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自分をどう生きる、続く問い 田中美津「いのちの女たちへ」

写真・山本友来

 女たちが、女だからとか、女のくせにという考え方にうんざりしていた時代でした。それゆえ先進国のあちこちでウーマンリブが自然発火。日本でもそう、身内から湧きあがってくる力だけを頼りに、私たちは立ち上がりました。世間は権利獲得運動だと思ったようですが、それは上っ面で、「女らしさを生きることは自分を生きることにならない」と気づいた者たちの決起でした。「自分探し」なんて言われるずっと前に、リブがそれを始めていたわけね。
 「多様な生き方ができる世の中」を作っていくとともに、この今、「これが私だ」と思う自分を感じたい。「嫌な男からおしりを触られたくない」自分と、「好きな男が触りたいと思うおしりが欲しい」自分。「触られたくない」は女たちの共通の怒りだから、運動の大義となった。「触られたい」の方はいわば個人の欲望。大義と欲望、それは同じくらい大事だと私たちは考えました。そこがリブという運動の新しさだった。
 両方の自分を肯定するから、その間でとり乱してしまう。その葛藤を言葉にして、他の女たちと「自分だけじゃないんだ」と確認し合い、葛藤をも力にして自分や世の中を変えていこうと、いろんな試みをした。1枚のビラで全国から300人の女が集まった「リブ合宿」、女同士一緒に住んで助け合う「コレクティブ」、デモ、ミューズカル「おんなの解放」の上演(ミューズは「女神」の意)……。
 リブがしていたことは、今の女の人たちの気持ちの中で、異端ではなく普通になっているのでは? 気持ちというものは目には見えない素粒子となって、時代を超え、人々の中に浸透し、力となっていく。前の時代の女の人たちの、「こうなりたい生き方」と「こうなりたくない生き方」、その両方ともが、後の世代の女に「じゃあどういう生き方がいいのか」と問いかける役に立っている。だからなのか、この本は古びないと言われ続けてきました。

誰もが大事 願った世界は道通し

 本を読んでくれたのは女の人が中心。でも男の人でも、共感する人たちはいて、私たちの活動をカメラで記録してくれたり、保父さんとして共同保育に参加したり。しかし、女と比べると男の人たちは、いまもあまり変わっていない。この国では、企業のための人材としてしか男の人たちを生かさない。また唯々諾々とそれを受け入れてしまっている人たちが多すぎる。いつも外から見た自分を生き続けている、「仕事ができるやつ」とかね。女だって危ない。「男並み」の働き方をしないとキャリアアップできない仕組みですから。
 リブの頃、世の中って、頭にくることがいっぱいあるけれど、私たちは曲折を経て、だんだんいい世の中にしていくことができると信じていました。戦後、他人どころじゃなかった中から、豊かになり人のことも考えられるようになって、私たちは手をつないで立ち上がったわけだから。ところがいま、貧乏な人、追いつめられている人がますます増えている。貧乏とはお金がないだけでなく、人生の選択や、才能や意欲を生かす力を奪われることです。
 人間は追いつめられると、自分が一番大事というのが出てきます。例えばリブが向き合った大きな問題に中絶がありました。当時優生保護法を変えて中絶をしにくくする動きがあった。女が安心して子を産める環境を求めて私たちは、「産める社会を、産みたい社会を」とスローガンを掲げる一方で、それでも最終的に堕(お)ろすか産むかは女が決めるのだ、と主張しました。
 中絶を避けるには避妊が大事。しかし現に妊娠して、この今、己の破滅か、子どもを殺すか、という具合に追いつめられてしまった女が、自分が大事という所に立つことを、誰が責められるでしょうか。みなそれぞれ自分が大事。それゆえに誰もが大切にされなければならない。それが「平等」や「権利」ということ。平穏無事なら、「誰の命も大事」と考えられる。だけど、経済的困窮や不十分な福祉、世間の目、われ関せずの男たちといった、女を追いつめていく要因を解決していくことなしに「胎児のいのちも大事」にはならない。40年ほど前にリブたちが願った世界へはいまだ道遠し……って感じかしら。(聞き手・高重治香)=朝日新聞2016年10月26日掲載