すべては手を洗うことが中継している。帰宅直後のことだ。以前はそれほど「家に帰ってすぐはやることが多い」と感じたことはなかったのだが、この数年は、忙しい、忙しい、と帰ってからへとへとになっている。買い物からの帰り道で、家に帰れること自体はうれしくても、帰った直後にやらなければならないことを思うと、なんとなく憂鬱(ゆううつ)になってくることさえある。その、帰宅直後にやらなければいけないことのハブとして「手を洗うこと」はある。
新型コロナウイルス蔓延(まんえん)以降、「手を洗うこと」が日常の中で特別な位置を占めるようになった、という人は多いだろう。二〇二〇年以降とそれ以前では、「自分の手には目に見えないウイルスがいる」ということへの意識は雲泥の差があると思う。自分もその一人で、しっかり手を洗うようになったし、外出して帰ってきてから、手を洗わない状態で家の中のものをさわることはほぼなくなった。
良いことだと思う。しかし厳しい。常に「外出してきた手でさわっていいもの(仕方のないもの)」「さわらないほうが望ましいもの」を頭の中で仕分けている。買った物を冷蔵庫の近くに持って行くと、中身や冷蔵庫にはさわらないで、帰りたての手で取り扱っていいコート、帽子を所定の場所にひっかけ、手を洗う。手を洗うと、うがいをして、買った物のところに戻り、冷蔵庫や棚にしまっていく。
いつものように帰宅して念入りに手を洗っていた時に、手を洗うことは岡山みたいだな、と考えたことがあった。西日本に住み、主に電車移動をする自分にとって、岡山駅は山陰・山陽に行く時にも四国に行く時にも九州に行く時にも通過する場所で、それらの場所から帰ってくる時にも必ず通過する場所だからだ。
手を洗うことは岡山のようなもの。そう思うと、諦めのようなものが湧き上がってきて、それからは手を洗うことに一切の痛痒(つうよう)はなくなったのだった。=朝日新聞2026年4月22日掲載