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定年後に向けて 個人的な体験、集めて共有を

朝の通勤ラッシュ。会社員にとって定年後の生き方は関心事だ=川崎市

 私はこの3年間、数多くの定年退職者から話を聞いてきた。そこで感じたことは、人は一度に変われないということだ。退職すると仕事だけでなく、人間関係も背負っていた義務や責任も同時に失う。この定年前後のギャップに対処するには現役の時から準備が必要である。
 城山三郎の『毎日が日曜日』は、長く海外で働いた商社マンが京都に単身赴任する場面から物語は始まる。綿密な取材によるリアリティーある経済小説であるが、同時に日本の生活になじめない子どもを持つ家族の物語でもある。48歳の主人公に交差させる形で定年退職した彼の先輩が何度も登場する。城山氏は会社の内と外にいる2人の対比のなかで働く意味を問うている。
 仕事や家族の課題を抱えて立ち往生している中高年社員は少なくない。彼らは、イキイキと働き、いい顔で定年後を過ごすためのヒントを求めている。この小説のように、現役の会社員が自らを振り返ることができるリアルな物語、個人的な体験がもっと提供されることが望まれる。g

自らの再生も

 死に対する恐れから、それに関する書籍が本棚いっぱいにあふれている人や90歳を超えた母親の介護の中で考えを深めている定年退職者もいる。彼らとの話の中で「なぜ人は地獄と極楽を考えたのか」という問いが私の頭に浮かんだ。京都の六道の辻あたりを何回か巡り、奈良国立博物館の「1000年忌特別展 源信 地獄・極楽への扉」で国宝を鑑賞した。また青森県の恐山菩提寺(ぼだいじ)においてイタコの口寄せにも接した。
 『生き上手 死に上手』の中で遠藤周作は、老人たちが神の面影を持つ翁(おきな)になれなくなったのは、「我々がこの世を包み、この世につながるもうひとつの世界をまったく否定してしまったことからはじまった」と述べている。遠藤が言うように次の世界があればすべて無に帰するという死に対する不安は和らぐかもしれない。また亡き両親に再び会えると思えば力も湧いてくる。たとえ次の世界を信じられなくても、次代の人を育てることは自らの再生につながる。若い人に対してささやかでも何か与えるものがある人は柔和な表情をしているからだ。遠藤は『死について考える』(光文社文庫・540円)でも興味あるエッセーを書いている。

街づくり大切

 広井良典『コミュニティを問いなおす』は、都市、福祉、環境、公共政策などの多様な観点や領域から「コミュニティ」を論じている。
 高度成長期においては「生産のコミュニティ」であるカイシャが圧倒的な優位を占めたが、経済が成熟化する中で、かつての「生活のコミュニティ」は回復しうるかという問いを立てている。退職者個人から見れば、会社から地域や家族への居場所の転換に符合する。
 私は、地域内での個人の行動、ボランティア活動、さらには男性の井戸端会議、公民館での無料学習塾の運営などユニークな活動も取材してきた。その中で活動を支える社会システムが不足しており、経済の成熟化、高齢化に対応する街になっていないことに気がついた。
 たとえば、地域の生活拠点であるショッピングセンターは物販が中心で、住民同士のつながりや居場所にはなりきっていない。住民と地方公共団体と企業が連携して、高齢化に対応した街づくりも必要だ。
 日本の急速な高齢化は世界有数なので、これらの課題を解決する知恵やシステムは輸出も可能で、将来の基幹産業になる可能性がある。そのためには高度成長期の鉄鋼業や造船業とは違って、個人的な体験の集積を基盤にしなければならない=朝日新聞2018年3月25日掲載