鴻巣友季子の文学潮流(第43回) ウルフが書店を救い、秀吉がテキスト・ヒップと出会う?
今月は、古典文学関係の本がものすごく面白かった。その中から小説を2冊、ご紹介する。
森晶麿『本を灯す ヴァージニア・ウルフの作り方』(早川書房)は、「明日晴れるなら」と、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』の冒頭を模して始まる。蓮見純歌という高校生が簡素な私家版の小説を中野区野方のある個人書店に持ち込んで、売ってほしいと頼むのだが、そのタイトルが『ヴァージニア・ウルフの作り方』なのである。さらにこの書店は「さざなみ書店」と言い、ウルフの『波』を思わせる。そして、そこの店主で視点人物の一人となるのは、塔田しずく。
さざなみ書店は現在、出版不況にあえぎ、新刊の配本を減らされ、万引きに悩まされている。しずくはかつて愛猫をめぐって母・澄江と仲たがいしたのだが、澄江の病死後、彼女が営んでいた個人書店を継ぐことにしたのだった。
ちなみに、くだんの猫はトミという名だったが、出入りの出版取次セーシンの担当者・木築誠にはジニーと呼ばれていた。ジニーとはヴァージニアの愛称だ。あらゆるところにウルフの気配がある。ウルフだけでなく、ジャンルを横断して数々の古典的名作が鏤められている。
木築いわく、純香が持ち込んできた『ヴァージニア・ウルフの作り方』は、本が消えてゆく世界で、行方不明になった猫を探すという物語だと。これを読んだしずくは、この小説にはモデルがあると気づきはじめるのだが……。
この本の来歴とは? 小さな書店を、一冊の本が救い、奇跡を起こすことになるのか? 作者、書店員、取次のほかにも出版社の営業部員、読書インフルエンサーなど、本を届けようとする職種の人たちが登場し、本への愛に満ちた森晶麿らしいブッキッシュ小説となった。
日本のお隣の韓国では「テキスト・ヒップ」と称される読書熱が高まっているという。支えているのは主にZ世代で、あえて紙のアナログ本を持ち歩いたり(もちろんInstagramに画像をアップする)、さざなみ書店のような独立系の本屋を愛用したり、各々が本を手にカフェやクラブや川べりなどに集まって本を読むスタイルの「読書会」も盛んだとか。
その韓国で大変な人気になっているのが、『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)で芥川賞を23歳で受賞した鈴木結生だ。同作は韓国での翻訳の刊行から3カ月で累計10万部を突破し、32刷に達する(2026年4月時点)ヒット作となっているという。
鈴木はデビュー作から、トルストイと漱石、ゲーテとニューアカ、ディケンズと大江健三郎などなど、古典文学を下敷にした作品を発表してきたが、最新の中編『さらば源氏物語』(U-NEXT)では日本の中世文学に挑み、虚実の拮抗する歴史小説を書き上げている。
本作は、武将にして歌人の細川幽斎に歌の才能を見いだされ、豊臣秀吉に仕えた女房「ちゃあ」の老境における回想録という形をとる。北政所・ねねに仕えた侍女(専修大学「源氏物語のおこり」より)をモデルにしているようで、茶々(淀君)ではない。そろそろ30にもなるのに教養必読書たる『源氏物語』を読破していないことに忸怩たる思いを抱いているが、この時代、そんな貴重な書は女性にはかんたんに手に入らない。
そこで、「女のための源氏抄」を執筆する慶福院花屋玉栄(ぎょくえい)が手を貸し、ちゃあは『源氏物語』を精読するようになるが、ある日これの一部が紛失してしまう。盗人は秀吉だった。農民の出とされる秀吉は読書に勤しみ、『源氏物語』の成立事情や構成内容を記した「源氏物語のおこり」も書写していたと伝えられる。実際、専修大学・貴重ギャラリーを調べたら、たしかに桐箱蓋表に「太閤秀吉公御筆」と墨書があった。
この出来事を機に、秀吉、ちゃあ、玉栄の3人による『源氏』読書会が始まる。こうして秀吉にもテキスト・ヒップが訪れるのだが、じつはこの小説の半分は「茶湯小説」なのである。秀吉は織田信長の敷いた「御茶湯御政道」を引き継ぎ、茶湯を政治に利用した。まばゆい黄金(きがね)の茶室を造らせたことでもよく知られているだろう。本作では、茶の哲学が『源氏物語』の読みと絡みあっていくところが、鈴木結生らしく、たいへんスリリングだ。
ねねの筆頭女房・東殿の後釜として茶番を任されたちゃあは、膨大な茶器の名や置き場所を覚えきれず、こんな数え歌を使う。
一の間は四十石御壺 投頭巾
二の間は松花 木枯 霰
三の間は牧谿 佐保姫 打曇 朝倉肩衝 「煙寺晩鐘」
四の間は天目 撫子 乙御前 五の間は百島 紹鷗が茄子
詠み継がれた数え歌らしい。これらの茶器を一つずつググって見ると、秀吉さんの外国高級ブランド好みがよくわかる。四十石御壺(しじゅっこくおつぼ)、投頭巾から、松花、木枯、霰(あられ)、牧谿(もっけい)、朝倉肩衝(あさくらかたつき)、天目、紹鷗(じょうおう)が茄子と、唐物の超一級品と思しき器が並んでいる。
乙御前(おとこぜ)が気になるところ。Googleさんは、本阿弥光悦が作った茶器だと言い張るのだけど、年代的に違う。こうしたラインナップに「千宗易殿(千利休)が作られる今焼」も加わっていく。数え歌の「楽茶碗 盛阿弥が棗 宗陳が書 辻与次郎が阿弥陀堂釜」というあたりを見ると、秀吉は外国ブランドだけでなく、千利休がプロデュースして長次郎に作らせた楽焼、盛阿弥に作らせた漆器、辻与次郎に作らせた茶釜というふうに、当時もっともスタイリッシュだった和物もコレクションしていたようだ。茶器の二つの主流をしっかり押さえているのだ。
一方、ちゃあのいちばんの気に入りはと言うと、きらびやかな高級唐物でも、いまをときめく楽焼でもない。とりわけ心に残っているのは、「筒井筒」の名で知られる井戸茶碗だという。渋好み。井戸は高麗の器で、もとはおもに無名の職人が作った飯茶碗などの日常の器が日本に伝来してから、茶人の見立てすなわち審美眼によって、わび・さびの美が見いだされ、抹茶碗の名器へと創造的に変容したものだ。
なにげない雑器に、見る者、読む者が価値を見いだす、生みだすというその美のあり方に、作者の鈴木は反応しているのではないか。ある意味、ちゃあは作者本人なのだろう。これまでの既存のテクストやリソースを下敷にした創作方法を見ていると、そう思える。
さて、『源氏物語』の読書会で、秀吉はまず物語というものにいろいろな疑義を投げかける。「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひいまひけるなかに」と桐壺巻が始まったとたん、「”いづれの御時”というのはいつのことじゃ?」と訊く。正確なことはわからない、わかっていてもわざと曖昧にするのだと、玉栄が答えると、秀吉は考えたのちに、「前に利休がこう言っておった。傷一つない茶器はよくない、と。内裏を造るときも、必ず作り終わっていない所を残すように、何でも完全であるというのは悪いことだ。作りかけをそのまま残しておくのは面白いし、生き延びるわざだ、と。それと同じかの?」と問う。
このように千利休から美学と哲学を吸収している秀吉だったが、両者の価値観の相違は大きな亀裂となって、千利休の切腹という最期をもたらした。あるとき、秀吉がどれだけ大きな歌を詠めるかという歌比べ(「天と地を団子に丸めて呑む人を くさめの風で吹き飛ばしけり」が優勝したが、ちゃあはこれをむしろ小さいと感じた)の後に、小さい歌の歌比べをやったところ、幽斎は「蚊の溢す涙の海の浮島に 砂子を捨てて千々砕くなり」という歌を詠み、一同を黙らせた。この小さい歌に、ちゃあは「なんとも果てしなくて、恐ろしい歌」だと感じるのだ。
彼女はその理由を千利休が切腹した際に思い至ったという。宗易殿は風や落葉や虫に無作為な美を見いだしていく。それに対して、秀吉は自分しか持っていない高級ブランドの唐物の価値が目減りするように感じたのではないか、とちゃあは分析する。
「源氏読」は形を変えながら持続し、ちゃあの語りは秀吉が「お隠れ」になった後も続いていく。そして最後には、このお話がなぜ、どういう状況で語られていたのかが明らかになる。
――とぞ本にはべめる(と、元の本には書いてある)わけなのだが、ここから先の「後記」がびっくりである。私は熟読してしまった。鈴木結生の茶目っ気と本領発揮とも言えるので、しっぽの先のアンコまで楽しんでください!