急に空の高くなった朝、気がついたら、ひとりだった。
あ、ひとりだ、と思ったら、お腹(なか)の中から渦を巻くように、いろんな感情がせめぎあいながら喉元(のどもと)に上ってきた。
夏の間帰省していた長男が、大学のある東京へ戻っていった。夜、到着した旨の連絡があった。その短いメッセージによると、「懐かしかった」そうだ。「実家に戻ったような安心感がある」。戻ったような、ということは実際の実家に戻った感想ではない。まだ暮らしはじめて半年にも満たない、都会の小さなひとり暮らしの部屋が、懐かしくて、安心感がある、というのだった。少し笑った。彼はもうほんとうにここから巣立ったのだとあらためて感じた。心強く、頼もしい。そう思う反面、いつのまにか大きくなってしまった子供たちとの月日の短さを思う。一年半後には次男も、三年半後にはむすめも、ここを離れていくのだろう。
楽しい夏休みだった。特別なことの何もない、暑くてだらだらと長い休み。それを終えて、それぞれの場所に戻る。家族は新学期の学校や仕事へ出ていった。私は家にひとり、取り残されたような形だ。きっとこれからもそうだ。そうでなくては困る、とも思う。
ちょっとさびしくて、ちょっと心許(こころもと)なくて。でも、さっぱりして、ほっとしてもいて。いろんな気持ちが強くなったり弱くなったり、最後にどんな気持ちが残るのかと思ったら、ぐるぐると混ざったままになった。揺れて、ぴたりと止まることのない自分の気持ちに、今はまだ名前をつけることができないでいる。
そうだ、おいしいミルクティーを淹(い)れよう、と思った。すぐに立ち上がって、台所でお湯を沸かしはじめる。ほんの少し前までの暑さが噓(うそ)のように和らいで、空気が澄み、絶好のミルクティー日和だ。
紅茶好きの友人にもらった大切な葉っぱを、教わった通りのやり方できちんと淹れる。普段はあまり丁寧にはできない手順を楽しみながら、お茶を丁寧に淹れるという行為は、自分を丁寧に扱うことと似ていると思った。自分を労(いたわ)りたいときに、おいしいミルクティーを飲みたくなるのだ。そういえば、紅茶はこれまでをふりかえるための飲みもので、コーヒーはこれからのための飲みものだと、どこかで読んだことがある。しばし考えて、自分で書いた小説の中に出てくる言葉だったと思い出した。たまにはいいことを書くんだな、私。ふふ。自画自賛だ。
おいしいミルクティーをゆっくり飲む。これまでとこれから、どちらも大切にしたい。私はここにいて、また新しく私の人生の一日を生きよう。=朝日新聞2017年09月16日掲載
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