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「本とは何か」美学者・難波優輝さんインタビュー「読んでいないときが、実は一番読めている」

美学者の難波優輝さん=提供画像

本ってそんなにいいもの?

――『本とは何か』、シンプルながら深くストレートなタイトルですが、「読書論」ならぬ「本論」を執筆したきっかけはなんだったのでしょう。

 昔から本を読むことが好きでした。大学では最も本と向き合う学問と言っても差し支えない哲学に関心をもったこともあって、自分にとって本はずっと「考えるための道具」のような存在でした。

 でもあるとき周囲を見渡したら、「本を読むことはいいことだ」という認識が共有されていることに、はたと気づいたんですね。

 そのうちに自分も本を書くようになり、デビュー作を発売した直後に書店さんにご挨拶回りをしたのですが、ある書店さんを訪れたとき、「どんな本が読みたいですか?」と書店員さんにお聞きしてみたところ、「本を売っている身だけれど、読書ってそんなにえらいのか疑ってます」と言われたんです。

 さらに、別の書店員さんからも、異口同音で同じ答えが返ってきた。本が好きで、自分よりずっと長く本と付き合ってこられた書店員さんたちがそう言うなら、これは論じるべきテーマのはずだと考えました。

――おそらく多くの本を読んできた本を売るプロたちが、「読書ってそんなにえらいのか」と疑問を抱いていたのは興味深いですね。

 そうなんですよ。本が売れたら、書き手も本屋さんも全員ハッピーで、「本はいいものだ」と言って納得してしまってもいいはずですよね。でもたしかに「そもそも本ってそんなにいいもんなのかな」という疑問も自分の中にあったんです。それに、「若い人にたくさん本を読ませよう」といった実利的な読書論、読書社会学はありますが、「そもそも本を読むってなんだ?」という読書の哲学は、あまり論じられていないなと気づいたんです。

 哲学の世界では、基本的に「◯◯とは何か」ってあまり良くないクエスチョンなんです。「人生とは何か」と問われても、それに対する答えが曖昧になってしまう。でも、「本とは何か」で立ち止まっている人が見当たらなかったので、じゃあこのでっかいクエスチョンをもって、どこまで迫っていけるかやってみよう、と書き始めました。

読書とはパフォーマンスである

――本書の核にあるのは、第一章で提示される〈読書とはパフォーマンスである〉という考え方です。本を読む人は作品を味わう観客であり、同時に読むことで何かをしているパフォーマーでもある。この発想はどこから?

 根本には、自分が音楽が好きだったことがあります。中学生の頃から打楽器やギターを弾くようになったのですが、楽譜とにらめっこすること、ひとつの曲にさまざまな解釈があり、演奏が生まれていくことに面白さがありました。

 また、大人になってから子どもに絵本を読んであげたときに、絵本を読むという行為もまた、ひとつのパフォーマンスなのだと気づいたことも関係しています。

――確かに、声に出して絵本を読むことは、子どもという観客に向けたパフォーマンスです。 

 絵本はわかりやすい例ですが、自分が好きになった本に、他の人はどんな感想を抱いたのか気になることも、「その人がどう読んだのか」というパフォーマンスに注意を向けていると言えます。

 村上春樹の『海辺のカフカ』(新潮社)を読んだ人同士でも、どこが好きかは人によって違うはず。それぞれに異なる解釈があることは、作品自体とは切り離されたパフォーマンスの違いを味わうことでもある。そう考えると、作品から魅力的なパフォーマンスを生み出す文学批評家は、「プロの読書パフォーマー」とも言える。

 私が美学の道を志すきっかけになったピーター・キヴィ(1934-2017)というアメリカの哲学者がいるのですが、彼が提唱する「読書パフォーマンス論」を知ったとき、自分のこれまでの本の体験が、その理論とぎゅっと結びついたんですね。『本とは何か』では、この概念を手がかりに読書パフォーマンスを探求しています。

読んでいないときが、一番本を読めている

――難波さん自身は、どのような本を読んできたのでしょうか。

 小学生のときにレオ・レオニの『スイミー』(好学社)にハマって、そこから「ずっこけ三人組」(ポプラ社文庫)、「かいけつゾロリ」(ポプラ社)シリーズを読むようになり、中学生の頃は背伸びして夏目漱石に手を出し、やがてSF小説、村上春樹にも関心が広がって......という感じで、ちまちまと色々読んできた感じです。

 ゲームも大好きでよく遊んでいましたが、それ以上に本が一番好きになったのは、孤独になれるからでした。ゲームって、こちらを楽しませようとしてくれるじゃないですか。「発売された新作をみんなでやろう!」というお祭り騒ぎみたいな楽しみがゲームにはあります。

 でも本は、いつ生まれて死んだかも分からない作者が書いたものを、一人でただ読みはじめるものですよね。言葉がただ留められているだけで、こちらが勝手に読んで、勝手に感じるしかない。その愛想のなさが、自分にはすごく心地よかった。一番孤独を楽しめるのが本でした。

 ――〈本を閉じた後に、今読んでいる物語についてぼんやりと思いをめぐらすこと、これもまた本を読んでいるパフォーマンスの続きなのだ〉という本書の一節に共感する人は多そうです。これも孤独だからこそ可能なことですね。

 読書って、たいていは途切れ途切れに中断しながら進めるものですよね。だからページを閉じているときのほうが、じっくりとその本について考えられる。読んでいないときが、実は一番読めている。

 日常に溶け込みながら、日常に彩りを与えてくれる。そんな本の魔法のようなものに気づけたら、「やっぱり本っていいな」とあらためて思えるかもしれない。みんながもっと上手く、本を愛せるようになれたら楽しいなと思いながら書き進めました。

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難解な本は「半信」で読めばいい

――一方で、「物語を読めば共感力や想像力が育つ」など、多くの人が信じてきた読書の効用に疑問を投げかけています。実証研究でも効果は乏しいという見方がある、と。

 「他人を理解できるようになるから」「ビジネスに役立つから」という理由で、「本を読みなさい」という主張には、自分としては違和感があります。

 本を読むことには意味があるけれども、本がすべてを解決するというのは嘘っぽい。本気で社会のことを知りたいのなら、外に出て知らない人と話すほうがずっといいに違いありません。

 「役に立つから読書は素敵」という現代の読書論に対して、単純に「まずは面白いから素敵」でいいんじゃないの、という自分の思いを投げかけてもいます。

 人生の理由のなさを、私たちはもっと楽しんでいいと強く思っています。

――有益でなくても、何なら理解できなくてもいい。難しい人文書の「分からなさを楽しむ」ための構えとして、「確信」ではなく、とりあえず半分でわかる「半信」という考え方に触れていました。

 哲学の世界にはうんと賢い研究者がたくさんいるのですが、そういう人たちは「新しいことを発見するために、分からなさを楽しみ続ける」というある種の高度な遊びをしているようにも見える。高い山に挑むように、本を読んでいますよね。

 対して、そういう楽しみ方とは違って、半信半疑のまま、ちょっとずつ理解していくことだって楽しい。アメリカの哲学者、キャサリン・Z・エルギンはそのような理解を「半信(accept)」と表現しています。

――現代ではわかりやすさが重視される傾向がありますが、「半信」でいいと思えると、本の楽しみ方が広がりますね。

 難しさの中にひたすら潜り込んで思考するのではなく、世界をちょっとずつ分かって、実地で試して失敗して、また少しだけ分かっていく。そういう理解の楽しみも、本書で伝えたかったものです。

 「分からないものを分かっている人が偉い」だけの社会は窮屈ですよね。もちろん、高みに挑戦する人はずっと居てほしいですが、それだけだとエリート主義に偏重してしまう。分かったふりや半信を重ねてちまちま進んでいくことでしか、分からないことだってありますから。

ハウツー本は「大人のための変身ベルト」

――論じられる「本」のジャンルにも意外性がありました。文学や人文書に比べると軽んじられやすいハウツー本を「変身の予感」という見方から読み解いています。

 ハウツー本、自己啓発本に関しては、シンプルに自分が好きだからぜひ論じたかったものでした。勉強や練習によって、できなかったことができるようになるのは誰もが楽しめますよね。極論をいえば、方法論であれば一冊で足りるはずなのに、世の中に常に多種多様なハウツー本が大量に出版され続けている。

 その理由を考えたときに、ハウツー本は「大人のための変身ベルト」として必要とされている、という結論に行き当たりました。

 戦隊ヒーローの変身ベルトのように、読めば「変身できるかも」という楽しい予感を抱かせてくれる。ちょっとだけ元気になれる。そういうパフォーマンスをして楽しんでいる、といってもいいのかもしれません。

――ハウツー本は、大人にとっての変身ベルト! 人々の「変わりたい」という思いの詰まったジャンルだと捉えると、見え方が変わってきますね。

 ハウツー本や自己啓発本は軽く見られがちですが、どの本にも共通するのは、資本主義社会で生きる人々の「もっと生活や人生を良くしたい」という切なる願いが根底にあることです。つまり、ハウツー本は、叶うかどうか分からない願いを抱えた、すごく切なくてエモーショナルなジャンルでもある。

 私としては「変身の予感」を個人だけに持たせるのではなく、もっと社会全体で変身できる方向を目指せたら、という願いがあります。「自己の啓発ではなく、社会の啓発をしたい」という思いは、私が本を執筆する動機のひとつでもあります。

 ――雑誌も「本っぽくない本」として考察されています。

 流行文化を扱うものだから、「くつろぎながら背伸びを要求する」ところが、雑誌の面白さです。

 昔から雑誌を定期購読している人に憧れがあるのですが、自分ではできないんですよね。この挫折感は何だろうと考えたときに、雑誌って東京以外の都市で暮らす人にとっては「都会的なものへのアクセスの道」なんですよね。小さな町の本屋さんで、雑誌がメインでドーンと置かれているのも、そういう要素もありそうだぞと思い至りました。

 新発売のゲームをみんなで同じ時期に楽しむように、同じ雑誌を同じ時期に読むことで、同じ時間を共有できる。そういう時間共有の願望を象徴するのが雑誌というメディアである。だから、私が雑誌を定期購読できないのは、時間的メディアという雑誌の特性によるものだと腑に落ちました。他の人とほどよく時間帯を合わせることが得意じゃない。

 

『本とは何か』の目次ページ

――「本っぽくない」マンガについての論考も新鮮でした。

 マンガをめぐる問いは「また別の大陸があるぞ」という感覚です。これだけ存在感があるのに、マンガはなぜか「本っぽくない」とされています。

 その理由を考えたときに、人文文化の典型例である「文章」ではなく、絵とフキダシの文字を組み合わせた表現によって「こう読みなさい」と読者をナビゲートする強さなのではないかと。それによって読書パフォーマンスにゆらぎがなくなるというか、いわば「本らしさ」の過剰さのようなものが、本としてのマンガの面白さだと考えました。

――マンガはフキダシの大小によって誰がどんな感情で語っているかをはっきりさせたり、コマの配置や余白を調整したりすることで、どのように読むかを詳細に規定する。つまり読書パフォーマンスが強力にナビゲートされているから、マンガには文章の本よりも過剰な「本らしさ」があると。

 だから、マンガは「本」と呼ばれづらいし、村上春樹を批評するよりも「ONE PIECE」(集英社)を批評するほうがおそらく難しい。本書ではそうしたマンガの固有性を論じてみたくなりました。

 それ以上に、本書で一番へんてこりんだと思われそうなのは、楽譜とレシピ本を「読書パフォーマンス」として論じている点かもしれません。どちらも「本」として一般的には論じられないジャンルですが、それぞれに思想と立ち上がってくる読書パフォーマンスがあり、文学的ですらある。楽器を演奏する人、料理好きの人が読んで面白がってくれたら嬉しいですね。

 

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「盗み見民主主義」の場である書店をうろつこう

――最終章では、紙の本の置き場所である「書店」という空間についても書かれています。

 本屋さんって、まったく違う思想や立場の本が集められている空間ですよね。例えば、私は左派ですが、右派の著者が書いた本を手に取って、「今日も右派は元気でいいな! 頑張ってこっちも批判しよう!」と感じたりするように、書店では自分の立場を表明することなく、どんな本であってもこっそり盗み読むことができます。

 本屋さんは、「盗み見民主主義」の場という役割も担っている。それは社会にとってすごく重要で必要なことだと思います。

 もちろん、「こんなヘイトを書くなよ」と怒りを感じることもあります。でも人と人が殺し合う戦争へと行き着く過程で何が起きているかというと、コミュニケーションの断絶です。国家間で戦争が起きるときは、外交官がその国から引き上げて自国に帰った後、コミュニケーションの代わりに暴力が始まるわけですから。

 だから、どんなに思想が相容れない嫌な相手であろうとも、とにかくコミュニケーションはあったほうがいいと考えています。暴力に行き着く前に、言葉や文字でたくさん向き合い、批判し合う状態が維持される社会であり続けてほしいですね。

 ――「本とは何か」という大きな問いは、読書論や物語論にとどまらず、最後は民主主義の在り方にまで広がっていきます。

 みんながよい読書パフォーマンスをすることで、和気あいあいと異なる意見を言い合える。この一冊を書き上げたことで、そんな社会を目指していけたらいいな、という思いが強まりました。

 書店をうろちょろすることは「小さな民主的活動の実践」だし、書店は最低限の民主主義の遊び方ができる「民主的空間のユートピア」と表現してもいいと思います。

 だから自分としては、これからも本屋という空間をうろうろと楽しんでいきたい。「本とは何か」を問い続けることで、本との付き合いはもっと自由で、もっと楽しいものになっていくはずだと信じています。