桜庭一樹が読む
『ゴリオ爺(じい)さん』は、娘たちを溺愛(できあい)しすぎて、金を貢ぎ、やがて破滅した父親を巡るお話だ。爺さんは物語中で「父性の塊であるキリスト」と呼ばれている。
作者バルザックは、主に一九世紀前半のパリを舞台に、数千人の登場人物が出入りする九〇篇(ぺん)近くの小説『人間喜劇』シリーズを書き残した。本書はその中でいちばん面白いと評判の一冊だ。確かに! これは面白い!!ゴリオ爺さんの周りに、貴族、悪役、貧乏人……パリ中の老若男女が溢(あふ)れ、それぞれの人生ドラマを見せてくれる。そして最後に全員の運命が集結。まるで大ホールで交響楽を聴いたように、体内にズシィーンと残響を残されて読み終わるのだ。
爺さんは貧しい麺打ち職人だったが、革命政府のゴタゴタで穀物価格が急騰し、思わぬ財産を得る。当時は娘に持参金をつけるのが通例だったため、美しい二人の娘は金貨の山とともに嫁ぎ、貴族の夫人になれた。
ところが、ところが! 娘たちが打って出たパリの社交界というやつは、お洒落(しゃれ)、見栄(みえ)の張り合い、痩せ我慢、賭け事に恋の鞘当(さやあ)て! もうアホみたいにお金のかかる場所だったのだ。
爺さんはいい人だけど、娘を教育するんじゃなく、「あの子らが喜ぶ姿を糧にわたしは生きているのです」と、ひたすら甘やかしてしまう。結果、娘たちはお金の無心をし続け、父親から身ぐるみ剥(は)いでいく。
人は、一方的に与えられ続けると、相手に感謝してより愛するのかと思いきや、見縊(みくび)るようにもなるものだ。親子であれ恋人であれ起こりうること……。
でも娘たちは、父親を見縊る一方で、社交界での苦労が多い分、ただ愛してくれる父親の存在に絶対的に救われてもいる。そこもやるせなく、悲しい。
次第に、そもそもこの世に正しい愛なんてあるのか、いや、ただ熱い愛があるだけだ、と思えてくる。その時、重たく、後味が悪く、ひどく豪奢(ごうしゃ)な交響楽の終わりがやってくる。(小説家)=朝日新聞2017年10月8日掲載