世の中の混乱がますほどに、マスメディア、また、SNS、ポップミュージックの詞に至るまで、大文字の言葉が飛び交うようになった。この傾向は、政治的スタンスや社会的階層によらず、さまざまな立場の人を覆っているように見える。不安と閉塞(へいそく)感の中、知らず知らずのうちに、多くの人々が、精神的に寄りかかることのできる、強靱(きょうじん)な一言を欲しているようだ。同時代の多くの心を直情的にひきつけようとする言葉が飛び交い、その陰で、取るに足りないと見做(みな)される、小さな声や、物事のディテールと、実相が、かき消されてゆく。
そのことは、ずっと気がかりで、自分の作曲の中心テーマともなってきた。ここでは、発語者の存在と共に路傍に打ち捨てられかねなかった、微(かす)かな声の数々を、なんとか掬(すく)い上げ、定着させようとした作品の幾つかを、取り上げてみることにした。
一人から全体へ
ある晴れた朝、ロンドン西部、モートレイクの路上に、空の高みから、1人の黒人青年が落ちてくる。歴史の残酷さと数奇な運命に弄(もてあそ)ばれたモザンビーク人ジョゼ・マタダが、豊かさへの憧れと、かつて仕えていた白人女性への思慕の情から決死の密航を企て、ボーイング777の主脚格納庫に忍び込むまでの足取りを、丹念な取材で追ってゆく(『空から降ってきた男』)。
今年の春、モザンビーク東北部のスラムを訪ねた際に、現地の状況と照らし合わせながら、夢中で読んだ。ポルトガルによる、他の宗主国と比べても粗雑な植民地支配からの脱却と、凄惨(せいさん)を極めた内戦の終結、全てが停滞し、近隣国と比べて出遅れた再起となったこの国を、21世紀の新たな植民地支配が、覆っていた。1人の青年の悲恋物語にフォーカスすることで、かの大陸の内なる相貌(そうぼう)を垣間見(かいまみ)せてくれた。
『震災風俗嬢』は何の気なしに手に取った一冊だったが、読後、宝物になった。3・11以降、正義の名の下に様々な言説が乱舞したが、演奏活動の最中、実際に南相馬などで出会った方々の声音に近い響きを見つけることは稀(まれ)であった。ここに書き留められた、微かな希望や、人間らしい、小さな欲望や悔恨のひとつひとつが、胸を打った。
福島の仮設住宅から毎週末、高速バスで東京へ赴きデリヘル勤めをする市役所職員を描いた廣木隆一監督の新作映画『彼女の人生は間違いじゃない』(同監督による原作は河出文庫・594円)も合わせて薦めておきたい。
足元を見つめる
『ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙』は、ナチスドイツを実際に構成していた個々の兵士たちが、戦時中に家族や友人に宛てて書き残した膨大な書簡を整理し時系列に並べることで、彼らの、我々と実に良く似た、拍子抜けするほどの凡庸さを浮かび上がらせる。この、ごく普通の人々が、歴史上でも類を見ない戦争犯罪の主体となっていった。自らの足元をよく見つめるという意味でも、必読の書と感じた。
『断片的なものの社会学』(朝日出版社・1685円)では、社会学者である岸政彦氏が、学術的な分析や論理構築をしばし離れて、これまでに触れた無数の人々(や動物)を懐かしみ、回想しながら、自分自身の人生に未(いま)だ残り燻(くすぶ)り続ける疑問に対して、橋を架け渡してゆく。ここに大げさな言葉はひとつも登場しないが、読み終える頃に私たちは、不思議に自由な川の上で、そこに渡された、さまざまな形の、色の、橋の上で、ふと、すれ違うことが出来るだろう。もし赤の他人である私たちが、何かの弾みに、笑顔で、ふいに挨拶(あいさつ)できれば、心から嬉(うれ)しく思う=朝日新聞2017年8月13日掲載
気鋭の筆者たちが生き方について考察します。5回連続の2回目。