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「見えるか保己一」 意地悪や嫉妬心もリズミカルに 朝日新聞書評から 

評者: 御厨貴 / 朝⽇新聞掲載:2026年05月09日
見えるか保己一 著者:蝉谷 めぐ実 出版社:KADOKAWA ジャンル:文芸作品

ISBN: 9784041160329
発売⽇: 2026/03/13
サイズ: 14×19.3cm/352p

「見えるか保己一」 [著]蝉谷めぐ実

 さて困った。見えぬぞ保己一(ほきいち)。読み終えた後、こんな本というイメージが浮かばない。作者に何度も何度もうっちゃりをくらった記憶はある。全体の構成が伏線を張りつつも、素知らぬ感じなのだ。
 舞台は江戸後期。保己一の幼年少年時代を扱う一章と二章は、盲(めしい)の保己一が目明きを圧倒していく小気味よさ、次いで盲の世界ではドジばかり踏み、仲間から馬鹿にされるみじめさ、その対照を作者特有の調子の入った言葉でみごとに紡いでいく。
 ここまでで読者は何となく話の筋に安心し、こんな展開かなと小説の先を見極めてしまう。ところがどっこい、作者はそこから三章と四章――これまた長い。長いがゆえに保己一の盲ゆえのある種の感受性の鋭さと鈍さがわかる――で、この世の盲あっての目明きの意地悪や嫉妬心、相互の心の読み合いの世界をリズミカルともいえる言葉の中に落とし込んでいく。保己一を惑わせるのは、妻や娘や女性ばかりではない。同じく目明きの男性の運命をも変えていく。葉次郎に金十郎。保己一という盲の存在に狂わされていく人生の中で、何とかして保己一に一矢報いたい心根。そんな中で、盲か学問かを悩みに悩む保己一。
 人間の業(ごう)――作者はなぜか業とは言わぬが、手あかがつきすぎているからかもしれぬ――を余すところなく描いて、三章、四章は圧巻である。盲としての保己一のよりどころは、自らの知を信じ、総検校(そうけんぎょう)という盲の世界の最高位をめざして学問に精進することにある。だが作者は、朝日新聞の取材に自ら答えたように、聖人にしたくない、聖人なんてありえないという猛烈な「見えぬぞ保己一」の精神を発揮し、物語を作り上げていく。我々読者は、その作者の生みの苦しみを追体験させられる。
 そして五章と短い六章とで、作者がこれまでの章で伏線としてきた人物たちが、「見えるか保己一」の一線に集中しながら人生の最終盤に向かっていく。でも作者は、ここまで来て、なおどんでん返しを試みる。だから短い章にて謎解きを明るみに次々に繰り出す手法に、読者はついていかざるを得ぬ。
 保己一は明らかに総検校ではなく、あの幼少年期の邪気のない様に戻り、最後の伏線たる人物と対峙(たいじ)する。盲の世界での一生を、二人のまったく異なる立場にある者同士が語り合う。それはほんとうに切ない言葉の応酬だ。どちらがいいとも悪いともいえない一人の生涯。だからこそ、それは「見えるか保己一」ではなく、「見るなよ、保己一」で結ばれる他はない。
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せみたに・めぐみ 1992年生まれ。作家。『化け者心中』で小説野性時代新人賞を受けデビュー。『おんなの女房』で吉川英治文学新人賞、『万両役者の扇』で山田風太郎賞。全盲の国学者を描いた本書で山本周五郎賞候補。