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「バリ山行」書評 「本物」の匂い求めた会社員小説

評者: 山内マリコ / 朝⽇新聞掲載:2024年08月31日
バリ山行 著者:松永K三蔵 出版社:講談社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784065369609
発売⽇: 2024/07/29
サイズ: 13.4×19.4cm/168p

「バリ山行」 [著]松永K三蔵

 山岳小説を謳(うた)うが、登場する山はいずれも六甲山系、神戸を穏やかに縁取る低山だ。そして本書は純然たる会社員小説だろう。仕事描写は精緻(せいち)に、山は新鮮に、家庭はぐっと後景へ退(さ)がる。
 主人公の波多は平凡な男である。中途採用で新田テック建装に入った。建物の改修や外壁の修繕工事を専門とする、社員五十人弱の会社である。営業一課で二年目の波多は、本来的には付き合いが悪い。そのせいで前の会社ではリストラに遭っており、人間関係を円滑にすべく、〝山ガール〟の事務員に誘われるまま、社内行事の六甲登山に(妻と幼い子を置いて)参加。これが存外楽しく、登山にハマった。
 彼の目に、営業二課の妻鹿(めが)という男は、どこまでもミステリアスだ。勤続年数十五年以上、防水工事のスペシャリスト。営業なのにいつも作業服で現場に詰める、四十前後の一匹狼(いっぴきおおかみ)。そして彼は「バリ」をやっている。
 バリとはバリエーションルートの略。整備された一般の登山道ではない、藪(やぶ)を搔(か)き分けてルートを見つけながら登る行為のこと。登攀(とうはん)は難しく危険を伴うが、人跡未踏の大自然を味わえる。
 バリにはなにかこう、「本物」の匂いがする。淡々と毎週末バリをやる妻鹿さん。経営不振で社内の空気が最悪なことを一向に気にしていない様子の妻鹿さん。そんな妻鹿さんに波多は魅了される。ついにバリに連れて行ってくださいと告白。「ひとりだからいいんだよ、山は」と言う妻鹿さんを口説き落とし、決行の日を迎え――。
 男が男に憧れる。日本の会社はそんな男同士の絆で成立してきた。会社を飛び出し危険な山でなお、波多は妻鹿に、特別な繫(つな)がりを希求してやまない。それはまるで女性が恋愛において、素っ気ない言葉しか返してくれない男にやきもきし、振り回されるかのよう。
 超高解像度で男性の、会社員の世界が瑞々(みずみず)しく描かれた、令和六年上半期芥川賞受賞作。
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まつなが・けー・さんぞう 1980年生まれ。21年「カメオ」で群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー。