桜庭一樹が読む
恐るべき子供たち(アンファンテリブル)、あまりにも有名なこのタイトル! でもそういやどんなお話だったっけ……? と、首をひねりながら読み始めたところ、子供の愛の言葉が悲愴(ひそう)に降り注いできて、打ちのめされてしまった。
〈愛について知る前に生まれた愛だけに、この感情は生徒を憔悴(しょうすい)させた。それは原因不明の、だが激烈な痛みで、いかなる特効薬もなく、性をこえた、目的をもたぬ、純潔な欲望だった〉
〈ポールが死ぬ、ポールが死んでしまう〉
〈撃つわ!〉
作者コクトーの身に恐ろしい出来事が起こったのは、初の世界大戦終結から五年を経た、退廃と狂騒の一九二〇年代のある夏のこと。彼は、『肉体の悪魔』を出版したばかりの二十歳の親友ラディゲと、バカンスに出かけた。ところがラディゲが腸チフスにかかり、急逝。コクトーは悲しみのあまりアヘン中毒に。そして二度目の入院中、おそらく発作的に、わずか一七日で書きあげたのがこの作品だ。
十四歳の内向的な少年ポールは、母をなくし、姉のエリザベートと二人暮らしになる。神話的なる子供部屋に籠(こも)った姉弟は、神々のように傷つけ合う日々を送り始める。そこにポールの親友ジェラール、ポールが憧れる美少年とそっくりの少女アガートも加わり、半意識状態での争いが音を立てて加速していく。
読み進めるうち、確かに子供のころ、大人がいる現実とは二重写しの、幼いものだけの精神世界に住んでいた、と思いだした。でも登場人物たちはその時の輪から出られず、成長できない運命を担わされている。
もしかするとコクトーは、永遠に大人にならない死者のために、仲間を四人書いてあげたんじゃないか……? 小説には呪力があり、時に死者に届くラブレターたりうる。〈神話の崖っぷちでゆらゆら揺れていた〉と表現されるこの子供部屋に、わたしは五人目の子供(ラディゲ)の青い顔を幻視するのだ。(小説家)=朝日新聞2018年2月11日掲載