ISBN: 9784093867764
発売⽇: 2026/02/25
サイズ: 13.7×19.3cm/328p
「虚空蔵の峯」 [著]飯嶋和一
評者が社会部記者だったころ、リクルート事件やゼネコン汚職、オウム真理教の裁判を法廷で取材した。初公判や判決はともかく、数年に及ぶ審理の途中経過は出稿してもボツになった。退屈な証人尋問に記者席で寝落ちし、廷吏に小声で叱られたこともある。
そんなダメダメ司法記者だった身からすると、徳川の治世を騒がせた裁判劇を描く本書はまさに臨場感たっぷり。3年に及ぶ裁きの途中も退屈など皆無で、ページを繰る手が止まらない。
舞台は、9代将軍家重の世の美濃国郡上藩。藩主は江戸屋敷で遊興にふけり、家臣らは国元で異常な重税を民に課した。
たとえば白山信仰の拠点だった村では、欲深い神主が家臣らと結託して村民五百余名を追放。飢えと寒さで70人以上が放浪中に命を落とした。
「これほどの悪政に黙っていては白山の神に許されない」。悲壮な決意をした男たちが江戸で駕籠(かご)訴や箱訴を敢行する。
奉行らは当初おざなりに処理しようとする。だが人気の講釈師が郡上騒動を上演して江戸の関心を呼ぶと、幕府は一転、藩主を白洲(しらす)で裁き、改易の判決を下す。
それでも訴えて出た男たちが故郷に戻って称賛されはしない。講釈師ともども死罪や獄門の極刑に付されたからだ。
裁く側の主眼は窮民を救うことにはない。あくまで幕府による私藩支配の強化が狙いだ。徳川司法の酷薄さを描くとき、作者の筆は冴(さ)えかえる。
270年も前の法廷ルポを読みつつ、思いは現実に向かう。統治者が一強になればなるほど、庶民は二つに分断されるもの。郡上でも、藩政に追従する「寝者(ねもの)」派と、身を賭して立ち上がる「立者(たちもの)」たちが争い続けた。
寝者と立者の反目から村の調和が破壊された結果、「藩の思うがまま、やりたい放題が通されることになりました」。若き立者の嘆きが悪政の本質を突く。
まるで今日の米国、明日の日本ではないか。
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いいじま・かずいち 1952年生まれ。作家。『出星前夜』で大佛次郎賞。『星夜航行』で舟橋聖一文学賞。