初対面の人を含む飲み会で、二十代の頃に一緒に映画に行っていた友人が「当時、柴崎さんに映画の感想を書いた分厚いノートを見せてもらって驚いた」と話した。え、わたし、そんなん知らんで、書いてへんし。え、嘘やん、絶対見た、こんなすごいの、と友人は指で五センチの幅を示す。そう言われても、わたしは日記や記録の類が苦手で、観た映画のタイトルだけでも書いておけばよかったと後悔しているくらいなのだ。しかし、友人は見た場所や状況まで話し出した。
以前、インターネットで自分の名前で検索したとき、「中学の頃から、作家になる、受験先も尊敬する小説家が教える文学部だと公言していて、見事合格したそうです」というようなことが書いてあるのを見つけた。同級生の知人らしかった。確かに作家になるとは言っていたが、「尊敬する小説家が教える文学部」はまったく覚えがない。一浪したし、大学で勉強したのは地理学だ。
勘違い、と言ってしまえばそれまでだが、具体的かつ、言った人は嘘でも誇張でもなくそう信じているわけで、その場で聞いた人は、へえー、と思って、話が独り歩きしてしまうかもしれない。
偉人や有名人になると、もっとすごいエピソードがよく語られる。子供のころから超人的な努力をして能力を発揮してたとか、こんな名言で周囲をびっくりさせたとか。本当のこともあれば、思い込みだったり尾ひれがついたりもよくあるだろう。そんな逸話を見聞きして、自分もやってみよう、がんばろう、と思うのはいい。でも、かえって、自分はできないからだめなんだ、やってなかったから無理だ、と落ち込んだりあきらめたりする人もいるんじゃないかと思う。わたしもどっちかと言うとそのタイプだ。こういうのは話半分、自分に都合のいいとこだけ採り入れるのでいいのだ。
それにしても、映画の詳細な感想を書いた分厚いノートがあり、尊敬する小説家が教える文学部にストレートで合格するわたし、羨(うらや)ましいぞ。=朝日新聞2018年3月19日掲載
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