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文學界新人賞・村司侑さん 先に小説家になった妻に嫉妬。自己憐憫をやめたら書けた「ソリティアおじさんがいた頃」#39

村司侑さん=撮影・武藤奈緒美

大学受験がイヤで小説家を目指す

 子どもの頃から読書が好きだった村司さんが、読むだけでなく書くことに目覚めたのは高校生の時。

「高校に入学して文化系の部活に入ろうと思いました。一通り見てからどの部にするか決めようと、文化部棟の一階の校舎から一番近い物理部を訪ねましたが、そのまま捕まり入部。そうしたら、そこの先輩が文芸部の人と仲がよくて。詩や小説を自分で書くこともあるのだと知りました。受験勉強がイヤで、小説家になれば大学に行かなくて済むんじゃないかと思ったのがはじまり」

 書いた小説を賞に出したものの、一次も通過しなかった。もっと小説がうまくなりたいと、大学は文学部を選択し、サークルも文芸部に入った。そこで、のちの伴侶となる寒竹泉美さんに出会う。

「そういえば入学部式の学部長の挨拶が『小説家になれ』というものでした。ただ、文学研究を専門にすると、誰かの後追いになってしまうと思い、文化人類学を選択。カート・ヴォネガットも文化人類学を学んだそうなので、あの選択は間違いではなかったと思います。大学4回生のとき、ある地方文学賞で佳作に。それもこの取材を受けるまで忘れていたくらいで、授賞式も『卒論が忙しい』とかっこつけて行きませんでした。行っておけばよかった。
 寒竹氏が京都大学の大学院試験を受けるというので、『もし受かったら、わたしも京都で就職しますわー』と言っていたら、見事受からはったんで。それで一緒に京都に出てきました」

 

【本棚】「本読みの夫婦あるあるなんですけど、太宰治の「津軽」とかボリス・ヴィアンの「日々の泡」とか、けっこう本がかぶってます。『うたうかたつむり』の著者・野田沙織さんは高校、大学とお世話になった先輩。第25回三越佐千夫少年詩賞を受賞されました。『家の庭』は寒竹氏が作った連作短編集。ぜひ」=写真・本人提供

妻の受賞を素直に喜べず……

 就職してからは仕事が忙しく、さらに村司さん曰く「行き過ぎた空虚な野望」のせいで作品を完成させられなくなった。

「当時、ミニマリズムな文体に傾倒して、なんでも記述できる最善の文体を模索し、迷走。読書量も書く量も減って、野心だけ膨張した状態でした。書いていても面白くなくなってやめてしまう。たしか10年間で4回くらい純文学の賞に応募したはずですが、いいものを書けたという手ごたえがなく、結果を確認することもなかったです」

 2009年、30歳のとき、寒竹さんが講談社Birthというレーベルの小説部門を受賞し、「月野さんのギター」でデビュー。

「やさぐれちゃって、素直にお祝いできませんでした。八つ当たりもしましたし。それなのに今回の僕の受賞では寒竹先生は泣いて喜んでくれたんで、人としての格の違いを思い知らされましたね……」

 2014年、35歳のとき、文學界新人賞で初の3次予選通過。

「ちょうど仕事を辞めていた時期で、『小説家を目指すのはこれで最後』と決めて応募したんです。結果が分かったときにはすでに再就職していました。以降は小説家の夢は諦め、趣味としてただ自分の腕を磨くために書くようになりました」

 3次予選を通過する実力があるのだから、このまま続ければいつかは、とは思わなかったんですか?

「今思うとひどいですけど、その頃は『35歳でデビューしてもな』って思ってたんです。30歳超えたら人の能力のピークは過ぎてるって思い込んでいて。でもそこで諦めたことで肩の力が抜けたのがよかったように思います。それまでは、自分の小説で文芸界に革命を起こす、って思っていましたから」

 2016年、2020年と応募するも一次選考も通らず。2023年で初の最終候補に。翌2024年ではまた一次落ち。そして2025年、『ソリティアおじさんがいた頃』で受賞した。ここまでずっと応募先は文學界新人賞一筋だった。

「150枚以下という応募規定が自分に合うのと、寒竹氏から作風が合っているんじゃない?と勧められて。寒竹氏は僕の作品の最初の読者でほぼ唯一の読者なんです。『ソリティアおじさん~』でも彼女のアドバイスを取り入れたところがあります」

「お互いの小説を見せ合ってたんですけど、僕が細かいところを指摘するんで、一時期寒竹氏はあんまり見せてくれなくなりました。最近はときどき読ませてもらっています。現状、彼女は小説家としての執筆依頼があまりないようなので、もう一度公募に挑戦したら、と勧めています」=写真・武藤奈緒美

小説で自己憐憫するのはやめた

 2023年の最終候補から連続して応募するようになったのはなぜですか。

「2020年に応募したのが、ドイツやアルゼンチンを舞台にした大掛かりな構成の作品だったのですが、全然思うように書けなくて。これまで文章のことばかり考えていて、ストーリー作りがおろそかになっていたことに気づいたんです。そこからひとかたまりの物語としての作品を意識するようになった。その数年前に川端康成のすごさに気づいたのもレベルアップのきっかけだと思います。大学時代は引き算的な文章が雑に思えたんですけど、あらためて『舞姫』を読んだら、いろんな人物と話す円環のような構造になっていて、で、その円の外は?と思った次のページで、ちゃんと円の外の描写がある。ものすごく行き届いていて、手のひらの上で転がされている感じ。どんなに遠くてもいずれこのレベルのものを書きたい、そこへ向かいながら倒れたいと思うようになりました」

 仕事をペースダウンし、執筆中心の生活に変えたことも理由のひとつだそう。

「これもまたひとえに寒竹氏のおかげでして。彼女は医学の博士号を持っていてサイエンスライターをしているのですが、その仕事が順調で、すごく忙しくなって。だったらこっちが仕事量を抑えて家事を多めにやろうと。そして空いた時間は小説を書く。このリズムができたのも大きかったです」

『ソリティアおじさんがいた頃』はタイトルをいちばん先に思いついたそうですね。

「ある日、SNSで〈#思いついた小説のタイトルを書いてみる〉ていうハッシュタグが流れてきたんで、何の気なしに『ソリティアおじさんがいた頃』って投稿したんです。そのときは、ほんとに書くかどうかも決めてなかったんですけど。はじめはソリティアおじさんは生きている人で、先輩いじりをしている後輩男性が主人公というぼんやりしたイメージでした。でも一年ほど忘れているうちに、彼女のヒモみたいなことをやっている海史が出てきた。料理を作って働く彼女の帰りを待つ、自画像に近い人物です。以前書いた、ある作品では、そういう自分を重ねた人物を描いた結果、自己憐憫のようになっていました。それを今回は断ち切ろう、と。すると必然的に彼女の方が前に出てきました」

 それが主人公の古井瀬瑠奈ですね。瑠奈の京都弁の一人語りがものすごく自然で、魅力的でした。

「僕は福岡出身で京都弁ネイティブではないんですけど、20年京都で参与観察(調査対象の社会に自ら参加する社会調査法)してきたし、ということでチャレンジしてみました。今のところ京都の方から怒られてないのでホッとしています。じつは方言を書いたのは今作が初めて。これまでは方言で書くと、その地域以外の読者への伝達率が落ちるんじゃないかと心配していたんです。もっと若い頃は、村田紗耶香さんみたいに海外で読まれたいから、翻訳しやすいように標準語で書こうって思っていました。ほんとうに野心だけはありました」

パソコンは2画面使い。「ソリティアは『ソリティアおじさん~』を書くために始めたんですけど、書きあげたあともくせになってます。じつは登場人物の名前はフリーセル→古井瀬瑠奈など、ソリティアのゲームの種類から取っているんですよ」=写真・本人提供

「小説家」は後から認定されるもの

 最終選考に残ったという連絡が来た時はどう感じましたか。

「2年前にも最終候補になったので、連絡が来る時期がわかっているじゃないですか。でも次の年は2回知らない番号から電話がかかってきて、2回ともへんなセールスだったんですよ。だから今回はすぐ取らずに番号をネットで調べてたらその間に切れちゃいました。もう今日は遅いからとご飯食べてたらまた着信。むちゃくちゃむせながら病人のように電話に出ました。嬉しかったけど、あんまり自信はありませんでした。うまく書けたとは思うけど、自分の体重が乗っている感じはなかったんで」

 そして受賞。

「心を落ち着かせるために換気扇掃除をした後、途中までだったエマ・ストーネクスの『光を灯す男たち』の続きを読んでいるときに電話が来ました。ほんまにこれでいいんかな、ってまだ思ってました。寒竹さんは涙ぐんでくれて、いや、そんなに?って思いましたけど」

 すてきな人ですね。

「うん、めっちゃいい人です」

 村司さんにとって「小説家になる」とは。

「『小説家』『作家』『執筆』といった言葉に気恥ずかしさを感じます。そんなたいそうなことしてないので。小説家になったいうのも、どういうことなのかあまり理解できていません。素朴に考えてみると、単行本が出たり、雑誌に作品が載ったら、振り返ってそれまでの時間は『小説家』って言えると思うんですけど、その次が出なかったら、さかのぼって最後に出たものが引退作になりますよね。『小説家』っていうのは後からみたら小説家やったなって認定できるもので、現在という時点においては常に身分不確定だと思います。」

 

「作品に込めた思いといったものを作者が語ることには意味がありません。読者が受け取ったものがすべてで、受け取れなかったものは僕の技術が至らなかったということ。作者はちょっと特殊な読者のひとりです」=写真・武藤奈緒美

人類ベースで悠々と

 村司さんには独特のペースを感じます。35歳で小説家は諦め、「趣味」で応募し続けた。しかも仕事のボリュームを下げて。経済的に頼もしいパートナーがいたからその選択ができたというのもありますが、ふつうは世間体やプライド、将来への不安を考えて、仕事か小説家を本気で目指すかの二択になりそうなもの。

「文化人類学を学んだ影響か、自分のことを人類の歴史ベースで考える癖があるんです。初期人類が登場するのが700万年前、現生人類の出現は30万年前といわれています。自分は700万年生きてきて、今後1000年生きる人みたいな態度でいたい。そうするとたいていのことはどうでも良くなります。ダメ人間になるんで人にはおすすめしませんけど」 

 小説家になりたい人へアドバイスを。

「公募を受験のように捉えてほしくないなと思います。読者目線でいうと、傾向と対策といった発想で書かれたものより、小説そのものに対する野心で書かれたものを読みたい。これは僕の考えですけど、物事の判断基準のいちばん上に、有利・不利がきてしまうのは座りがよくないような気がします。時間かかっても効率悪くても、自分が書きたいものを目指してほしい。そしてその時間を苦しさも含めてエンジョイしてほしいと思います」

 今後、どんな小説を書いていきたいですか。

「全霊を込めた作品にするために、損失率を抑える技術を磨くなど、ひたすらにうまくなりたい。何を書くにしても、作者をすごく見せたり、上手に見せたりするためには書かない、と決めています」

 受賞作に出てくるソリティアおじさん・黒野田さんは、「結局あの人なんやったんや……」という不思議なおじさんだったけれど、村司さんもまた自分の身分を決めることなく、この先1000年続く人類の歴史を悠々とゆくのだろう。
 小説家になるとかならないとかを些末なことに思わせるのもまた小説で、やっぱ小説って、小説家って、おもろいなあ。

【次回予告】次回は第12回林芙美子文学賞を「むこうの景色は知らない」で受賞した山本莉会さんが登場予定です。