写真家 ハービー・山口さんの大切な本 「希望」の一枚 明日も撮り続ける
「人間の希望を撮りたい」。尾崎豊、福山雅治、布袋寅泰といった著名なミュージシャンを撮影してきた写真家ハービー・山口さんが半世紀以上、変わらず掲げてきたテーマだ。原点には病気と孤独があり、異国での戸惑いがあった。そして、人生と写真に寄り添ってきた本がある。
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自分は不幸だと思っていた。生まれて間もなく結核にかかり、腰椎(ようつい)カリエスを患った。コルセットが欠かせず、友達も遊び仲間もいない。
初めて人生に希望を感じたのは大学生のとき。診察した医師から「普通の生活に戻れるかもしれない」と告げられた。「自分にも明日があるのか」。その時の感情が生涯の写真のテーマになった。
大学を卒業後、写真に携わる仕事を探したが、就職試験は全滅。1973年、英国へ渡った。
70年代中頃のロンドンは、パンクロックが大流行した時期。ピンクのモヒカン、破れたジーパン、安全ピンだらけの革ジャン。「……この人たちはいったい」。日本人の自分に理解できるのかと戸惑っていた時、友人宅の本棚で偶然、遠藤周作の「留学」を見つけた。
異文化の壁にぶつかる日本人を書いた3章からなる小説だった。第3章「爾(なんじ)も、また」の主人公・田中は文学研究のためフランスへ渡るが、ヨーロッパという巨大な文化を前に自信を失い、嫉妬や疎外感に苦しむ。やがて結核を患い、志半ばで日本へ帰る。
「身につまされるっていうんですかね。一句一句、一行一行、自分のことのように読んで。挫折もあるし、敗北もある。パンクロックがすぐ理解できなくても仕方ないよねって」
異国で一つの人生を形作るには、戸惑いを乗り越えなくてはならない。そんな覚悟ができた。
ある日、地下鉄でパンクバンド「ザ・クラッシュ」のジョー・ストラマーを見かけた。プライベートだし、名もない日本人写真家を相手にしてくれるはずがない。ためらったが「二度とないチャンスかもしれない」と撮影を頼んだ。
ストラマーは快諾して、車内で何枚か撮らせてくれた。降り際に振り返った。「撮りたいものは全て撮れよな。それがパンクだろ」
「モヒカンも、安全ピンも、革ジャンも表面なんだ。ようは、どう生きるかなんだって。初めてそこで文化というものを理解した気がしました」。当初は半年のつもりだった英国滞在は、いつの間にか10年にもなった。
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「ハービー・山口」は音楽シーンを届ける写真家として知られるようになった。著名人も、一般の人たちにも、同じようにカメラを向けた。温かいまなざしで人間に向き合い、生きていることの希望やいとおしさを表現したかった。
若い頃から、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集「決定的瞬間」に目指す写真の姿を見てきた。演出せず、人の自然な一瞬を巧みな構図で捉えているからだ。
作品は同じでも、見る人は年を重ねる。若い頃に感動した写真を、経験を積んで見返せば、さらに奥が見えてくる。
ハービーさんは「3段重ねの弁当」にたとえる。1段目だけで判断するのか、2段、3段と開けていくのか。写真も、写っているものだけを見るのか、その人の暮らしや時代まで想像するのかで、見えるものは変わる。
今もブレッソンの作品を見ると「いいところに行って、いいアングルで撮っている。僕も頑張んなきゃ」と思う。でも写真は野球の打率とは違う、とハービーさんは言う。その日うまく撮れず、「打率」が下がったとしても、昨日までに撮った一枚がなくなるわけではない。今日また撮れば、その一枚が加わる。「写真って、積み上げなんですよ」
ブレッソンは晩年、写真を撮るのをやめ、絵を描いた。「僕は死ぬまで写真撮っているんじゃないかと思うけどね」
自分にも明日があると知ったことから始まった「希望」の写真。その積み上げは、まだ終わらない。
(高橋雄大)
フランス留学を経験した遠藤周作が、時代の異なる3人の留学生を描く。憧れたヨーロッパの文化の壁に苦悩し、それぞれが挫折していく姿に向き合いながら、日本と西洋の隔たり、人が異文化の中で生きる難しさを問いかけていく。
カルティエ=ブレッソンの代表作で、日本では「決定的瞬間」として知られる。1952年刊行。マティスが表紙絵を手がけ、日常に生きる人々の一瞬を巧みな構図で捉えた。現在はブレッソン財団が復刻版を刊行し、国内では専門書店などが輸入する。