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嶋津輝さんの読んできた本たち 「カフェーの帰り道」の世界観を形作った幸田文と森茉莉(後編)

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嶋津輝さんの読んできた本たち 高2の夏休み「華岡青洲の妻」で踏み入った有吉佐和子沼(前編)

小説教室に通い始める

――小説を書き始めたきっかけは何だったのですか。

嶋津:その頃は投資会社にいたんですけれど、リーマンショックの後、仕事が暇になったこともあり、なんとなく小説が書いてみたくなったんです。書いたこともなかったので小説家になりたいとまでは思わず、あくまでも習い事の感覚でした。41歳で小説教室に通い出したときも、別に書きたいものがあるわけではなくて。そうしたら「何を書いていいか分からない人は自分の家族のことを書いてみてください」と言われ、大変性格がよろしくなかった祖母のことなら書けると思って、書いたら褒められました。

――一緒に住まわれていたお祖母さんのことですか。

嶋津:そうです。まあ、だいたい初心者は褒められるんです。新しく入った人は自己紹介として好きな作家を言うんですが、私は幸田文と言いました。小説を提出した後で、先生に「幸田文が好きなだけあって、文章がしっかりしてますね」と言われた記憶があります。
 その歳になると人生経験もたまっているので、自分を題材にして書けることが結構あるんです。なので、3か月のクラスで1、2作は出すペースで書いていました。出せば褒められたり、クラスの人に話しかけられたりするのが楽しくて。最初の1年はどんどん書いていました。

――絶対に文才があったと思うんですけれど、それまで日記をつけるとか、SNSをやるとか、何か文を書くことはされていたのですか。

嶋津:日記はつけていたのと、36歳で再婚したんですが、夫が管理している猫ブログみたいなものがあって、たまに私も書いていました。でも、それくらいでした。

――仕事でも、メールの文章を褒められていたとうかがいました。

嶋津:あ、そうですね。社内で送るメールの文章が面白いといっていじられることが多くて、意外と自分の書くものは面白いのかもしれないと思ったかもしれないです。昔の小説を読んでいたせいか文章が硬く、「小職は」とか書いて、文体が昭和だと言われたりして。
 たまに取引先が、ccにアドレスがたくさん入っているメールで変な話題を無茶ぶりしてきて、それに対して私が何か返すと、「今の返しは百点満点」と褒められたり、結構メールのやりとりは楽しんでました。

――どんな感じなのか、具体例を知りたいです...!

T塚(嶋津さん編集担当):たとえば、直木賞を受賞された後、上野で「オール讀物」のグラビア撮影をしたんですよ。その前日に嶋津さんから慌てた様子で「明日はパンダが出国するから混んでいるかもしれません」とメールがきて、その数分後に「すみません、パンダの搬出場所が離れているから大丈夫でした。豊富なパンダ知識を披露したくて先走りました」というメールがきて(笑)。そのグラビア写真のチェックの時も、「二枚目の写真の私、顔が岩石のよう...」みたいな返事がきて...。

――あはは、それは読む人は和みますね(笑)。ところで、小説教室はどのようにして選ばれたのですか。

嶋津:ググってみたところ、新宿の朝日カルチャーセンターの根本昌夫さんの教室が、いちばんクラスが細かく分かれていたんです。当時は「入門」コースだけでふたつありました。これだけ分かれているなら私でも入りやすいだろうなと思って入門のクラスに入ったんですが、何も書いたことがないというのはほぼ私だけでした。だいたい皆さんなにかしら書いていて、他人に批評してもらいたいと思って入っていました。

――それは、根本さんの教室から芥川賞受賞者がおふたり出る前になりますか。

嶋津:そうですね。根本教室に通われていた若竹千佐子さんと石井遊佳さんが同時に芥川賞を受賞されたのは、私が教室には通わなくなった後でした。あの時は根本先生の教室が一気に満員になったそうです。今でも通っている友人に訊いたら、最近は多少は余裕があったそうですが、私が直木賞を獲った後にまた埋まったそうです。そんな大々的に根本先生の名前を出してはいなかったんですが、やっぱり気づかれるんですね。オール讀物新人賞を同時受賞した佐々木愛さんもワンクールだけ根本教室に通っていたので、単行本デビューする時に「オール讀物」で佐々木さんと根本先生と鼎談をしたんです。それもあって、みなさん知ったのかなと思います。

――教室で扱う小説は、純文学が多かったのですか。

嶋津:課題図書として読むのは純文学が多かったです。芥川賞受賞作や、純文学系の新人賞の受賞作もよく取り上げていて、エンタメはごくたまに、でした。

――ご自身では、自分が書いているものについてジャンル的なことはどう意識されていましたか。

嶋津:最初は自分のことを題材にしていたので、私小説だと思っていたんですよね。私小説=純文学だと思っていました。はじめて百枚のものを書けたのが通い始めてちょうど一年経つ頃で、まさに高飛び込みをする女子高校生の話でした。それをはじめて新人賞に応募することになったんです。授業の後の飲み会みたいな場で、友達が「嶋津さんのこれ、出してみたらいいと思いませんか?」と話を振ってくれて、根本先生が「いいんじゃない?」「ちょっと縮めて、今だったら文學界新人賞の締め切りが近いから出してみたら?」と。当時、文學界新人賞は年2回締切があったので、それで応募しましたら、最終選考まで残ったんです。いやあ、勘違いしました(笑)。私、センスあるかも、って。

――いやいや、勘違いじゃないですよ。

嶋津:でもまあ、落選して。選評を読むとこれはエンタメじゃないかという指摘が多かったです。その後もこだわって何回か文學界新人賞に応募したんですが、予選通過もできなくて。太宰治賞のような中間寄りの賞だと二次通過まではいくんですけれど、3年くらいは成果が出ませんでした。それで、エンタメ系の「オール讀物」とか「小説宝石」とか「小説推理」といった短篇新人賞に提出先を変えたら、2年目にオール讀物新人賞で受賞できました。

――2016年にオール讀物新人賞を受賞されたのが、文庫『駐車場のねこ』(単行本時のタイトルは『スナック墓場』)に収録されている「姉といもうと」ですね。その頃書いていたものは、現代が舞台のものが多かったのですか。

嶋津:途中まではずっと自分の経験をもとにして、自分みたいな人ばかり書いていたので。はじめて自分と関係ない人を書いたのが「姉といもうと」でした。
 あの話を書いたきっかけは、沢木耕太郎さんの『凍』というノンフィクションでした。登山家夫妻のお話で、奥さんの山野井妙子さんは手足の指を凍傷で失うんですが、失ったものに未練がなくて、人間としてすごく柄の大きな人で、彼女に強く惹かれたんです。こういう大きい女性を書いてみたいと思って、指に欠損のある、でもそれを苦にしていない女性が出てくる話を書いてみたんです。はじめて自分ではない人、自分っぽくない人を書いた作品で賞を獲ったので、ああ、こういうので通るのかという感じがありました。

――受賞作の「姉といもうと」は、指を失った女性が妹で、主人公はお姉さんですよね。そのお姉さんは幸田文の『流れる』を読んで女中に憧れ、裕福な夫婦の家に家政婦として通うようになって...という。

嶋津:最初は近代物にしようかなと思ったんです。戦前くらいの話で、妹には指の問題があるのでお姉さんが奉公に出て、みたいな内容を考えたんですけれど、時代考証にまったく自信がなかったので、現代の家政婦さんにしたんだと思います。

――短篇の中にいろんな要素があって、どこに話が転がっていくか分からなくて面白かったです。主人公の仕事先の夫婦がなかなか姿を見せなかったり、妹が働いているのが近所のラブホテルだったり。

嶋津:前に投資会社にいた時に、ラブホテルばかりに投資するファンドがあったんですよね。そこを担当していたのでラブホの営業とか、風営法やその改正とかに詳しかったんですよ。その知識を活かせるなと思いました。

――じゃあ作中にある、3人は駄目だっていうのは...。

嶋津:ラブホテルは女2人と男1人での利用はいいけれど、男2人と女1人は駄目というのは実際にあるルールです。そういう"あるある"を入れてみました。

――『駐車場のねこ』に収録されている短篇はどれも面白い要素が組み合わさって意外な方向に話が進みますよね。競馬がお好きだとうかがって、収録作の「スナック墓場」が女性3人が競馬に行く話なのも腑に落ちました。読むと、きっちりプロットを組み立てて書くタイプではなさそうな印象ですが。

嶋津:プロットを立てて成功したことがないんです。どこか一か所くらい目標を定めて、そこに向けて書きながら組み立てていくという書き方しかできないような気が今もしています。

デビュー前後の読書生活

――小説教室に通われていた頃は、どんな小説を読んでいたのですか。

嶋津:自分で書くようになってからが最も読むようになりました。根本さんが作った「これくらいは読んでおいたほうがいい」という本のリストがあるんです。一作家につき1、2作挙げられていて、そこから読んだりしました。でも、私はわりと、根本さんが挙げていない作品のほうが好きだったりしました(笑)。

――そのなかで特にお好きだった作品は。

嶋津:川上弘美さんはたくさん読みまして、特に『真鶴』が好きでした。川上さんの文体は、小説を書く人なら一度は憧れるんじゃないかなと思います。私も憧れました。ひらがなを多用する感じとか、独特な表現とか。
 色川武大さんもやはり文章が痺れるのと、作者の人を見る温かな目線に惹かれました。特に好きなのは『怪しい来客簿』です。
 その後に小川洋子さんの大ブームがきました。『海』は私にとって短篇のバイブルみたいな一冊ですね。短篇集は『偶然の祝福』も好きです。長篇も好きで、特に『博士の愛した数式』以降の温かみのある作品に嵌りました。『ミーナの行進』とか『猫を抱いて象と泳ぐ』とか。私がはじめて長篇に挑戦する時に『ミーナの行進』みたいなものを書きたいと思ったんですが、それで書きあがったのが『襷がけの二人』でした。

――『ミーナの行進』みたいなものを書こうと思って、『襷がけの二人』ですか...??

嶋津:風が吹けば桶屋が儲かるくらい遠く離れましたけれど、そもそもはそうだったんです。『ミーナの行進』は章が細かく分かれているので、自分も最初は異様に短く章を分けていたら、すぐ編集者に指摘されて諦めました。

――さきほど小道具がお好きとのことでしたが、小川さんの作品もいろんな心くすぐる小物が登場しますよね。

嶋津:そうですね。あとは、ブラックな要素が急に放り込まれる感じも好きで。たとえば『猫を抱いて象と泳ぐ』は切ない話でありながら、マスターが太りすぎて遺体がバスから出せなくなって、クレーンで吊り上げられるところとか、知り合った女の子が、自分が昔ミイラと呼んでいたものに似ているからといって、急に「君のことをミイラと呼んでもいいかな」なんて話しかけるところとか。そんな、くすっと笑える感じがもう大好きで、小川さんは永遠のアイドルです。
 町田康さんの『くっすん大黒』も面白かったです。でもあの文体は絶対に真似してはいけないとは感じます。真似したら怪我をする、と。小説教室では町田康さん、西村賢太さんを目指しているなと感じる作品を出す男性が多いんですけれど。あの文体は相当技術力がないと難しいですね。
 内田百閒も楽しく読みました。『百鬼園随筆』、『ノラや』、『サラサーテの盤』、『阿房列車』......もう、本当に本当に愛おしいです。
 夏目漱石は短篇集の『文鳥・夢十夜』が好きですが、有名どころの長篇も好きです。漱石は意外と笑えるところが多くて、読んでいると、真面目な顔して笑いのセンスがある人だなと思います。
 岡本かの子の『老妓抄』という短篇集も非常に格好よくて。完成度の高い短篇がいっぱい並んでいるんですが、なかでも「鮨」が好きですね。好き嫌いの多い子供が出てくる話です。

――お母さんが鮨を握ってあげるという話ですよね。

嶋津:そうです、そうです。文章がやっぱり素晴らしいんですよ。岡本かの子は子供を柱に縛り付けて執筆していたといいますが、それくらいするとこれだけのものが書けるのだなと。
 この頃に、奥泉光さんといとうせいこうさんの文学ライブ「文芸漫談」にも何度か行きました。小島信夫さんの『アメリカン・スクール』を取り上げた回が神回で、本当にいじり倒すんですね。たしかに『アメリカン・スクール』ってツッコミどころの多い作品ではあるんですけれど、文芸漫談きっかけで読まなかったら、この面白さにそこまで気づけなかったかもしれません。小島信夫はその後も結構読みましたが、『アメリカン・スクール』に入っている表題作と、収録されている他の短篇が好きです。
「文芸漫談」は志賀直哉の『暗夜行路』の回も面白かったんです。『暗夜行路』は主人公の男がひたすらああでもない、こうでもないと悩んで終わる感じなんですけれど、それを奥泉さんが、「僕だったらこの小説の終わらせ方は、ああでもない、こうでもないと言いながらどんどん文字を薄くしていきます」と言ったら、いとうさんが「えっ、フェードアウト?」って(笑)。

――そうしたイベントにもよく行かれるのですか。

嶋津:私は書きたいもののストックがないので何か刺激を受けたくて、実作者のトークショーには時折足を運んでいました。保坂和志さんが定期的にやってらっしゃる、小説的思考塾とか。その経験が直接執筆には結びつきはしませんでしたが、面白い本との出会いはありました。
 コロナの頃、西崎憲さんの教室にも行ったんですよ。もうデビューしていたんですけれど、なにかとっかかりを得たいと思って。生徒参加型の授業で、とにかくサボれないのでものすごく疲弊するんです。私はワンクールでやめてしまったんですけれど、いい経験でした。大喜利みたいなことをするんですね。たとえば、まったく関連のない単語を立て続けに3つ挙げてみてください、とか。総理大臣が急に亡くなったのと同じくらい重要な出来事を挙げてみてください、とか。私はとっさに「ずっと育てていた、ほくろから生えている長い毛が切れた」って答えたら「いいですね」と褒められました(笑)。

――頭の体操みたいですね。

嶋津:一度、あらゆるお題にすべて競馬ネタで答えたら、西崎さんが「嶋津さんは人からよく、馬鹿にしているでしょ、って言われない?」って。馬鹿にしているでしょ、と言われたことはないけれど、不真面目だと言われたことはあるので、鋭い指摘だと思いました。私を知っている人たちは深く頷くと思います。

――西崎さんや他の生徒さんたちは、嶋津さんが作家だと認識されていたのですか。

嶋津:いえ、言いませんでした。でも最初の授業で書いた文章を読み上げた時に「慣れてらっしゃるけれど、もう賞とか獲られてます?」と訊かれて。「ええまあ、まあ......」みたいな反応をしたら「無理して言わなくていいですから」みたいな感じでした。時期的にみんなマスクをしていたし、飲み会とかもなかったのでバレませんでした。なかなか空きのない人気のクラスなんですけれど、たぶんコロナの影響もあってたまたま空きがあったので行ってみたんです。

――短篇集の『スナック墓場』(文庫版タイトルは『駐車場のねこ』)、どれもすごく面白かったので、書くものがないと思いあぐねておられたとは想像しませんでした。

嶋津:最初の担当編集者が「2か月に1本短篇を出してください」とお題を与えてくれたので、本当に恵まれていました。あれがなかったら私はズルズルと怠けていたんじゃないかと思います。

――あの作品ではクリーニング店の店主や、工場のラインで働く女性などいろんな職場の人が出てきますが、どうしてあんなに詳しいのですか。ラブホテルについては先ほど謎が解けましたが。

嶋津:「ラインのふたり」で書いた工場での作業も経験があるんです。税理士試験を受けている時期に、もうあと1科目で受かるから、集中して一発で受かろうと思って、半年くらい仕事を辞めていたんですね。試験が終わった時期に、スケジュールが調整しやすいように日雇いの仕事をしようと思って倉庫で働いたんです。本当に「ラインのふたり」に出てくるような場所で、1日で嫌になってしまって。小説に書いた通り、まず本当にバスに酔ってしまったというのと、社員が偉そうだったんです。あれはその時の記憶で書きました。

――短篇集が出た後、他社からも声がかかったのではないですか。

嶋津:何社からかお声をかけていただいたのに、全然書けなかったんですね。特に注目もされていない新人なので、依頼も「何か書けたら送ってください」くらいの感じが多かったです。具体的にどこを目指して書くということがないと、そもそも怠け者ということもあって、まず書けないんですよ。

――2作目となる長篇『襷がけの二人』は、19歳で裕福な家に嫁いだ千代と、その家の女中頭で元芸者の初衣の物語です。戦争によって離れ離れになった2人が、逆転した立場で再会して...という。大正から昭和初期にわたっての物語ですが、この時代を舞台に選んだのはご自身ではなかったそうですね。

嶋津:当時の担当者から「嶋津さんは近現代が向いているんじゃないか」と言われて、中島京子さんの『小さいおうち』や、大島真寿美さんの『ツタよ、ツタ』という、その頃が舞台の小説を渡されて。それで自分でも書いてみようかなと思いましたが、高いハードルでした。

――意外です。高峰秀子や幸田文がお好きなだけに、ご自身で提案されたのかと思っていました。

嶋津:読むのは好きですが、書くとなるとまったく違いますね。当時の人が着ているものもよく分からないですから。『襷がけの二人』も、出だしで主人公が魚屋に行く場面が出てくるんですけれど、昭和24年の東京でどんな魚が売っているのか、調べても意外と分からなくて。結局、昭和13年生まれの父親に頼りました。11歳くらいの頃の魚屋はどんな感じだったか聞いたら、もう魚は普通に売っていたし、なんなら今より種類はあったと言うので、その記憶を信じることにしました。

――そもそも担当編集者が嶋津さんに「近現代を書かないか」と言われたのは、どうしてだったのでしょう。慧眼ですよね。

嶋津:『スナック墓場』(文庫版タイトルは『駐車場のねこ』)を担当していた編集者に提案されたので、直木賞の授賞式のスピーチでその方の名前を出してその話をしたら、ご本人が「あれは当時のオールの編集長が言ったことで、自分はそれを伝えただけですよ」とおっしゃっていて。でも当時のオールの編集長はあんまり憶えていなくて、どうも単なる思いつきだったようです(笑)。でも、よくぞ勧めてくださった。たしかにいきなり現代もので書き下ろしをやろうとしても難しかったと思うんです。近現代ものという縛りがあったのは、大変な反面、話作りとしてはやりやすかったかな、と。出来上がるまでに4年もかかっておいてなんですけれど。

――近現代ものを書きましょうとなった時に、『ミーナの行進』を書こうと思われたわけですか。

嶋津:それは私の中では矛盾はなくて、近現代ものでもあるけれど、『ミーナの行進』みたいに仕上げたいと思っていました。小川さんの、いかにも「むかーしむかし...」で始まるお話的な文体がすごく好きで。あの雰囲気で長篇を書き上げたいと思って書き始めたら、大きくそれていきました。

――登場人物やストーリーはどのように決めたのですか。

嶋津:まず、生活感のあるものが好きというのがありました。女中というのも、やはり幸田文の『流れる』が好きでしたし。それと、森茉莉です。森茉莉のエッセイにすごく格好いい女中さんが出てくるんですよ。最初にお嫁に入った先が裕福なお家で、そこの女中頭のお芳さんが義父のお妾さんなんです。仕草が粋な方で、森さんがとても懐くんですよね。あの難しそうな人柄の森さんがお芳さんのことはすごく慕っていて、どの随筆でも褒めているんです。それが気になって、たぶんお芳さんをお初さんに投影したと思います。

3作目で直木賞受賞

――直木賞受賞作『カフェーの帰り道』は版元が東京創元社さんですが、どのようなご縁があったのですか。

嶋津:最初の短篇集を出した後、某社で短篇を何回も書き直したけれど掲載に至らず、それは諦めて『襷がけの二人』に注力していたんです。同時受賞した佐々木愛さんは他の版元でも書いているし、自分は遅れをとっているなという気持ちで悶々としていました。その時に、東京創元社のT塚さんが「冠婚葬祭のどれかをテーマに短篇を書いてください」と声をかけてくださって。自信がないまま出したら掲載になって、それが呪縛から解き放された瞬間でした。自分が「オール讀物」でしか書いたことがないというのが、結構気になっていたので。

――雑誌「紙魚の手帖」のテーマ読切企画の第一弾だったそうですね。その時に書かれたのが、創元文芸文庫の『私たちの特別な一日 冠婚葬祭アンソロジー』に収録されている「漂泊の道」ですね。

嶋津:「冠婚葬祭」のなかから私は葬儀を選びました。他の書き手の方も葬儀に殺到するんじゃないかと思ったら、結局、自分ひとりでした。
 文春のM川さんと『襷がけの二人』をゆっくり書き進めている時期だったので、M川さんに「こういう依頼があって、私は葬儀にしようと思っている」と話したら、「ああ、幸田文にも『黒い裾』という葬儀の話がありますよね」とさらっと言われて。M川さんに頑張れよと押し出されるような気持ちでした。

――そして、M川さん担当の『襷がけの二人』は直木賞候補になりました。

嶋津:驚きました。人生でいちばん震えた瞬間かもしれないです。素でほっぺたをつねるということを、はじめてしました。候補入りの連絡がくるまで、文春さんの誰とも賞の話すらしたことがなかったので。

――しかも受賞は逃したものの、選考会で高評価だったという。

嶋津:それも意外でした。選考委員の方から酷評されることだけを本当に恐れていたんです。選考会で、まず河﨑秋子さんの『ともぐい』の受賞が決まり、二作目が万城目学さんの『八月の御所グラウンド』と『襷がけの二人』の決選投票になったというネット記事を見て、うわーっと思って。獲れるとはまったく思っておらず、健闘して落選するというのが自分にとってのベストの結果だったので、とても嬉しかったです。

――そして次に刊行された『カフェーの帰り道』で直木賞を受賞されました。上野のカフェーで働く女給たちの人生模様が、戦前から少しずつ時代を進めながら描かれていく。女給さんに興味はあったのですか。

嶋津:なかったんです。次の小説を書く時に、担当さんから出していただいた案の中にカフェーの女給がありました。女給のほかにお弁当工場とか、女学校などの案もあったんですが、女給なら書ける気がしまして。時代的にも好きな時代と重なりますし、女性がわちゃわちゃ働いている話を一回書いてみたいというのもあり。

――では、そこからいろいろ調べていったのですか。

嶋津:そうですね。ただ、たまたま文春のM川さんに『女給の社会史』という本をいただいたんです。女給に関する情報がまとまっていて、この本があれば書けるかもと思った、というのもあります。

――『カフェーの帰り道』は、1章ごとに時代が進み、主人公が変わっていきます。主人公像はどのように考えていかれたのですか。

嶋津:連作短篇にしましょうという話をして、最初は外からカフェーに入っていく人の視点で始めようと思いました。なので1話目は女給ではない主婦の視点にしたんですが、これがいちばん苦労しました。最初は主人公の夫が悪い人という結末になり、なんとなく納得のいかないまま出したら、やはり「ラストは後味がいいほうがいいかもしれません」という反応をいただき、私も、ほんのりしたハッピーエンドのほうが好きだなと思って書き直し、今の「稲子のカフェー」になりました。1話目は本当に手探りでした。
 2話目は、しょうもない嘘をいっぱいつく人の話を思いついたんです。3話目は女給をプロデュースしようとする男が現れる話で、4話目は戦時中になって。それと、1話目を書き終えた時に、T塚さんが、女給のタイ子の息子、豪一が気になります、とおっしゃったんですね。それで、4話目は豪一を出して、二人の話に戻ることにしました。そして5話目で大団円という、大まかなの設計図を作りました。

――2話目の主人公の美登里も嘘つきですが、他に、明らかに中年なのに自分は19歳だと言い張ってカフェーで働きはじめる園子さんという人が登場しますよね。彼女がもう最高でした。ああいう人は、どのように生み出されるのでしょうか。

嶋津:自分は派手なプロットを思いつくほうではないので、変わった人を出したいんですよね。あと、自分もちょっと変わった人が好きなんだと思います。自分があんまり社会に溶け込みやすい方ではないので、同じように溶け込めない人が愛しいんです。

――そしてこの3作目ではやくも直木賞受賞されましたね。

嶋津:新人賞を獲ってから10年で3作と考えると、決して順調とはいえない歩みだったとは思います。私、他の賞の候補になったこともないんですよ。自分としては候補になっただけでも嬉しさがマックスでした。まだまだ実力がともなっていないので、今もボツを覚悟して原稿を提出しています。それはしばらく変わらないんだろうなと思います。

――創作ノートやアイデア帳はつけていますか。

嶋津:一応気になったものはメモったりしていますが、なかなかないですよね。何を書くか、探すのが大変です。今までは自分の体験から始めることが多かったですし、ちょっとテレビで見たことがひっかかることもあります。自然に記憶に残っているものがいちばん役に立ちます。

――では、今後書くものは、時代設定も自由に選んでいくわけですか。

嶋津:そうですね。今、なんとなく二年半先くらいまでお仕事は決まっていて、半分以上は近現代ものを依頼されています。そのイメージが強いからかもしれません。

最近の読書生活

――その後の読書生活はいかがですか。

嶋津:朝日カルチャーセンターの根本教室のお友達と、コロナの前から7~8人で定期的に集まって読書会をしています。課題図書を順番に提案して、みんなで読むんです。後半は飲み会です。

――課題図書で印象に残った本はありますか。

嶋津:レイモンド・カーヴァーの『大聖堂』、ポール・オースターの『孤独の発明』...。『大聖堂』はすごく沁みる短篇集でした。『孤独の発明』は難しいけれど好きかもと思って、『ムーン・パレス』や『偶然の音楽』を読んでみたら、断然そちらのほうが好みでした。

――さきほどアメリカ文学は作家によって洒落た感じがあって...とおっしゃっていましたよね。オースターなんてまさに洒落ていませんか。

嶋津:そうなんです。今はこの洒落ている具合が心地よく感じるようになりました。それにオースターの書くものは信用できるというか、なんか好きなんですよね。私にはたまにそういう人がいて、たとえば日本の作家だと、自分が全然エンタメを読んでいない時でも山本文緒さんは好きだったんです。オースターは著者の人間性がにじみ出ているものが多いような気がします。山本文緒さんはまた違って、たぶん、私は山本さんの描く人間が好きなんです。
 他に課題図書で印象に残ったのは、『中上健次短篇集』。中上健次は『枯木灘』と『岬』しか読んだことがなくて、どろどろしたイメージだったんですけれど、短篇集を読んだら神話的な話が多くて。早世されなければノーベル文学賞を獲られただろうと思うくらい素晴らしかったです。
 それと、『大江健三郎自選短篇』も課題になって、久々に大江を読んだらやっぱり良くて、それから一年間ぐらいは大江作品ばかり読み漁っていました。『「雨の木」を聴く女たち』や『静かな生活』が特に印象に残っています。

――さきほどお名前の挙がった山本文緒さんでお好きな作品は。

嶋津:自分が小説を書き始める前に読んだのが『恋愛中毒』で、びっくりするくらい面白かったです。私は現代作家の小説をそんなに読まずにきたんですけれど、こんなに面白い小説があるのかと嬉しくなった記憶があります。『自転しながら公転する』もよかったです。途中からの展開の見事さといったら、もう、さすがです。

――読書会でご自身が出した課題図書は何だったんですか。

嶋津:最初に自信を持って出したのが、タイの作家の『観光』です。著者の名前が言いづらくて...(ラッタウット・ラープチャルーンサップ)。それを出したら、やっぱり大好評でした。2回目はエイモス・チュツオーラの『やし酒飲み』で、こちらの反応は割れました。

――アフリカの作家ですよね。やし酒のみの男がやし酒造りの名人を呼び戻すために死者の町へ旅だって、次々と奇妙なものに遭遇する。

嶋津:「わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった」という冒頭からもう惹かれます。感情を排した文章も好きでした。

――『観光』や『やし酒飲み』はどのようにして見つけたのですか。

嶋津:どちらも、千駄木の往来堂書店さんで展開されていたんです。置いてある本にこだわりがある書店さんで、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』がまだ高価な単行本しかなかった頃も常に置いていたんですよ。その往来堂さんで『観光』が目立つところに置かれていたんです。帯に角田光代さんの推薦文があったんですよね。角田さんが好きだというのもあって買ってみたらすごく良かったんです。『やし酒飲み』にいたっては、店の前の立て看板に〈『やし酒飲み』入荷!〉って書いてあって。『やし酒飲み』が何なのかは分からないけれど、これは買わねばと思って買ったら、大当たりでした。

――書店にはよく行かれますか。

嶋津:往来堂さんにはちょいちょい行きます。丸の内での職務歴が長かったので、東京駅のそばの丸善丸の内本店さんにもよく行っていました。

――最近、気になる作家はどなたになりますか。

嶋津:若き現代作家でいうと今村夏子さんは全部読んでいます。まず、『こちらあみ子』の「ピクニック」という収録作品が好きなんです。なんとも魅力を形容しがたいんですが、痺れます。

――「ピクニック」はまさに女性たちがわちゃわちゃする話ですよね。それと、たしか人称が変わっていて。

嶋津:そうです、人称が「ルミたち」なんですよね。他の人が全部「たち」にまとめられている。

――考えてみたら、嶋津さんの『駐車場のねこ』って、今村夏子さん作品に通じるものがありませんか。

嶋津:好きすぎて、影響は多分に受けていると思います。『スナック墓場』の単行本が出た初期の頃に、読書メーターに「若干の今村夏子味を感じる」と書かれた人がいて、「寄せにいってるのがバレてる!」と思ったのを憶えています。でも、その人しか書いていなかったから、今はもうそんなに今村夏子味はないのだろう、と思っています。
 今村さんの『むらさきのスカートの女』の文庫巻末に芥川賞の受賞エッセイが収録されていて、選考会当日の待機会の様子が書かれているんですよ。交通会館の上の回るレストランで結果を待っている様子が面白くて、私も直木賞の待機会はそこでしたいと思ったんですけれど、その日は貸し切りで、しかもそのレストランは今は回っていなくて。それで、T塚さんと作品の打ち合わせした老舗カフェー、パウリスタで結果を待ちました。
 あと今は、石田夏穂さんが気になります。まだデビュー作の『我が友、スミス』しか読んでいないんですけれど、他にも何冊か待機しています。

――筋トレに励む女性の話ですね。石田さんもおかしみが漂う作品を書かれる方ですよね。実は前回の「作家の読書道」にご登場いただいております。

嶋津:石田さんも硬い文体でおかしなことを書かれていて、うわ、これは好みだ、この人は追っていかねばと思っています。語彙が豊富で、言葉のチョイスもセンスに溢れてて、憧れます。
 あと、木内昇さんも『かたばみ』をきっかけに大はまりして、いろいろ読んでいます。『奇のくに風土記』も素晴らしかったです。文章の完成度と人物造形のよさにため息が出るばかりです。

――1日のルーティンは決まっていますか。

嶋津:あんまりなくて。毎日コンスタントに書いているかといえば書いていない状況です。2年前に仕事を辞めて専業状態になりましたが、そのわりにはまだまだペースがつかめていません。やっぱり朝のほうがはかどるので、今、朝型にかえているところです。毎日ではないですが、なるべく朝起きて顔も洗わず、パジャマから着替えず、コーヒーも淹れずにそのままの状態である程度集中する時間を持つようにしています。

――ああ、分かります。気構えずにいきなり作業にとりかかったほうが集中できることってありますね。

嶋津:そうなんです。「やるぞ!」と思って準備しちゃうと、急にネットのタロット占いを始めたり、余計なことをやっちゃうので。

――直木賞の贈呈式のスピーチで、各社の編集者さんのほかに、家事や猫のトイレの掃除を一手に引き受けてくれた「マイラビングハズバンド」に感謝を述べられていましたね。

嶋津:大谷翔平選手がナ・リーグのMVPを獲った時のスピーチで、「マイラビングワイフ、マミコ」と仰っていたのが印象に残っていたんですね。で、なんとなくスピーチに入れてみたんですが、大谷翔平選手の真似だとは気づかれず、「旦那さんが好きなんですね」という反応でした。まあ、仲はいいのでいいんですけれど。

――猫は今、何匹飼ってらっしゃるのですか。

嶋津:今は1匹です。昔いた2匹は2年連続で旅立ってしまって。夫ももう猫を飼うことはいい、みたいな感じだったんです。そうしたら友人から猫の飼い手を探しているという連絡があって。前飼っていた猫がアメリカンショートヘアの雌とスコティッシュフォールドの雄だったんですけれど、飼い手を探している子がその2種のミックスだというんです。運命を感じてダメ元で夫に訊いてみたら、「そろそろいいかもね」と賛成してくれて、とても元気な猫がやってきました。今3歳です。

――今後のご予定を教えてください。

嶋津:おそらく次に本になるのは、「オール讀物」さんに1話目を書いた相撲部屋の話です。相撲を見るのが好きなんですよ。載ったのは相撲部屋の親方の娘さんの話で、その後は視点人物を変えながら、いま3話目を書き終わるところです。

――楽しみにしております。長時間のインタビュー、ありがとうございました。

嶋津:ありがとうございます。憧れのコーナーに出られて嬉しいです。

――なんと、光栄なお言葉...!

嶋津:「作家の読書道」は、自分が読んできた作家さんの回や、編集さんから「面白かった」と聞いた回を読んできたんです。それぞれに個性が出るし、選書が意外で面白いんですよね。気になった本をたくさん買っています。宮島未奈さん、高瀬隼子さんの回が、すごく面白かったです。

――ありがとうございます。今のお言葉もぜひ掲載させてください(笑)。

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嶋津輝さんの読んできた本たち 高2の夏休み「華岡青洲の妻」で踏み入った有吉佐和子沼(前編)