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嶋津輝さんの読んできた本たち 高2の夏休み「華岡青洲の妻」で踏み入った有吉佐和子沼(前編)

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作中の小道具が好きだった

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

嶋津:おそらく偕成社の本だと思うんですけれど、少女名作シリーズです。姉と共用で本はわりと買ってもらえたので、家にそのシリーズがある程度そろっていたんですね。そのなかで表紙が可愛らしいものが気になって、『赤毛のアン』や『ひみつの花園』などを読んだ記憶があります。
 伝記も何冊か家にあって、『キュリー夫人』や『ヘレン・ケラー』など女性の伝記を好んで読んでいました。そのなかのどれかが、たぶん最初の読書だと思います。
 中身をおぼえているのは、『キュリー夫人』と、あと『風にのってきたメアリー・ポピンズ』です。私は小説の中に出てくるグッズというか、小道具が好きで。メアリー・ポピンズが持っている鞄にいろんなものが入っているところとか、おばあさんが指を折ったら飴になった、というところにすごく憧れました。キュリー夫人は化学者なので、フラスコや薬品を駆使する描写が好きでした。そういえば、『赤毛のアン』のいちご水も異様に気になっていました。

――お姉さんとはいくつ違いなのですか。

嶋津:2学年違いです。姉が買ってもらった本を私も読んでいたので、姉の影響はかなり受けています。漫画も、たしか姉が「なかよし」で、私は「りぼん」を買ってもらって互いに貸しあっていました。「りぼん」は大人っぽい気がして、本当は「なかよし」のほうがよかったんですけれど、長女に取られました(笑)。

――どんな漫画が連載されていた頃でしょう。「なかよし」は『キャンディ・キャンディ』が大人気だった頃ですよね。

嶋津:「なかよし」は他に『おはよう!スパンク』とか。「りぼん」は一条ゆかりさんや弓月光さんの連載がありました。4コマ漫画の『キノコ・キノコ』とか。
 スポーツ少女漫画も好きでした。バレーボールの『アタックNo.1』やテニスの『エースをねらえ!』もよく読んでいました。オカルトチックな漫画も好きで、『悪魔の花嫁』や『エコエコアザラク』、『死者のくに』なども。『死者のくに』は死後の世界を描いた漫画だったので、親は心配していたようです。死後の世界をうっかり覗きに行ってしまうんじゃないか、と...。

――『エコエコアザラク』などは結構怖かった記憶がありますが、嶋津さんは怖がりではなかったんですね。

嶋津:そうですね。お化け屋敷とかも全然大丈夫でした。

――学校の図書室はよく利用していましたか。

嶋津:学校の図書室で読んだ本で唯一おぼえているのが、絵本の『モチモチの木』です。切り絵の表紙がちょっと怖いんですけれど、読んだら面白かった記憶があります。でも絵本は意外と読んでいないかもしれないです。多くの人が読んだであろう『ぐりとぐら』も、表紙が気になりつつも読みませんでした。

――ご自身でお話を考えたり、落書きで漫画を描いたり、ということはありましたか。

嶋津:はい。子供の頃は、大人がハッとするくらい絵が上手かったんですよ。絵の教室も通っていて、大人に「真剣にやってみたほうがいいんじゃないか」と言われるくらいでした。漫画も描いていましたが、自分では物語を考えられなくて、既存の漫画の真似ばかりしていました。『翔んでるルーキー!』というバレーボール部の漫画の絵をよく真似していました。
 似顔絵を描くのもわりと好きでした。昔、芸能人ゲストの家族がまず出てきて、その人が家族である芸能人の顔の特徴を言って南伸介さんが似顔絵を書き、ゲストを当てる、というテレビ番組があったんです(「お笑いオンステージ」の「減点パパ(減点ファミリー)」のコーナー)。その真似をして、テレビに藁半紙を貼ってリアルなおじさんの絵を描く、というひとり遊びが好きでした。でも祖父に見られて「上手だね」と言われるともう恥ずかしくて、バリっとはがしてやめてしまう内気な子供でした。
 絵が上手かったのは中学生くらいまでで、高校の授業でデッサンなど小難しいものをやるようになったら普通の人になっていました。小学生の頃は子供が使う濃い水彩絵の具で油絵っぽい絵を描いたりしていたんですけれど、いわゆるデッサンに色をのせる薄い水彩になったら全然上手くなくて。

――将来漫画家、あるいは画家になりたいと思いませんでしたか。

嶋津:漫画家が将来の夢でした。中学生の時だったか、一回だけ「花とゆめ」に投稿したことがあります。ストーリーはラブコメだったような気がしますが、たいした話ではなかったと思います。本当に拙いものでした。

――文章を書くことはいかがでしたか。作文とか読書感想文とか。

嶋津:嫌いではなかったんですけれど、そんなに上手くもなかったです。よく憶えているのが、小学生の時に『キュリー夫人』の読書感想文を書いたら、授業で取り上げられて先生に読まれたんですけれど、その先生が笑いをとるタイプの先生で、「キュリー夫人? なんだ、キュウリか?」みたいなことを言って、からかわれたんです。それですごく嫌になっちゃって。真面目に書いても笑われちゃうんだなって、そこでやる気を失くしたように思います。

――内気だったそうですが、やはり学校ではおとなしいほうでしたか。

嶋津:それがそうでもなかったんです。だぶん、大人から見るとおとなしい子供だったんですけれど、子供の間では楽しくやっていました。人前で目立つことをするというより、小声が届く範囲にいるごく少人数をくすくす笑わせるのが好きでした。小学校の卒業文集に「うちのクラスの〇〇な人」みたいなアンケートのページがあって、「うちのクラスの面白い人」という部門で私は男子を抑えてトップに選ばれました。大人はみんな「あのおとなしい子が?」と意外だったと思います。

――洒落のきいたことをぼそっと言う感じですか。

嶋津:はい。ぼそぼそと、皮肉とかを言っていたんだと思います。

――嶋津さんの作品はそこはかとなく漂うユーモアも魅力ですが、子供の頃からそうだったのか、と腑に落ちました。

嶋津:当時から派手な笑いではないものを好んでいたように思います。

――お笑いはお好きでしたか。

嶋津:当時見ていたのはドリフくらいでした。「ひょうきん族」は大人っぽくて分からなかった。あとは欽ちゃんですね。萩本欽一さんのレギュラー番組が週に3つくらいあった時で、どれも面白く見ていました。今はお笑いがすごく好きです。

部活で青春を満喫

――中学生時代の読書生活はいかがですか。

嶋津:中学時代はそんなに本を読んだ記憶がなくて。通っていたピアノ教室のレッスンの順番待ちをするところに漫画が置いてあったんです。そこに『日出処の天子』の2巻だけがあったんですよ。2巻だけ読んでも面白くて「なんだこれは」となり、そこから山岸凉子さんを読みだしました。他にも漫画は『王家の紋章』などの大作を読んでいました。『王家の紋章』はたしか姉が好きで買っていたからだと思います。

――その頃、小説はあまり読まなかったのですね。

嶋津:そうなんです。でも、学校のテストになると、他の教科と比べて国語だけ異常にできたんです。たぶん子供時代に読んでいたのが効いたんだと思います。不思議と古文漢文も分からないのに結構正解できて、国語は勉強しない私でも高得点がとれるありがたい教科でした。

――高校時代はいかがでしたか。

嶋津:家から片道1時間かかる高校に進学したうえに、水泳部で飛び込みという競技をはじめて。それが非常に疲れる競技で、とにかく眠くて。若いということもあったのか、行きの電車も帰りの電車も寝ていましたし、授業も1時間目から5時間目まで寝ていたこともありました。ちょっと職員室で問題になるくらいに。

――なぜまたいきなり飛び込みを?

嶋津:たまたま高校に飛び込みができるプールがあったんです。クラスで仲良くなった友達が飛び込みをやりたくてうちの高校に来たという子で、その子に誘われて、珍しいから入ってみようかなという感じでした。

――高いところから飛び込むのは怖くなかったんですか。

嶋津:めちゃめちゃ怖くて、私は全然向いていませんでした。本当に迷惑な劣等生だったと思います。でも、それも気にならないくらい本当に楽しくて、青春だなと思って毎日過ごしていました。夏休みの合宿は飛び込みのプールがある場所が他になかなかないので、学校でするんですね。わりとスポーツが盛んな学校だったので剣道場や柔道場も個別にあって、泊まるところもあって。1週間くらい泊まり込んで、食事は近くの食堂に先生に連れられて行きました。夏休みが終わるのが悲しくて、最終日に感傷的になってふらっと学校に行ってプールを眺めて帰ってきたくらい、楽しかったんです。他のことはほとんどしていないです。

――部活ではどんなメニューをこなすのですか。

嶋津:ゴールデンウィークにプールを掃除して水を張り替えたら、9月末くらいまでは毎日飛び込みです。5月はまだいいんですけれど、6月の梅雨の時期が寒くて。競泳と共用のお風呂にまめに入りにいきました。しかも私はすごく痩せた高校生で、脂肪がなかったので特に寒くて。飛び込み台で後ろ向きに構えていても震えて、それが飛び板に伝わって板ごとガタガタガタと震えて飛び出せなくなって、一人だけ「お風呂に行きなさい」って言われるような問題児でした。

――上手く飛び込めないと、水面で体を打って痛くないですか。

嶋津:ものすごく痛いです。いまだに人生でいちばん痛い記憶を塗り替えていないですね。出産経験がないというのもあるんですけれど。意外とお腹より、背中が痛いんです。それと、かなりアザができるんですよね。高校時代の春夏は、少々露出のある格好をして街を歩いていると人目を集めるくらい、アザだらけでした。

――読書する時間もなかったのでしょうか。

嶋津:高校の頃は、読書感想文の課題図書くらいしか読んでいないです。あとは、夏休みに母の実家に行くと、文学全集があったんですね。母の実家はセールスがくるとなんでも買っちゃう家なので、それで揃っていたんだと思います。その全集で太宰治の『斜陽』などを読んだ記憶があります。『斜陽』は、お母さまがスウプをさじで吸っているという出だしに惹かれて読みました。やはり、小道具に惹かれるんですね。あと、人が食べているものも気になるので。
 それと、有吉佐和子さんを読みました。高2の夏休みの宿題に読書感想文があって、課題図書のリストを家に持って帰ったら、それを見た母と、同居していた叔母が「ああ、有吉佐和子ね」と言ったんです。じゃあそれにしようかなと思って『華岡青洲の妻』を読んだら、まあ大人っぽい内容なんですけれど、最後まで面白くて。教科書に載っている作品とはまた違う、大人向けの小説をはじめて読んだ感覚がありました。

――では、どんな読書感想文を書かれたのでしょう。

嶋津:たぶん照れもあって平凡な内容でした。私は数学が嫌いだったので、友達に数学の宿題を見てもらう代わりに、その友達が苦手な国語の宿題を引き受けて、短歌を作ったんです。夏休みの課題で優秀なものは小冊子にまとめられるんですけれど、自分の読書感想文ではなく、友達に書いた短歌のほうが載っていました。

――ところで叔母さんも同居されていたのですか。お祖父さんもいらしたようですし、ご家族が多くて賑やかだったのでしょうか。

嶋津:8人家族でした。祖父母がいて、両親と姉と私と弟がいて、父の妹の叔母が同居していました。でも、そんなに和気藹々とはしていませんでした。祖父母が近所でも評判の取扱注意みたいな人だったので。孫をぜんぜん可愛がらないので、祖父母との間に温かい思い出はないです。

――厳しかったのですか。

嶋津:厳しかったです。ただ、私は三人姉弟のなかではわりと自由にできたかな。祖父は5歳年下の弟だけ分かりやすく可愛がっていました。彼らにとっては跡取りで、スターなんです。姉も勉強ができる明るい優等生タイプだったので、私はあまり注目を浴びずに過ごせました。

――弟さんと本や漫画を貸し借りすることはありましたか。

嶋津:弟が中学生、高校生になると「ジャンプ」とかを読みだしたので、それを借りて読んでいました。『北斗の拳』の頃ですね。他の連載も充実していました。

読破したあの作家

――大学の学部はどこを選んだのですか。

嶋津:法学部を選びました。芸術学部と迷ったんですけれど、なんとなく法学部のほうが潰しがきくのかな、と。仲のいい友達も法学部志望でしたし。わりと適当な動機でした。

――どんな学生生活だったのでしょう。サークルには入りましたか。

嶋津:テニスサークルに入りました。中学時代に軟式テニス部に入っていましたし、勧誘してきた人の雰囲気がよかったので入ったんですけれど、運動神経は悪いので下手でした。ラケットの網の部分とグリップの間にちょっとした穴がありますよね(スロートの部分)。そこにボールがはまるんですよ。網がこんなに広いのに、なぜここにわざわざはまるのか自分でも分からなくて。
 大学では勉強もせず、授業もろくに出ず、ひたすら学食で過ごしていました。

――では、どんな遊びをしてたんでしょう。クラブに通うとか、酒飲み明かすとか...。

嶋津:バブル時期でしたがあまり派手なことはしなかったです。私はお酒に弱いうえにビールが合わなくて。みんなに合わせてビールを飲んでは吐いたり。ただみんなでわいわい喋っているのが楽しかったです。学生の時にカラオケボックスが増え始めたので、よく行っていました。

――カラオケでは何を歌っていたんですか。

嶋津:私は声が低いので、中森明菜か中山美穂でした。一昨年中山美穂さんが亡くなった時、すごくショックだったんです。同学年とはいえ、ここ20年くらいミポリンのことは忘れていたのになんでこんなにショックなんだろうと思ったら、歌をほとんど知っているからだな、と気づきました。

――学生時代、アルバイトはしていましたか。

嶋津:飲食店などでバイトしても億劫になって、続きませんでした。あとは早朝の銀行のバイトをしていました。某都市銀行の兜町支店という特殊な支店があって、株などのデータが夜中にテレックスで集まってくるのを、朝7時から9時まで学生バイトが仕分けするんです。私は7時20分くらいに行って怒られる、ダメな学生バイトでした。

――のんびりしている性格なんでしょうか。

嶋津:のんびりしてました。学生時代、仲の良かった6人組のなかの1人の家がリゾートマンションを持っていて、みんなでよく泊まりに行っていたんですね。そういう時はそれぞれ、車を運転する、段取りをたてる、料理を作る、掃除をするといった役割がなにかしらあるんですけれど、唯一何もしないという役割でいるのがあなただ、と言われたことがあります。責められたわけじゃなくて、そういう人が一人くらいいたほうがいい、みたいな言い方で。自分でもああそうか、と納得しました。それくらい、何もしないのが常態です。

――では学生時代の読書生活は。

嶋津:ゼミの同期の男子学生が、たしか落合信彦さんだったかな、ノンフィクションライターの本を「俺は読破した」と言うのを聞いて「読破」って格好いいな、私も言ってみたいなと思ったんです。その時にふと有吉佐和子を思い出したんですよね。高校の時に読んで面白かったから、じゃあ有吉佐和子を読もう、と。当時は書店の文庫コーナーに有吉佐和子の本がずらっと並んでいたので、新潮文庫の棚にあった緑色の背表紙を片っ端から読みました。

――面白かったですか。

嶋津:やっぱり、どれも面白かったです。リーダビリティが高いので、重い歴史ものの作品でも結構すらすら読めるんです。当時手に入るものだけでしたけれど、全部読むのはそんなに大変ではなかったです。

――とりわけお好きだった作品は。

嶋津:花柳界ものが好きでした。有名な『香華』を書いた後、それをもっと広げたいと思って書いたんじゃないかなと思える、『芝桜』という長編と続篇の『木瓜の花』がすごく好きで、何度も繰り返して読みました。今も当時のものが手元にあります。

――なぜそこまで魅了されたのでしょう。

嶋津:繰り返し読んでいると、登場人物が家族のような感覚になってきて、会いたくなるんですよね。特に主人公の正子が、私にとっては理想的な女性で。芸者として売れっ子で、目端が利くからいい旦那がつくんですけれど、高潔な人柄で、真面目で頑固で自分を安売りしないんです。あと、クソ真面目ゆえの可笑しみもとても魅力的で、またその魅力がちゃんと分かるように有吉さんが書いている。正子に会いたくて読んでいる感じです。

――続篇の『木瓜の花』も同じ主人公なのですか。

嶋津:そうです。この2作は腐れ縁の話でもあるんですね。子供時代から同じ芸者屋にいた朋輩の蔦代と、おばあさんになっても縁が続いていく話なんです。蔦代は正子とは対照的に奔放な性格で、ずるいところもある。それに正子は振り回されるんですけれど、なんとなく縁が切れない。その関係性や、時代ごとに起こる事件が本当に面白く華やかに書いてあって、何度読んでも飽きません。

――「有吉佐和子を読破した」と言う機会はありましたか(笑)。

嶋津:はい。たぶん、就活の面接で「有吉佐和子作品は読破しました」って得意げに言ってたんじゃないかな(笑)。

ノーベル文学賞作家を読む

――就活は、どういう方面を希望されたのですか。

嶋津:車載音響メーカーに就職しました。勉強しないわりに総合職にはこだわったんですね。四大卒の女子は総合職で採るという、カーオーディオやカーナビゲーションを扱う会社に入りました。

――これまでのお話を聞いていると心配になるんですが、会社は遅刻しませんでしたか...?(笑)

嶋津:ぎりぎりでした(笑)。時代を感じるんですけれど、当時、女子は制服だったんですね。2人でひとつのロッカーを使うんですけれど、朝は慌てて服を丸めて投げいれていたので、一緒に使っている人は嫌だったと思います。その会社で6年くらい働いて、寿退社しました。

――その6年の間の読書生活といいますと。

嶋津:私が25歳くらいの時に大江健三郎さんがノーベル文学賞を獲って大きな話題になったんです。それで大江健三郎を何冊か読みましたが、面白いと思うものとわからないものがありました。
『セヴンティーン』は面白かったですね。読んでいてなぜかほろりときました。初期の短篇は比較的読みやすかったですが、『万延元年のフットボール』あたりは難しくて、ちょっと怖かった。
 そこから、ノーベル文学賞作家に移っていきました。スタインベックの『怒りの葡萄』とかを読んでいくなかで、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』がすごく面白く、ロシア文学に移っていきました。

――ロシア文学は、どこが面白いと感じたのでしょう。

嶋津:お洒落っぽさがなくて、心情をネチネチと、惨めったらしく書いているようなところ、格好よく見せようとしないところに惹かれました。アメリカ文学だと作家によってはカラっとしていて洒落ていると私は感じていたんですけれど、ロシア文学はしつこい感じがあって。トルストイは『アンナ・カレーニナ』から入ってあまりピンとこず、ドストエフスキーに移ったら、まず『罪と罰』がエンタメみたいに面白くて。それと、『カラマーゾフの兄弟』の長男のミーチャの、あのエモーショナルな感じが愛しくて、私にとってはベスト・オブ・キャラクターでした。宗教的なことはよく分からなかったんですけれど、キャラクターが面白くて『カラマーゾフの兄弟』も3回は読んだと思います。

――会社勤めされながらあの大長篇を読むのって、結構とぎれとぎれになるし、登場人物多くて名前が分からなくなったりするんじゃないかと思うのですが、大丈夫でしたか。

嶋津:今は厳しいと思うんですけれど、当時は大丈夫でした。たぶん、体力があったからかなと。通勤で山手線に結構長い時間乗っていたので、その間に読んでいました。

――退社された後の読書生活はいかがでしたか。

嶋津:いきなり結婚生活がうまくいかなくて、その頃は森瑤子さんのエッセイをひたすら読んでいました。当時は森さんのエッセイが書店にたくさん並んでいたんですよね。森さんもデビュー前に主婦として鬱屈した気持ちを抱えていた時期があったみたいで、読んでみたらすごく沁みました。結婚生活は3年もちませんでした。

――お別れされた時にはお仕事に復帰されていたのですか。

嶋津:復帰していました。会計事務所で働きだしていて、そのまま税理士の資格の勉強を始めました。一人になったことだし、自立するために資格を取ろうと思って。

――働きながら税理士の資格の勉強をするのは大変ではなかったですか。

嶋津:難易度というより、結構な量を暗記しなくちゃいけないので時間がかかるんですよね。最近の税理士試験のデータは分からないんですけれど、当時は全国でも1年目で合格した人はいなくて、最低でも2年かかると言われていました。ただ私は仕事がすごく楽だったので、勉強するにはいい環境でした。

――趣味で読書する時間はなさそうですね。

嶋津:その時期はそうですね。息抜きに小説ではない、軽いものを読んでいました。一人暮らしを始めた頃は宝島社に傾倒していて。まず日常生活の中で見つけた可笑しなものの投稿を集めた『VOW』が好きでした。それと、馬券は買わないけれど競馬が好きだったので、『別冊宝島 競馬読本』のシリーズもよく見ていました。

――テレビで競馬中継を見たりしていたのですか。

嶋津:はい。正座して見てました。

――スポーツ観戦のような感覚ですか。あの馬を応援したい、とか。

嶋津:ドラマ的なものを求めて、好きな馬を熱心に応援していました。いちばん好きだったのはナリタブライアン。クラシック三冠馬になった馬で、夢中になって、競馬場で行われた引退式にも一人で行くくらいでした。前泊で近くの友達の家に泊めてもらって、いい場所で観られるように開門前から並んで。ナリタブライアンは8歳くらいで早世してしまったので種馬としても2期しか過ごせなくて。死んじゃった時はものすごくショックで、その日のスポーツ新聞を全部買いました。

――嶋津さんの短篇「スナック墓場」は女性たちが競馬場に行く話ですが、そういう体験がベースにあったのですね。他に、小説以外の本で印象に残っているものは。

嶋津:勝間和代さんの本にはまりました。私は34歳で資格を取り、30代では4回転職をしました。大きい税理士法人に入ったりして、結構キャリアアップができた時期でした。仕事も難しく、つらいと思いながらも、優れた仕事人になろうという、やる気はありました。それで勝間和代さんの年収を10倍にする、みたいな本を読んでは書いてあることを真似していました。外資系に勤め出してからは英会話教室に通ったりして。それも、本格的なベルリッツの少人数制のクラスなどに行きました。全然上手くならなかったんですけれど。

――その頃、小説は読まなかったのですか。

嶋津:姉に借りて読むことはありました。うちの姉はその時話題になっている本をきちんと買って読むタイプだったんです。小川洋子『博士の愛した数式』、リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』、ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』、宮部みゆき『模倣犯』など。その頃あまりに小説を読まな過ぎて、逆に読んだものは記憶に残っています。角田光代さんの『対岸の彼女』などもその頃読んだと思います。
 どれも面白かったですよ。『模倣犯』なんて衝撃でした。今年宮部先生にお会いしたんですが、こんなに穏やかで優しそうな女性があれを書いたと思うと人間不信に陥りそうなくらい(笑)、すごい作品でした。
 あとその頃は、半身浴中に有吉佐和子を読み返していました。漫画を読むように気楽にすらすら読めるので。あの細かい字の文庫を薄暗いお風呂で眼鏡をかけずに読んでいたことが、今となっては信じられないです。一応濡れないように、ブックカバー代わりにサランラップを巻いて読んでいました。

高峰秀子、幸田文を知る

――転職先は、どれも税理士関連の仕事だったのですか。

嶋津:会計事務所へ入り、そこから大きい税理士法人に行って、不動産ファンドの部署に配属されて、税理士法人を辞めた後は不動産ファンドの会社に移りました。

――勤務先はどれも都内だったのですか。

嶋津:はい。30代後半からはずっと丸の内をうろうろしていました。
 その頃だったと思うんですけれど、美容院で雑誌の「メイプル」を渡されたんです。私の中ではもっと年上の女性が対象の雑誌という印象だったので、「え、そんな歳に見えるのかな」と戸惑いましたが、中身が面白くて、美容院の帰りにその号を買って帰りました。そこに、たぶん斎藤明美さんが高峰秀子さんのことを書いた連載があって。それまで高峰秀子さんのことは名前しか知りませんでしたが、興味を持ちました。

――戦前から子役として活躍して、エッセイストとしても人気を博した方ですよね。

嶋津:そこから『わたしの渡世日記』など、高峰さんのエッセイを読みだしました。どれも面白くて、結局ほとんど読みました。
 買って帰った「メイプル」に幸田文さんの記事も載っていて、それも印象に残っていたんですが、高峰秀子さんのエッセイに幸田文さんも結構出てくるんですよ。たぶん、幸田さんの『流れる』の映画に高峰さんが出ているので、そういうお付き合いもあったのかなと。そこから幸田文作品もよく読むようになりました。
 私はなぜか分からないけれど、大正とか昭和初期くらいの人が書いたものに非常に惹かれるんですが、高峰秀子が始まりだったかもしれないですね。この時期に向田邦子さんの随筆も読み始めました。

――その時期を舞台にした映画などにははまりませんでしたか。映画監督の小津安二郎とか。

嶋津:小津も好きなんですけれど、それは後になってからですね。高峰秀子さんは、成瀬巳喜男の作品のほうによく出ているんですよ。まず成瀬作品から入って、小津作品にも高峰秀子が出ているのでそれも見て、双方の沼にはまっていったのが40代の頃です。

――それぞれお好きな作品があれば教えてください。

嶋津:小津作品は、紀子三部作といわれる原節子さんの「晩春」、「麦秋」、「東京物語」の3作です。特に「晩春」と「東京物語」が好きです。それと、「長屋紳士録」という生活感あふれる地味な作品があって、若き笠智衆が格好いいんですよ。枯れたおじいさんという印象が強かったんですが、若い頃の笠智衆は手足も長くて色気があるというか。成瀬作品は、原節子さんの「めし」、高峰秀子さんの「女が階段を上る時」とか。「女が階段を上る時」は銀座のバーの雇われマダムの話で、当時の文化住宅が出てくるんです。そういうところに住めるくらい、いい暮らしをしているということなんですけれど、内装を見たくてDVDを買ったような気がします。何度も見て、家の図面も起こしました。当時の生活が垣間見えるものが好きです。

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