埼玉県の実家から東京の私立中学校へ通うようになり、軟式テニス部に入った。校則で買い食いは禁止されていたものの、部活動後、学校近くのハンバーガー屋で食べたり、コンビニやドラッグストアで買い食いしていた。
当時、こづかいの額は毎月二千円だった。それとは別にこれもまた親から、郵便局の口座に「牛乳代」として、年一万二千円が振り込まれた。正月に会う親戚もそれほど多くなかったからお年玉はあてにできず、今考えたらそんな少ない予算でどう趣味や食欲のやりくりをしていたのかと思う。
安く腹を満たすにはどうすればいいか。二〇〇〇年前後はデフレで物価が下がりまくっていた頃で、ハンバーガーが六十五円なんていうときもあった。だから友人たちとハンバーガー屋に行っても、皆がセットで頼んだりする中、僕だけは一番安いハンバーガー単品を四個注文したりした。
これには、少ない金で腹を満たすだけでなく、別の意味合いもある。ジュースやフライドポテトはハンバーガーと比べてしまうと割高なうえ、健康にも悪い。金を払って油と砂糖だらけの食べ物を食べても仕方ないな、と中学生ながら思っていた。それらには、タンパク質がほぼ入っていない。
ハンバーガーはタンパク質が豊富だ。挽肉(ひきにく)の塊を焼いたものとパンの組み合わせ自体は、さして健康に悪くもない。筋力トレーニングにとりくみはじめた中学生にとり、タンパク質の摂取は己の身体を大きくさせるのに必要不可欠に思えた。食べ物に対するその見方は他でも同様で、カップラーメンを買う際なんかも、同じ値段なら、よりタンパク質含有量の多い方を買った。
「俺、健康に気を遣ってるからさ」
「健康に気を遣う人は、インスタントラーメンとかジャンクフードは食べないんじゃない?」
陸上部の友人からそう指摘されたりすると反論もできず、その日はおとなしく五百ミリリットルの紙パック牛乳を飲んだりした。当時は日本人の身体に牛乳はあわないかもしれないなどという説など耳にしなかったから、牛乳は善だと思い、味が好きだったこともあり、飲みまくっていた。
部活がない日は、帰宅してすぐ、夕飯前なのにインスタントラーメンを二玉茹(ゆ)でて食べていた。筋肉のためだと言いながら食べていると母から、「ビタミンとか栄養のバランスが良くなきゃ、身体は成長しないのよ」としょっちゅう注意されていたが、おかまいなしだった。視野の狭い健康オタク少年だった頃の話だ。=朝日新聞2017年06月03日掲載
編集部一押し!
-
文芸時評 生成AIの民主化と新たな言語環境、2025年の文芸を振り返る 朝日×毎日「文芸時評」筆者対談 朝日新聞文化部
-
-
新作ドラマ、もっと楽しむ ドラマ「人間標本」主演・西島秀俊さん×原作・湊かなえさん 子を手にかけた親の奥底「日本独特の感性」で 根津香菜子
-
-
朝宮運河のホラーワールド渉猟 織守きょうやさん「あーあ。織守きょうや自業自得短編集」インタビュー 他人事ではない怖さに包まれる 朝宮運河
-
杉江松恋「日出る処のニューヒット」 宮島未奈「成瀬は都を駆け抜ける」 最強の短篇作家の技巧を味わう(第33回) 杉江松恋
-
インタビュー 彬子さまエッセイ集「飼い犬に腹を噛まれる」インタビュー 導かれるまま、ふわりふわり「文章自体が寄り道」 吉川明子
-
オーサー・ビジット 教室編 情報の海に潜む罠 感じて、立ち止まって、問いかけて 国際ジャーナリスト堤未果さん@徳島県立城東高校 中津海麻子
-
トピック 【プレゼント】第68回群像新人文学賞受賞! 綾木朱美さんのデビュー作「アザミ」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
トピック 【プレゼント】大迫力のアクション×国際謀略エンターテインメント! 砂川文次さん「ブレイクダウン」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
トピック 【プレゼント】柴崎友香さん話題作「帰れない探偵」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
インタビュー 今村翔吾さん×山崎怜奈さんのラジオ番組「言って聞かせて」 「DX格差」の松田雄馬さんと、AIと小説の未来を深掘り PR by 三省堂
-
イベント 戦後80年『スガモプリズン――占領下の「異空間」』 刊行記念トークイベント「誰が、どうやって、戦争の責任をとったのか?――スガモの跡地で考える」8/25開催 PR by 岩波書店
-
インタビュー 「無気力探偵」楠谷佑さん×若林踏さんミステリ小説対談 こだわりは「犯人を絞り込むロジック」 PR by マイナビ出版