこと)に痛惜すべし」と当時の新聞で称賛を惜しまれなかった毅だったが、牧野伸顕(のぶあき)はこう振り返る。「(井上は)宴会ではいつもひとりぼっちで、挨拶(あいさつ)もろくにできず、愛想もなく」「はっきり言えば、手放しで称賛されるような為人(ひととなり)ではない」。だが、「井上毅はたしかに熱血漢だった」「熱血はひたすら仕事に注がれていた」、と。
その人生のほとんどを「法」に捧げた毅の生き様が、明治の要人とのかかわりとともに描かれていく。下野した西郷隆盛が起(た)った時、「キチノスケサァ」「俺(おい)ニ、オハンヲ討テチ言(ゆ)カ」と嘆いた大久保利通。毅の「ネッキタイ」を締め上げながら「無辜(むこ)の人間を短慮で殺(あや)めた俺は、たぶん碌(ろく)な死にかたをせん。だからせめて、死ぬまではまっとうでいたいと思っている」と詰め寄った伊藤博文。
教科書で得た知識でしかなかった彼らが、物語の中で血肉を得、生身の人間として泣き、怒る。曲者だらけの男たち、彼らの血は、日本という国造りのために流された。
600ページを超える長大な物語だが、白眉(はくび)は、敗戦後の日本国憲法施行の当日であり、序章に呼応する終章だ。牧野は思い起こす。「不磨の憲法など作っていない」と言う毅に、では、何を作ったのかと牧野は問う。その答えが、胸の奥に突き刺さる。「呪われるべき憲法を、そうとも知らず、幸あれと願いながら産んだ人々」を思い牧野が流す涙は、私の頰をも濡(ぬ)らした。
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かわごえ・そういち 1978年生まれ。作家。『天地に燦(さん)たり』で松本清張賞を受賞しデビュー。『熱源』で直木賞。