鴻巣友季子さんが語る職業としての文芸翻訳家 書く・読む・語学が好き その先に
――翻訳家として40年近く一線で活躍し、文芸評論やエッセーも人気です。どうしたら鴻巣さんのような翻訳家になれますか?
私の体験はちょっと特異なので参考にならないですよ。一般的に言えば、海外文学の翻訳家を目指すのであれば、まず大学や大学院で言語と文学を学ぶこと、定評のある翻訳学校に通うことをお勧めします。
――いつ翻訳家になろうと思ったのですか?
19歳の冬です。大学生になって英文学科に在籍していたものの、何かに打ち込むこともなく鬱々とした気持ちになっていたころで、喫茶店で当時人気だった写真週刊誌を開いてみたら翻訳学校の広告が目に入りました。翻訳家になる道が見えたと思ったときに、書くのが好き、読むのが好き、語学が好きという、それまでの自分の体験がパズルのピースのようにはまりました。私は翻訳家になるってその時決めたんです。なりたいではなくて。
――翻訳学校には通われたのですか?
調べると当時その翻訳学校は平均年齢が50代ぐらいと聞き、入りませんでした。通っていた大学で教えていた柳瀬尚紀先生に「弟子入りしたい」と懇願したのですが、弟子は取っていないとけんもほろろで……。それでも訳文などを持って行ったりしていたら、「運転手ならいい」と冗談で言われて。
――なぜ柳瀬さんだったのですか?
柳瀬先生の訳文はアクロバティックですが、背景も含めて徹底的に考え抜いているから出てくることばです。解説を聞くと、こんなに深く読める人がいるんだと驚かされました。
――単著の初翻訳は23歳と早いですね。駆け出しの翻訳家だと印税はどのくらいなんですか?
8%じゃなかったかな。もうちょっと低かったかもしれないですね。現在は若手はもっと低いと聞いています。改善したいです。
文芸翻訳だけで食べていけないという嘆きは耳にしますが、文芸畑の文筆家になるなら兼業覚悟でないと難しいでしょう。私も実務翻訳や雑誌社の英語記事翻訳、新聞の文化コラム執筆などをしてきました。
――翻訳家としてのターニングポイントは?
やはり「嵐が丘」を翻訳したことですね。新聞のインタビューで「嵐が丘」を訳したいと話したらそのことばが記事になってしまい、それを見た新潮社の方から依頼があったんです。
私は20代から35歳まで父と母の介護がありました。留学にも行けなかったし、やりたいことも十分にはできませんでした。両親を見送った後、36歳から40歳までに、「嵐が丘」を訳し、結婚、出産まで、詰め込みで全部こなした感じです。
「嵐が丘」の翻訳が出てからは、急に文芸評論や書評の仕事をたくさんいただけるようになりました。「訳すことは読むこと」と思って、翻訳を続けてきたおかげかもしれません。 (聞き手・加藤修)
母校の小学6年生に翻訳を教えた体験を元にした入門書です。ワークショップ形式の授業で、子どもたちが題材の物語の核心に飛び込み、語り手、視点、人称、主語、翻訳可能性と不可能性といった翻訳する時のエッセンスを、専門用語を使わずに話しあう姿は驚きの連続でした。子ども向けに平易に書いていますが、大人の翻訳家志望者にも翻訳の本質が伝わると思います。
ドイツ語と日本語で創作活動を続ける多和田葉子さんの言語・創作哲学が凝縮されたエッセー集です。Aという言語とBという言語の間にある「詩的な峡谷」にいたいという思いは、どちらかではなくて、その中間に宙づりになって留まり続ける力(ネガティブ・ケイパビリティー)で、多和田さんの作家としての核心であると同時に、翻訳家にもあてはまります。
◇次回は書評家の杉江松恋さんが登場します。