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焼林檎と煮桃 朝井まかて

 母が焼林檎(やきりんご)に凝った時期があった。
 「スプーンで食べてね」
 子供ながら、困り果てた。歯を立てるたびに青い香りと果汁が霧のように散るのが好きなのに、トロトロを掬(すく)って食べるなんぞどうかしている。
 いくらも食さぬうちに、手が止まった。すると母の口調が熱心に、やがて強制めいてくる。
 「躰(からだ)にええから、食べときなさい」
 旨(うま)さよりも、健康を優先しがちな人なのである。ひところ流行(はや)った健康情報番組の影響かと思っていたが、これを書きながら思い出した。私が子供の頃から「躰にええか、悪いか」に頓着していたのだ。
 そういえば森鷗外の長女、茉莉(まり)は、幼い頃、いつも煮た桃を食べていたという。鷗外は留学先のドイツで衛生学を学んだ影響もあってか、子供たちに生水や生ものを口にさせず、季節の果物にも必ず火を通させていたようだ。
 茉莉は嫁いでから初めて生を食し、桃はこんなにおいしいものだったのかと驚いた。そんなことを随筆に記している。林檎もおそらく焼いていたのではないかと、想像する。
 味はさておき、鷗外はつくづくと子煩悩な人だった。あらゆる危機と苦難、不安や淋(さび)しさから我が子を守り、「可愛い、可愛い」と頰ずりをする。そんな愛し方をする人だ。
 末子の類(るい)も、執筆の最中に書斎に入っても厭(いや)な顔一つせず頰笑み、膝(ひざ)の上に抱き上げてくれたと随筆に残している。その懐は葉巻の匂いがした。
 先だって鷗外の研究者さんと話していると、「近頃の学生は、研究対象にほとんど鷗外を選ばない」と嘆いておられた。「昔の文学部の学生は、まず鷗外を学んだものだったのに」
 私の作家仲間には「鷗外派」も根強いが、広く親しまれているのはやはり漱石だろう。鷗外の歴史小説がハードルを高く見せているのだろうか。
 私は、戦後の風潮もあると睨(にら)んでいる。帝国陸軍の軍医というプロフィールが、それは最前の戦争を行なった軍とは全く非なるものであったとしても、心理的に遠ざけてしまう要因になったのではないか。帝国大学の講師から朝日新聞の社員になった漱石とでは、イメージの硬軟がある。
 私も長年「漱石派」を公言してきたし、今も好きだ。でも鷗外も読む。
 文豪という巨(おお)きな塔に登攀(とうはん)するのではなく、子供たちのように膝の上に這(は)い上がり、ペンの音に耳を澄ませる。そんな読み方で親しむ。
 そしてどうしようもなく、立派な人だと思う。立派であるだけに、深く凝(こご)った悲しみとやるせなさ、子供たちへの眼差(まなざ)しの優しさが胸に迫ってくる。
 今年の冬は、林檎を焼いてみようか。=朝日新聞2017年10月21日掲載