初対面の人を含む飲み会で、二十代の頃に一緒に映画に行っていた友人が「当時、柴崎さんに映画の感想を書いた分厚いノートを見せてもらって驚いた」と話した。え、わたし、そんなん知らんで、書いてへんし。え、嘘やん、絶対見た、こんなすごいの、と友人は指で五センチの幅を示す。そう言われても、わたしは日記や記録の類が苦手で、観た映画のタイトルだけでも書いておけばよかったと後悔しているくらいなのだ。しかし、友人は見た場所や状況まで話し出した。
以前、インターネットで自分の名前で検索したとき、「中学の頃から、作家になる、受験先も尊敬する小説家が教える文学部だと公言していて、見事合格したそうです」というようなことが書いてあるのを見つけた。同級生の知人らしかった。確かに作家になるとは言っていたが、「尊敬する小説家が教える文学部」はまったく覚えがない。一浪したし、大学で勉強したのは地理学だ。
勘違い、と言ってしまえばそれまでだが、具体的かつ、言った人は嘘でも誇張でもなくそう信じているわけで、その場で聞いた人は、へえー、と思って、話が独り歩きしてしまうかもしれない。
偉人や有名人になると、もっとすごいエピソードがよく語られる。子供のころから超人的な努力をして能力を発揮してたとか、こんな名言で周囲をびっくりさせたとか。本当のこともあれば、思い込みだったり尾ひれがついたりもよくあるだろう。そんな逸話を見聞きして、自分もやってみよう、がんばろう、と思うのはいい。でも、かえって、自分はできないからだめなんだ、やってなかったから無理だ、と落ち込んだりあきらめたりする人もいるんじゃないかと思う。わたしもどっちかと言うとそのタイプだ。こういうのは話半分、自分に都合のいいとこだけ採り入れるのでいいのだ。
それにしても、映画の詳細な感想を書いた分厚いノートがあり、尊敬する小説家が教える文学部にストレートで合格するわたし、羨(うらや)ましいぞ。=朝日新聞2018年3月19日掲載
編集部一押し!
-
文芸時評 分類 押し付けられる苦さ ここにない世界を見る心 都甲幸治〈朝日新聞文芸時評26年4月〉 都甲幸治
-
-
谷原書店 【谷原店長のオススメ】長瀬ほのか「わざわざ書くほどのことだ」 対照的なふたり、軽妙なエッセイに 谷原章介
-
-
わたしの大切な本 映画監督・山中瑶子さんの大切な本 「未熟は普通」絶望から開けた道 堀越理菜
-
コラム 「海をわたる言葉 翻訳家ふたりの往復書簡」中江有里さん書評 出逢いの不思議が生んだもう一つの〝家族〟 PR by 集英社
-
インタビュー キング×センダックの絵本「ヘンゼルとグレーテル」訳者・穂村弘さんインタビュー 人が“怖い物語”に惹かれる理由 中村茉莉花
-
トピック 【プレゼント】柄谷行人さん最新作「私の謎 柄谷行人回想録」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
コラム 「海をわたる言葉 翻訳家ふたりの往復書簡」中江有里さん書評 出逢いの不思議が生んだもう一つの〝家族〟 PR by 集英社
-
トピック 【プレゼント】柄谷行人さん最新作「私の謎 柄谷行人回想録」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
インタビュー 平石さなぎさん「ギアをあげて、風を鳴らして」インタビュー 描いてわかった「シスターフッド小説」の魅力 PR by 集英社
-
インタビュー 江國香織さん「外の世界の話を聞かせて」インタビュー 頭の風通し良く、気持ちさっぱり自由になって PR by 集英社
-
インタビュー 【サイン入り本プレゼント】一木けいさん「嵐の中で踊れ」インタビュー 避難所で起きた再生の群像劇 PR by NHK出版
-
インタビュー 湊かなえさん「暁星」インタビュー 作家として「言葉」に向き合い、新たな扉開いた PR by 双葉社