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早見和真「イノセント・デイズ」 えぐり出す「私たち」の残忍さ

イノセント・デイズ [著]早見和真

 凶悪事件を前にしたマスコミは「心を痛めたフリ」をしているのか。急ぎ足で被害者に同情し、容疑者の残忍さを知らせるエピソードを集め、パッチワークのように物語を仕上げていく。「疑わしきは罰せず」という推定無罪原則がマスコミの慣例で踏みつぶされることを、大衆の正義は歓迎する。この小説の中で、見知らぬ男が居酒屋でふと漏らした「なんか、いかにもだよね」との一言のように、事件が大雑把に処理されていく。それもまた残忍に思える。
 小説の主人公は、元恋人にストーカー行為を繰り返した後にアパートに放火、彼の妻と双子を焼死させた幸乃。裁判員裁判で初となる女性の死刑判決が下ると、「我々はきっと歴史の証言者なのでしょう」とワイドショーの司会者はしたり顔。彼女が私生児として生まれた事実、逮捕前に整形手術を施した事実などが並べられ、「事実」のつまみ食いで「推察」が暴走する。
 彼女はなぜ人を殺(あや)めたのか。そもそも本当に殺めたのか。産科医、義姉、同級生、刑務官などの追想が重なる。その悲劇に複数の視線を向けても、死刑判決は揺らがない。だが、判決は変わらなくとも、輪郭は変わる。粗い網目で掬(すく)われた事件が取りこぼした声を拾うと、いくつもの虚妄を押し付けられてきた彼女の孤独が浮上する。
 幼少期の幸乃が遊んだ“丘の探検隊”仲間の二人は、「誰かが悲しい思いをしたらみんなで助けてやる」と交わしたことを覚えていた。だが、自分の「生」を否定され続けてきた彼女は、むしろ早期の死刑執行を望んでいた。その眼差(まなざ)しは届くのか。
 今年3月の文庫化以降、版を重ね続ける本書。「読後、あまりの衝撃で3日ほど寝込みました…」との強烈なオビ文もその要因だろうが、そうやって結末に卒倒する小説とは思えない。このオビ文に準じるならば、3日ほど寝込んでも翌日にすっかり忘却する私たちの残忍さ、その姿勢を抉(えぐ)り出そうと試みる挑発にこそ、本書の衝撃がある。(武田砂鉄=ライター)
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 新潮文庫・767円=11刷18万1千部 17年3月刊行。
結末ネタバレを含む解説の袋とじや、手書きポップ「あまりの衝撃で3日ほど寝込みました」など、書店の工夫が起爆剤に。=朝日新聞2017年5月28日掲載