【特別版】高橋源一郎さん「今の野望は、新人賞にもう一度挑戦すること」小説家になりたい人が、小説を選ぶ人に聞いてみた。
新刊『デビュー作を書くための超「小説」教室 増補版』(河出書房新社)であらたに書き加えられたのは、生成AIが登場した今、デビュー作をどう書くのかについて。高橋さんは「AIによって文学も未知の言語の世界にたどり着ける」と肯定的に捉えていますね。
「最近、真田宗仁郎さんの『4人称の哲学 AIと問う、文明および人類』(集英社)という本を読みました。哲学者でもある真田さんが喫茶店でchatGPTことチャッピーと対話しながら〈AIとは何者なのか〉に迫っていくというものです。チャッピーと会話すると、なんともいえない違和感があるでしょう。対話を通じて真田さんはこの違和感の正体をチャッピー自体に解かせるんです。そこでわかったのが、AIは純粋に言語だけの存在だということ。これまでの言語は〈誰か〉が書いたものを読むもので、必ず人間というフィルターを通してきた。ところがAIにはその〈誰か〉が存在しない。1人称でも3人称でもなく4人称、つまり究極の他者だというんです。すごく面白いですよね。
けれど、みんなはAIで小説を書くとき、新しい謎の言語としてではなく、便利なツールとして扱う。これでは宝の持ち腐れです」
ですがAIを使って小説を書こうとしたとき、そこに必ず人間の操作が入るから、純粋な言語としてのAIを文学に取り入れるのは難しいのでは。
「そう。だから、AIを〈使う〉という前提をやめて、まず理解からはじめること。これはなんだろうっていうのがすべての創作の原点ですね」
なるほど。AIに書かせるのではなく、AIというものは何なのかを小説に取り入れる、ということですね。高橋さんはAI小説を書いたことはありますか。
「『すばる』で連載した『この素晴らしき世界』に少し取り入れました。ハムレットとドン・キホーテが会話したらどうなる?といったことを生成AIにやらせてみたんです。結構、上手でびっくりしましたよ。カフカの妹がiPhone17を持っていて、お兄ちゃんが毒虫になっているところをSNSにアップしてもいい?って言ったりね。それで、オーケー、君の文体はわかった、あとはぼくがやるからって、AIが書きそうなことをAIの文体で書いていったんです。楽しかった(笑)。最終的にどこまで取り入れるかはいま考えているところです」
AIによって新人賞の応募数が急増したことが問題になっています。じつはこの間初めて私にも下読みの依頼が来たんですよ。応募側でいたいから断りましたが……。当たり前ですが下読みにもお金がかかるんですよね。このまま選考コストが上がれば、新人賞の存続も危ぶまれるのでは。巷では、審査を有料にする、下読みをAIにさせる、といった案が挙がっています。
「昔からぼくは審査料を取ればいいと言っているんですよ。けれどお金を取った分、全応募者にレスポンスしなければ、など色々課題があるそうで。でも、下読みに経費がかかるのは事実だし、選考過程は答えないって断りもあるんだから、現状のままでお金を取ってもいいと思うんですけどね。
一方、下読みをAIにさせるのは難しいと思います。彼らはまとめる能力はあるけど、読みとって価値判断を下す能力はまだない。たとえば作者があえて脱臼させたところを、AIはただのミスだと判断してしまうかもしれない。だから、〈審査料を取って人に読ませる〉がぼくの意見です」
小説家になりたいと思ったきっかけは。
「これははっきり覚えていて、1979年のお正月にラジオ番組の『オールナイトニッポン』で松山千春と中島みゆきとさだまさしの特番がありました。じつに楽しそうだったんです。彼らと同年代のぼくは当時、肉体労働に明け暮れていたから、やりたいことをやっている3人がうらやましかった。そうだ、ぼくにもやるべきことがあったんだ。突然、そう思えた。翌朝、コクヨの20×20の原稿用紙50枚入りを10冊買って、その日から書き始めたんです。青春政治小説で、ざっくりいうと柴田翔の『されどわれらが日々』のできそこないみたいな。口にするのもおぞましい(笑)。4か月で600枚の長編を書き上げて、清書に1か月。当時は手書きなのでね。それを有隣堂で全部コピーしました。フィーダーなんてないから1枚1枚、後ろに並んでいる人たちに「チッ」て言われながら半日がかりで。よく通報されなかったと思います(笑)。最寄りの郵便局は閉まっちゃったんで、横浜中央郵便局まで行って投函。で、そこを出た瞬間に、『あれっ、ひどいの送った』って気がついた。僕が小説家になったのはその瞬間ですね。1979年5月31日」
次に書いたのが「すばらしい日本の戦争」(のちに『ジョン・レノン対火星人』と改題され単行本化)。群像新人文学賞の最終選考に残った。
「最初の作品を書いて自分がからっぽだってことに気づいたんですよ。波乱万丈に生きてきたから書くことがいっぱいあると思ってたけれど、経験なんてほとんど意味はなかった。そこで、学生時代、批評をやっていた自分に戻って考えてみたんです。小説家たちはどうやって小説を書いてたんだっけ?って。彼らは自分の書きたいものを書いてるんじゃなくて、誰かの作品を目標にしてその核を自分に移植して培養して結晶化させていた。
そこで書店へ行き、ジェイムズ・ボールドウィンの小説を手に取りました。彼は黒人で、ゲイ。ぼくとは全く違う、正反対のものでショックを与えて精神を覚醒させようと思ったんじゃないかな。そうしてできたのが、ゲイの老人と少年のホモセクシュアルの小説。それを書き上げて、別の文学賞に送りました。試作品です。すべて絵空事でいい感じになった。そこに自分の体験を差し入れたのが実質的には3作目の『すばらしい日本の戦争』です。これが史上まれにみる酷評。瀬戸内寂聴さんしか褒めてくれなかった」
次に書いた「さようなら、ギャングたち」で群像新人長篇小説賞を受賞。酷評からどう挽回したのですか。
「前作は否定性の小説だった。今度は真逆の肯定的なものを書きたいと思いました。それなら文句も言われないだろうし」
でもおもねるのは悔しくないですか。
「書いているうちに自分の中にものすごく否定的な自分と肯定的な自分がいることがわかったんです。だから、ああ、そっちの自分を出せばいいのかって感じでした。これこそ小説を書いていてよかったと思う大きなひとつです。書くことでいろんな自分を発見し、その存在を認めることができるんです。『すばらしい日本の戦争』と『さようなら、ギャングたち』という全く異なる2つの軸でスタートできたのは幸運でした」
『デビュー作を書くための超「小説」教室 増補版』では「賞と真逆のカラーの作品を書け」とあります。でも、選考委員がそのチャレンジを面白がってくれたとしても、下読みの人や編集部の段階ではねられてしまうのでは。
「それは運もありますよね。傑作だという自信があるなら他の賞に出せばいい。そうして受賞したケースはいくらでもあります。ただ、それにはその自己評価が正しくなければいけない。よく書くためにはよく読めなければいけない。よく読むためにはよく書かなければいけない。この2つは対なんです」
本書でも「小説のことは小説家にしかわからない」とありますね。でも、新人賞の受賞作を売るのは出版社じゃないですか。その売り物を決めるのが出版社の人間じゃなくて選考委員の作家たちなんだっていうのが不思議です。この世知辛い世の中に。
「ぼくたち選考委員は、最終選考に残った応募作じゃなくて、その人がこれから書くであろうものを見ているんです。それは自分も書く人間だからこそ見えるもの。この人はこういう風に書きたかったんだろうな、とか、ここで読者にわかってもらえるか不安になっちゃたんだね、とかね。選考はいつもその人の未来を見ているんです。そこを出版社は信頼して選考をぼくらに任せている」
そうか。だから作品賞じゃなくて新人賞なんですね。新しい書き手を見出す賞。
本書では、自分の作品に対して他者の目を持つことが大事だと繰り返し書かれています。「いい小説は恥じらいを含む」とも。けれど同時に、綿矢りささんのように言わずにおけばいいことを言ってしまう過剰さも必要だと書かれてありました。恥ずかしさの塩梅がむずかしい……。
「厚顔無恥と含羞はちがいます。太宰治って、恥ずかしそうに書いてるでしょう。その恥じらいってじつは批評性なんですよ。こんなこと書いちゃダメかもしれないけど、書きたいんだ、書いてしまったんだっていう自己対話が聞こえてくる」
受賞後、書けなくなる小説家と書き続けられる小説家にはどんな違いがありますか。
「スランプは必ず陥るものだという根本認識があるかどうかですね。ぼくは元々20代は何にもしなかった。何にもしない期間が平気なんですよ。これまで無数の新人作家たちと会ってきましたけど、みんなすごく繊細で、でもどこか極端に鈍感なところがある。そうじゃないとこんな保証のないことやってられないですよ。ぼくもそう。だから5回も結婚してるんですよ(笑)」
それ気になってました(笑)。なんで5回も結婚したんですか。今回はちょっと様子見てからにしようってならないんですか?
「不安定な状態でいたいからなのかもしれませんね。ぼくは意外に社会性も社交性もあるから、普通にサラリーマンやったらうまくやっちゃいそうなんです。だから、安定しないようにしないように生きてきた。小説は自分を破滅に誘ってくれる強力な武器だったんです」
どうして安定したくないんですか。
「精神分析的に言うと、安定した生活を送るということは、社会のしきたりに従って生きるということ。そうやって大人しく生きて死んでいくのが嫌だったからじゃないでしょうか。小説家になりたかったのは、あっさり死にたくなかったから。どっちにしたって死は不可避なんだけど、こっちのは自分が選んだ死という気がするでしょう」
本の値段が上がる一方で売り上げは落ちていくなか、お金をかけて新人賞を続ける意義とは。
「新人は必要だから出てくるものではなく、生まれてくるものです。まだこんな新しい世界をみせてくれるんだっていうのは嬉しいし、ぼくにとっては全員ライバル。ぼくは本当に新人賞の選考が好きなんですよ。すでに作家になった人の賞の選考もやっているけどね、やっぱり海のものとも山のものともわからない新人賞のほうが面白い。新人賞は、全く未知の、こんなバカなことをするんだという驚きが常に起こりうる場所。AI全盛の時代だからこそ、予測不可能なこの場所がますます大事だと思います」
今、高橋さんが新人賞を狙うとしたら、どんな作品をどの賞に応募しますか。
「いや、狙ってるから言えないよ(笑)」
え、狙ってる? 本気で?
「そう、今の野望は、全然別の誰かとして新人賞を獲ること。ずっと前からそのための作品も考えてます(笑)。だけど、もう出版社にメールアドレスも住所もバレちゃってるから、誰かに代理人になってもらう必要があるんだよね」
なぜそんな野望を?
「何を書いても『高橋源一郎』の作品として読まれてしまうでしょ。もう一度、0から読まれてみたいんだよね。純粋に作品だけの評を聞いてみたい。新人賞って、それだけ魅力があるんですよ」
【次号予告】
次回は、「いっしょに老衰しようね」で第63回文藝賞を受賞した唐川らいさんが登場予定。