映画「君のクイズ」主演・中村倫也さんインタビュー 「すぐに正解を出さないように生きています」
――まずは原作を読んだ感想を教えてください。
原作の噂は聞いていたのですが、実写化すると思っていなかったし、まさかその企画が自分のところに来るとは思ってもみませんでした。実際に読んでみるととても面白くて、ハラハラしながら読みました。知ってはいるものの、詳しくは知らなかった「クイズ」という世界でこれだけ骨太な物語があって、ただの謎解きではなく、ちゃんと人物の人生に帰結していく。それがいたるところに散りばめられていて、とてもよくできている作品だなと思いました。
――原作は三島のモノローグがメインで話が進んでいきますが、映画では4人のクイズプレイヤーたちと過去の放送を見ながら「なぜ本庄は0文字解答できたのか」を番組内で検証していきます。
いただいた企画書に、検証番組の中で「0文字解答の謎」を紐解いていくといったことが書いてあったのですが、原作にはそういった検証番組は出てこないんです。基本的に三島が家で自問自答していって、謎に対する疑問や情報の説明などを、読んでいるこちらにも与えてくれる。いろいろな発見も三島の目線で語られているので、映画化するにあたって、そこをどういう意図で見せていこうか、その骨組みをちょっと変えることが効果を持つのかなということをまず考えました。
それに「検証番組をやる」ということが、本作の実写化コンペで小川先生をはじめとするみなさんが選んでくれた理由だったそうなんです。そこに着目して選んでくださったというところも含めて、小川先生はとても賢い方なのだろうなと思いました。
――今作を映像・映画表現でみせるために演者として工夫したことを教えてください。
例えば、三島が部屋でひとりパソコンと向き合いながら延々と謎解きをやっていても、画が動かないから飽きてしまう。それを検証番組という舞台にすることによって、いろいろな人も関われて、より三島が主人公としてフリーになり、語り部という存在だけじゃないパーソナルな部分を膨らませられるなと思いました。この原作を実写化する狙いはどこにするべきなのかという前提や目線で常に考えていたかもしれません。
――原作とは異なる部分もありますが、映画ならではの着地点みたいなところはどのように考えていたのでしょうか?
僕が原作を読んでいた時のイメージは、そこまで広くない部屋にいる三島と、別空間にいる本庄がいて、そこだけにライトが当たっているような感覚でした。でも映画になると、検証番組もそうですが、もっと開けた場所で「みんなで考えよう」という図式なので、見ていても演じていても、間口がバーンと広がっている。
なので、密室の対話というよりは、本庄が起こした大きな謎について広く参加できる感覚は、映画ならではと思いますし、それがあった上で、三島や本庄、坂田のパーソナルに安心して入っていけるという良さはある気がします。
――本庄を演じた神木さんと、「Q-1グランプリ」の総合演出を務める坂田泰彦を演じたムロツヨシさんとは久々の共演でしたね。
3人ともちょっと面倒くさくて、一筋縄じゃいかない“ねじれ”があるんです。だけどそれぞれの信念がある役だから、僕からすると「なんだこいつは、面倒くせぇな」と思うことがたくさんありました。でもその「面倒くせぇ」は「なんか愛くるしい」みたいな言葉でもあって、そこが今回のお話を受けた動機の一つでもあります。
三島としては、本庄と坂田にいちいち感情を逆なでられたり混乱させられたり、心のひだをこれでもかと縦横無尽になでつけられまくっているから、休まることがなかったです。でも、勝手知ったるこの2人だから、こちらも安心して振り回されていられる。そういう意味では「信頼感」という言葉が一番当てはまるかもしれないですね。
――これまで中村さんが演じてきた役は、あまり感情を表に出さない人物が多い印象がありましたが、三島は焦りや悔しさ、驚きといった感情が割と表情に出ていたように感じて新鮮でした。
三島は全てに翻弄されるキャラクターなのでそういう面はあったと思うけど、実は表現としてはそんなに感情を出していないんです。でもそう見えるということは、多分この状況と翻弄される三島がリンクして、作品の中に入っていたからなんじゃない? 自然と没入してそう見えてしまうところも不思議な作品だなと思います。
――なぜ0文字解答できたのかも含めて、本庄の過去が徐々に分かった時、個人的には原作よりも映画の方が、より本庄に感情移入してしまいました。
原作は、終わり方も含めてもう少し突き詰める道を選んだ本庄が描かれているから、ちょっと違うもんね。もちろんビジュアル化されているという違いもあると思うけど、その辺の三島とのやりとりや微妙なニュアンスの違いがあって、それはそれぞれの物語を追うという見せ方の差なのかな。そこは“神木隆之介の腕”とでも言っておこうか(笑)。
――0文字の真相を解明しようと決勝戦を1問ずつ振り返る三島は、自らの記憶も掘り起こしていくなかで「自分は何を見落とし、選択を誤ったのか」と自問自答し、自分を見つめ直します。以前、「THE やんごとなき雑談」でインタビューした際、エッセイを書くことで自分自身を見つめ返すことができたと言っていましたが、自分の過去を振り返ってみること、自問自答することで得るものとは?
きっと、整理整頓みたいなことなんだろうね。人間の感情は1種類ではないから、生きていく上で感情のラベリングが必要なんです。それが広辞苑に載っている感情ならいいけど、そこに対する言語化や、出来事や感情、感覚、それに「なぜそうなったのか」といった様々なことを検証して、棚にしまいやすいように形を整えることなのかなと思います。
それはエッセイを書いた時もそうだし、作品を作る時も、きっとクイズに答える時も同じで、最後の最後まで絞った1滴みたいなものが自然と出てしまう。そこにはやっぱり「その人」が出るんだよね、恥ずかしながら。
――後半で「世界は問いに満ちている。何を捨て、何を守って生きていくのか」「自分の選択は正しかったのか?」といったセリフもありましたが、クイズも人生も選択の連続です。中村さんがこれまでに一番迷った、悩んだ選択は何でしたか?
僕は17歳くらいの時から、自分の人生は自分で選択して生きていきたいということを強く思っていました。例えば「成功」と「失敗」というものがあるとしても、全て自分の責任だなと思うんです。それを自分で引き入れ込んで、引き受けた上で、選ぶものを決めて歩いていこうと思ってきたし、今もそれは変わりません。
些細なことも大きいことも、何かを決める前に「これは自分の選択だ」って思いながら選んでいるし、そこはあまり悩まないんです。だけど頭の中ではディベートしていて、A案かB案か、それ以外のどれを選んでもそこからどうトライするかは分からない。損得勘定ではないけれど、頭の中に天秤があって、傾いた方を「自分の選択」と決めます。
――自分が納得して選んだことでも「やっぱりこの選択は間違いだったかな」「失敗しちゃったな」ということもあると思うのですが、そういう経験はありますか?
自分が変わり者だということはよく分かっているし、たぶん人と物差しが少し違うからほかの人にはあまり刺さらないかもしれないけど、一番好きなのは「自分が選んだのにミスをした時」なんです。それが生死にかかわるようなレベルだったらまた話は違うけど、自分が選んだ方で正解を出しても楽しくないんですよ。だから後悔もないし、ミスも怖くない。だって、ミスするって楽しくない?
それに、自分が思い描いた通りに成功したとしても、ちっとも面白くない。なぜなら、それを描いている時点で「もうできてるじゃん」と思うし、描いてできることはやらなくていいじゃんとも思うんです。思った通りにいかない方が楽しいのは、きっとクイズと同じように頭を使うからでしょうね。やればできることをいつまでやっていても、多分それは単純作業の繰り返しなんですよ。だから僕は、あの手この手で自分がいかに頭を使うかということを考えながら、すぐに正解を出さないように生きています。