大澤真幸が読む
1642年のイングランドの清教徒革命は、王権を否定した最初の市民革命だった。このとき清教徒が掲げたスローガンが奇妙だ。「王(King)を護(まも)るために王(king)と闘う」。王を排しているのに王を護るとは?
西洋近世の王権は、王は二つの身体を有するとする独特の理念によって、正統化されていた。二つの身体とは、自然的身体と政治的身体である。自然的身体は通常の肉体のことで、衰えるし、過ちも犯す。政治的身体は不可視の抽象的身体で、愚行も失敗も犯さない。それは政体の持続性や威厳を代表していた。清教徒が護ろうとしたKingは政治的身体である。
カントーロヴィチの『王の二つの身体』は、この政治神学が成立するまでの複雑な歴史を辿(たど)った労作である。結論的に言えば、王の身体の二重性は、神であり人でもあるキリストの、政治への応用である。特にパウロが教会を「キリストの身体」と呼んだことが大きい。教会が王国に置き換わったのだ。
結果はこういうことなのだが、奇妙なのはそこまでの過程だ。王権がカトリック教会に強く依存していた中世の段階では、この政治論は完成しなかった。王権が教会への依存度を下げ、かなり世俗化したときに、ほとんど神学のようなこの政治哲学が完成する。いわば、王はキリストから離れたことでかえってキリストに似てきたのだ。
カントーロヴィチによれば、政治的身体は初期の「法人」のひとつでもある。われわれは法人を経済や法の機能的必要に応えるきわめて世俗的な制度と考えるが、源流には「キリストの身体(神秘体)」がある。
一般に、民主的な市民社会は絶対王制を倒して生まれたとされる。それは正しいのだが、カントーロヴィチが示そうとしたことは、清教徒革命に現れているように、王権を乗り越える契機自体が王権の中から生まれたということである。
日本の皇室はよく英国王室と比べられる。だが背後の観念はずいぶん違う。(社会学者)=朝日新聞2018年3月18日掲載