本来ならば底なしに深い、めくるめく書き言葉の芸術であるべきはずなのに、日常会話の延長線上にしかない、安直な話し言葉に頼りきった、この程度の代物で、はてさてこれらのいったいどこが文学なのやら。それがこの世界に首をつっこんだ二十三歳のときの、偽らざる印象だったのだが、しかし、かくいうおのれ自身の腕が、目指すところのレベルにほど遠かったために、その率直な印象は胸にしまいこんでおいた。そしてその途中、書き手や編み手や読み手たちの頭を占めているのが、普通のおとなの男であるならば絶対に無縁であるべきはずの、ナルシシズム一辺倒であり、それも少女趣味まる出しの、幼稚な夢と憧れに塗りこめられた、よくもまあ、真顔でこんな作品を発表しつづけられるものだと呆(あき)れ返ってしまう、恥ずかしい限りの内容であっても、それが主流として堂々と罷(まか)り通っていた。要するに、異様にして異常な異界に足を踏み入れたというわけだ。それでも、自分のなかには、真の文学とはこうあるべきだという、ぼんやりとしていながらも確固たる目標が定まっていたせいで、若い時分には多少の紆余(うよ)曲折があったものの、年齢と経験と修練を重ねてゆくうちに、ほとんどぶれることがなく、その道を突き進むことができた。そうするためのコツはというと、実に簡単で、文学と称して憚(はばか)らないこの不気味な集団のすべてを反面教師とし、かれらとは真逆の立場に身を置けばいいのだ。さまざまな負の条件をひとまとめにして要約するならば、飲みたい放題食いたい放題の対極にある、真っ当というより、人間として当たり前の生き方を選択するだけで、それ以外の何ものでもない。
ところが、関係者たちは皆、実際には芸術精神には背を向けていながら、文学芸術に勤(いそ)しんでいるものと錯覚しつつ、出版界のとんでもないバブル期に支えられて、湯水のように使える交際費で夜ごと遊び惚(ほう)け、書き手編み手共にそうすることが貴重な仕事の一部であり、ひいては、芸術的な生き方とはまさにこれだと信じこむに至って、自己弁護の必要性がなくなり、「ああ、おれたちは今、文学を生きているところなんだ」という、そんなふざけた実感にひしとしがみついたのだが、その先に待ちかまえていたのは、当然至極の衰退でしかなかった。近代文学の黎明(れいめい)期としては、明治時代にまずまずのスタートを切ることができたのだが、そのあと、本来は孤なる個人に戻ってやるべきことなのに、日本的といえば日本的な派閥という集団を形成してそこに属すようになり、仲間内の関係を円滑にする飲み食いに体と心を蝕(むしば)まれ、その付けが回ってきて、今日の救いがたい悲惨な状況に立ち至ったのである。=朝日新聞2017年05月20日掲載
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