ISBN: 9784152105431
発売⽇: 2026/09/02
サイズ: 13.1×18.8cm/256p
「あたしたちのナルニア」 [著]青波杏
ある朝、ナナコはワゴン車に押し込められ、孤島に連れていかれる。引きこもり児の矯正施設をうたうその場所では、少年少女たちが農作業に明け暮れている。性的指向や機能不全家庭、外国ルーツへの差別、いじめ、虐待、性被害――彼らの抱える問題は様々だ。施設にはテレビも本もなく、教官による暴力や性搾取が横行し、規則を破ると懲罰部屋に送られる。いったいこの施設はだれがなんの目的で作ったものなのか、入居者にもあきらかにされていない。島から逃げ切った者も存在しないという。
ナナコの視点を通して語られる断片は、ディストピア小説のような不穏な気配に満ちているが、すぐれたディストピア小説がみなそうであるように、現実社会の映し鏡のようでもある。管理され、監視され、搾取され、情報制限され、矯正される。施設で暮らす少年少女たちの閉塞(へいそく)感は、息の詰まりそうな現実を生きる若者たちのそれにそのまま重なる。
けれどナナコは、教官の目を盗んでほかの入居者たちと冗談を言い合い、在日コリアンでクィアのジヘと恋愛とも言い切れない性的な触れ合いで孤独を慰める。施設を抜け出して夜の浜辺を歩いたり、薄暗い洞窟で仲間が語って聞かせる「ナルニア国物語」に胸を躍らせたりもする。どれほど過酷な状況に置かれても、人間が人間らしく生きようとすることは止められないのだと、若木のようにのびやかで無鉄砲な姿から伝わってくる。
大人らしい大人がほとんど登場しないこの小説には終始、風が吹いている。あるときは行く手を阻む嵐となり、あるときは美しい髪を梳(と)かすそよ風となる。風に導かれるように、あるいは抗(あらが)うように、彼らは自由を、自分自身を獲得していく。どうか遠くまで無事にたどり着いて――この時代を生きる若者たちに大人としてできることは、彼らを未来へ送り届ける風になることなのかもしれない。
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あおなみ・あん 1976年生まれ。女性史研究者。2022年に小説すばる新人賞を受け、『楊花(ヤンファ)の歌』で小説家デビュー。