映画「名無し」佐藤二朗さんインタビュー 原作・脚本・主演で描く絶望「当たり前に理不尽。だけど…」
――本作はご自身にとって初の「原作・脚本・主演」作であり、念願の映像化だったそうですが、ここまでの経緯を教えてください。
5年ぐらい前に脚本として書いた作品で「これを映画にしたら面白いと思う」と親身に相談に乗ってくれたプロデューサーも何人かいたんだけど、異口同音に言われたのは「日本映画界の現状として映像化は難しい。有名な漫画や小説の原作がないと担保にならない」ということでした。そのため、いったん映画化は後回しにしたところ、とある編集者の目に留まって漫画になり、ようやく今回の映画化に至りました。
――本作の着想はどんなところから得たのでしょうか?
僕は自分が「山田太郎を演じたい」という思いでこの脚本を書いたのですが、物語を書く時「こういうお話が書きたい」という思いが最初のモチベーションになってエンジンになることもあるし、「このシーンがどうしてもやりたい、書きたい」という思いが最初の動機になって作っていく、その両方ありだと思うんです。今回の場合は、完全にあるシーンがやりたくて書き始めたんだけど、それが最初のシーンです。
最初のシーンで太郎が女の人と「焼き鳥ならささみとかの方がいい」とダイエットについての話をしているんだけど、その時の太郎の右手には鋭利な刃物があって、お客さんからすると「これは何を見せられているんだろう?」と思う。「寝る2時間前は食べない方がいいんだ」などとごく普通の会話をしていたら女性が突然刺される。そのあとに太郎の子ども時代の回想シーンが出てきて、右手で触ったものが消える。そこで初めてお客さんは、鋭利な刃物を持った太郎に対して女性が普通にダイエットの話ができていたのは「刃物が見えていなかったのか」と気づく、といったことがやりたかったんです。人間の内圧とハードボイルド・サスペンスを組み合わせてみたらどうだろうという思いから書いた作品でした。
――過激なテーマと特殊な世界観ゆえにお蔵入り寸前となっていたそうですが、ご自身ではどうとらえていますか?
「過激なテーマ」や「特殊な世界観」ということを強いて言うなら「神の存在」とか「神の立ち位置」みたいなことかなと思っています。「名無し」というタイトルも、映画の主題歌を担当してくださったNovel Coreさんは脚本を読んで「名前をつけるという行為自体に対して哲学を持ちたいと思い『名前』という歌を書こうと思った」とおっしゃっていました。また「名前をつける行為自体、ある種カルマを背負っていると思うんです。生き物はいずれ亡くなるし、名前をつけなければ悲しまずに済むのに、それでもみんな当たり前のように名前をつける。その行為は覚悟がいるし、責任を負うことでもあると思う」ともおっしゃってました。
名前がない「山田太郎」という人が右手で触るものは、名前を知らなければそれは消えないけど、名前を知った瞬間にそれが消えて、生物は死ぬという、人間の根源的なものに関わる示唆に富んだテーマで、さまざまな解釈が可能だなと思っています。
――以前発売されたエッセイ『心のおもらし』に収録されている脚本の「おとなの絵本」や「ヤマナミ」(いずれも仮題)などにも殺害シーンが描かれていました。今作でやりたかったという、自然な会話の中での「殺害シーン」を取り入れる理由は何かあるのでしょうか。
よく演出家の方に「二朗くんの書く本って、お客さんが笑っていると思ったら、急に冷水をかけられるみたいなことがよくある」と言われるんだけど、僕はそれを意識してやっています。当たり前や既成概念に冷や水をかけたいという思いがあるので、今作では普通に会話をしている中に“何か”があるというシーンをやりたい、演じたいなと思っていました。
僕と他の脚本家の方との一番の違いは「自分が演じる」ということを想定して書いていることだと思うんです。なので「ヤマナミ」も「おとなの絵本」も今作も、自分がやりたい役を書きたいという欲求から来ているんですよね。それがたまたまどれも人を殺す役なのですが、人を殺めるという行為をするということはもう「人」ではなくなっているので、ある意味では究極の行為なのかもしれません。
もちろん、そんな人が一人もいなくなるのがいいんだけど、その辺の紙をグチャっとするように人を殺めるのか、それとも震えながらやっているのか。いずれにしろ、その究極の行為をするような極限状況での人間の心理状態に役者として身を投じてみたいと思ったのと、僕が演じたい役を書いていたら、たまたまそうなっていたということです。
――漫画では太郎のセリフが多少ありましたが、映画ではほとんど会話がなかったですね。
映画ではしゃべらないのもありだなって思ったんです。それはやっぱり、映画「爆弾」で演じた「スズキタゴサク」との差をつけたいという思いもあったかもしれないです。タゴサクは延々としゃべっているので、全く違うキャラになれるなと思ったし、でも「ここはどうしても言わなきゃ」というところは残しています。
スズキタゴサクと差をつけようとして、あまり話さないキャラクターにしたのは良かったと思っているんですけど、そうなると先ほど言った、冒頭で女性と太郎が普通に会話するということができなくなるんですよね。無口になるとそれ自体がもう不穏なので、僕が最初にやりたかった動機は捨てて「しゃべらない男」という方を優先しました。
――ほかに演じるうえで意識したことはありますか?
僕のイメージでは、長い間、誰とも話さないことで声帯が退化して、潰れたようなかすれた声というのをイメージしました。なので脚本も、山田太郎のト書きやセリフはひっかき傷で書いたようなおどろおどろしいフォントに変えました。脚本ってスタッフやキャストに対するプレゼンだと思っているから、製本される時に「絶対に太郎のところのフォントは変えてください」とお願いしたんです。
――山田太郎の抱えているものは分かりながらも、どう解釈していいのか、多くの人の命が奪われていることを「どうにかして解釈しなきゃ」と思わせられましたが、佐藤さんにとって本作は個人的な作品なのか、世の中に向けて何らかのメッセージ性を含んだ作品、どちらの思いが強いですか。
個人と社会、両方ですかね。僕の初監督作「memo」という映画は強迫性障害の女の子、2作目の「はるヲうるひと」は虐げられた女郎のお話ですが、みんな負を抱えているんだけど、その人たちがとてもハッピーになるという話には僕はあまりグッとこないんです。
例えば、雨が降っている日に傘を捨てて濡れて帰ったら「明日も生きてみるか」って思えた。そんな些細なことでちょっとだけ前を向けるという話が好きなんですよ。世の中当たり前に理不尽で、残念ながら逆転不可能と思うしかないカードを神様から与えられた人もたくさんいるけど、僕はその神様の気まぐれなカード配りに、人間のぬくもりやつながりといった小っ恥ずかしいきれいごとが負けてほしくないという思いは、どの作品を書く時にもあります。
今作は、負を抱えた人間、神様から与えられたカードが貧困な人間が主人公、というのは今までの作品と共通しているけど、人や社会とつながることを諦めなかった主人公たちと、それを諦めた主人公という点が今までとは違うところです。それに、目を背けたくなるような残酷さにより「こんなことがあってはいけない」と心から思える面もあると思うので、残酷な描写に加減をしないことで劇場を出た後に「こんなことがあっちゃいかんな」と思うのも、映画の持つ一つの力であり、役割の一つであってもいいと思います。
――作中、山田太郎に訪れた幸せなひと時がありました。家族や人とのつながりを大切にされる佐藤さんですが、演じていてどんな思いがありましたか?
先ほど言った「こんなことがあってはいけない」と一番思うのは、やっぱり残酷なものを見た時だと思うんです。ちょっと露悪的に聞こえてしまうかもしれないけど、「かすかな光」がないと、絶望にはならないんですよね。誰ともつながれなかった太郎に、初めてつながれた人ができたということは、彼にとって大きな光だったかもしれない。でも今作の主人公は凶行に走るために、とにかく絶望に叩き落とさないといけないので、そのための小さな光、希望がないといけなかったんです。
――山田太郎を追う国枝刑事を演じた佐々木蔵之介さん、幼少期の「名無し」を「山田太郎」と名付けた警察官の照夫役の丸山隆平さん、幼少期から太郎と行動を共にし、右手の異能もよく知る花子を演じたMEGUMIさんの熱演も光っていました。
3人とも大好きな俳優さんです。ちなみに国枝はぜひ蔵之介さんにやってほしくて、何としても口説き落としたかったから、プロデューサーを通して思いの丈を込めた長文をお渡ししました。この映画のテーマとして一つあるのは「諦念」なんです。つながることを諦めてしまった主人公の山田太郎と、それを諦めなかった国枝って、ある種、合わせ鏡のような存在なんですよね。この合わせ鏡になるような同年代の存在をどうしても蔵之介さんで見てみたいという、僕の切なる願いでした。
丸山くんは本作について「ただ残忍なだけではなく、深く共感せざるを得ない人間としての欠陥を象徴するかのような特殊性」、MEGUMIちゃんは「『自分の持つ傷の行方』ということを考えた」という言葉を使ってコメントしてくれていますが、お三方ともこの特殊な世界観と過激なテーマに深く共鳴してのめり込んでくれたなということは完成作を見て感じたので、改めて感謝しかないです。
――以前、ご自身のSNSで「『演じる』とは全くの別腹で『書く』欲求が僕の中にあります」と書いていましたが、これから書いてみたい作品はありますか?
ありますし、実は昨年書いたものが少しずつ進行中です。僕はその時々に「自分が演じたい」という欲求がマグマのようにないと書けないんです。それはきっと、小説家の方でも戯曲家でも同じで、塊がすごく揺さぶられる「何か」があって書くと思うんだけど、その「何か」は聞かれても分からない。
5年前は「名無し」を書きたかったし、あの役をやりたかった。でも昨年書いたものは詳しくは言えないけど、今作とは全くジャンルが違う話で違う役をやりたくて書いたので、こちらも、原作・脚本・主演、あるいはダブル主演になるのかなという感じで進めようとしています。
――では、最近読んで印象に残っている本を教えてください。
最近読んだ本だと『夢なし先生の進路指導』(著:笠原真樹、ビックコミックス)という漫画です。妻に勧められて読んだのですが、元キャリアコンサルタントの高校教師・高梨が進路指導の際にいろいろな生徒が夢を話してくるんだけど、「現実にはこういうことがありますよ」と、厳しい現状や現実的なことを言うから「夢なし先生」って呼ばれているんです。
いろいろなエピソードがあって、例えば先生の言うことを無視して実際にその職業に就いたけど、辛い現場に直面して転職するという話もあれば、「諦めるという言葉の語源は『明らかにする』ことだ」という夢なし先生のセリフがあるんだけど「諦めることも別に悪くないよ」といったエピソードもある。この本の担当編集の人は「何度でも夢を持って、諦めていいということを伝えている」という風に解釈していると言っていたけど、これはすごい漫画だなと思いました。